056『忘却、除け者』
新章開幕!
忘却の獣。
英雄譚の除け者。
物語の幕が上がるその前に、両者は目を細める。
退屈の日々は、まもなく雨上がりだ。
クローズ王国。
魔法古書館を有するこの街における、最大の魔法牢獄。
世界各地より極悪犯罪者が集められる負の坩堝。
過去の脱獄成功者は、ゼロ。
一人として脱獄に成功したものはいない、犯罪者の終着点。二度と陽の光を見ることは叶わぬ終いの流刑地。
その牢獄を、獣は容易く脱出していた。
「おじたん、やる気なくしちゃったなぁ」
死んだ目に、七三分けのスーツ姿。
自らを『おじたん』呼ばわりする変な男。
過去、多くの英雄をその手で偽り殺し尽くした犯罪者。
大悪党、忘却の獣――通称『英雄殺し』。
そんな男の脱獄を援助し、見事成功させた男がもう一人。
「では、依頼はキャンセルという運びでよろしいですか? ここまで来ているのですから、当然キャンセル料はいただきますが」
「二割くらいで済むかなぁ」
「全額です。当日キャンセルですので」
キラリと、眼鏡を煌めかせてもう一人の男が言う。
白いローブに身を包んだ、学者然とした男。
金にがめつい……というより、当然の反応に、当然の権利を主張し、当然の金額を要求した彼に対して、英雄殺しオーディは嫌な顔をした。
「やだやだ、これだから傭兵団ってのはぁ」
「それは喧嘩を売っていると判断してよろしいでしょうか? あなたほどの悪人であれば、殺したところで心は痛みませんが」
二人は仲間と呼べる間柄ではない。
片や、ありとあらゆる悪に入り浸り、根からの悪性と染まった獣。
片や、金さえもらえればどんな仕事でも全うする、一流の傭兵。
むしろ傭兵の男の気質を思えば、本来であれば敵対する間柄だ。
「そもそも、私は一般人を殺さない主義でして。あなたのようなクズを脱獄させたことも、私の主義を思えばギリギリアウトなのですよ。あなたは一般人を殺すわけですから。だからこうしている今も後悔している。し続けている」
「……へぇ。そんなこと言ってもいいの? 遅刻した分際で」
遅刻。
その言葉に傭兵の男は顔をしかめる。
理由はある、が、その理由は『遅刻していい理由』にはならない。
お忘れだろうか。
忘却の獣、オーディが企んだ「シュメル殺害」。
それには、ある傭兵団が来る予定だった。
当然、その傭兵団とはクラリスが秘密裏に抹消した荒くれものたちとは別種。
金のためだけに殺し殺されかけを繰り返し、死地の中で実力を磨いた――いわゆる本物。
その傭兵団と、英雄殺しオーディの二枚看板による確殺。
それこそがオーディの描いていた未来。
シュメルを殺せと依頼してきた魔女が、描かなかった未来。
「君たち四人のうち、一人でいいって言ったよね? そうすりゃ勝てる戦いだったよね?」
事実だった。
曲がることのない真実だった。
確実な勝利がそこにはあった。
シュメル・ハートは、あの時点で死んでいた。
なのにその勝利をつかみ損ねて、獣はとても不機嫌だった。
「……なぁ、どう落とし前つけるつもりだよ、傭兵風情が」
ふざけたこと抜かすと殺すぞ、と。
言外に告げる獣に、傭兵は静かに目を閉じる。
そして自らの落ち度を前に、貫いてきた主義に蓋をするように。
生まれて初めて、傭兵は自らの不殺に背く行動をした。
「……だからですよ。主義を曲げてでも、無償で脱獄援助を行いました」
「……で?」
オーディの剣呑な目は変わらない。
傭兵団が来ていれば無かったはずの投獄。
信頼がすべての傭兵団が、それでもやらかした遅刻。
禁忌のタブーを受けて、その程度では何も『代わり』にはならない。
それは、傭兵の男も分かっていた。
分かっていたからこそ、彼は数の暴力に出る。
「依頼料は変わりません。その代わり――四人全員が動きましょう」
ぴくりと。
死んだ顔のオーディが、わずかな反応を見せる。
「……へぇ?」
「二言はありません。此度は確実に動き、確実に仕留め、確実にシュメル・ハートを終わらせましょう。我らは個でどうこうできる戦力ではございませんから」
大言壮語。
……ではないと、オーディは知っていた。
個々人がこの大陸でも最強格。
傭兵団としては歴代でも最小規模でありながら。
保有戦力は、おそらく歴代でも最高最強。
わずか四名からなる、この時代最強のつわものたち。
へにゃりと、疲れた顔が喜に歪む。
(悪いねぇ、依頼主の魔女さま)
白い魔女より依頼を受けて。
シュメルを殺すように願われ。
脅され、強要されて。
彼はその通り動き――望まれるがままに動き過ぎた。
(おじたん単品をお望みの魔女さま。おじたんとシュメルの実力差を知っていたであろう魔女さま。その上で対峙を望み、おじたんの敗北まで見通していたはずの、くそったれた魔女さまよ)
おそらく、彼女はシュメルの生存を望んでいる。
理由は不明だが、彼女の目的は――おそらくシュメルの成長。
立ちはだかる壁としては、『英雄殺し』単品はとても絶妙で。
苦労はするし厄介ではあれど、少し頑張れば勝てる相手。
そういう程度の実力差。
ゆえにこそ、その根底に優しさが垣間見える。
だって魔女は、勝てない相手は用意していない。
そう、遥か格上の魔女の心情をすべて見通し。
その上で悪党は、捻くれたままに、あまのじゃくに。
――なら、勝手に勝てない相手を用意してしまおう、と。
悪意の限りを走らせる。
「どうです?」
「そうだねぇ……」
考えるふりをした。
腹はとっくに決まっていた。
「おじたん、少しやる気出てきちゃったかも」
物語から除け者にされた獣は、空を見上げる。
爪を研ぐにはちょうどいい、月明かりのまばゆい夜だった。
獣の動きは。
とっくの昔に、魔女の描いたものから外れている。
☆☆☆
私は平凡だ。
そう、誰より私がよく知っている。
特技なんてない。
せいぜい……パンがちょっと上手く焼けるくらい?
絞りだしてもそれくらいだし、それだって才能ではなく努力の結果だ。
最初からうまくできたことなんてこれっぽっちもない。
だから知ってる。
私は凡人だ、って。
知ってたはずなのに。
分かっていたはずなのに。
『決着ぅぅぅ!! なんと、激闘を制したのはシュメル・ハートだあああ!!』
『剣の帝王、ついに敗れる! ここ数年で最大の衝撃ですよこれは!』
霜の再来。
剣の聖女。
あと、公爵家の跡継ぎ。
私の周りには才能ある人たちばかりが集まっている。
きらきらと。
私の目の前を歩く彼らは、煌めくように生きていた。
私とは違う。
使うべき時に才能を使い。
思うがままに戦い、たとえ敗れたとしても。
それを悔しいと思い、それをばねにして強さを求め。
それに応えられる程度の才能を持っている。
才能がない、と笑うリオさんでも、私よりずっとましだ。
私は大前提として、その『はじまり』にも立てていないんだから。
視線の先には、誰より強いクラスメイトが立っている。
拳を振りぬいた、その背中を眺め。
つくづく、思うのだ。
「……いいなぁ」と。
「……ルナさん?」
「っ!」
ふと、クラリス殿下の声が聞こえた。
あっ、口に出してたかな?
少し焦って言い訳をした。
「い、いえっ! 私も……その、そろそろこのチームのリーダーらしい活躍をしてもいいのかな、なんておもっちゃいまして! ほら、なんてったって大魔導士ですし!?」
焦って変なことを言った。
そんな気がした。
「あら、そちらですか。てっきりこのシチュエーションを指しての『いいなぁ』かと思ったのですが。わが身のことなのであまりいうのも恥ずかしいのですが、妹の恋路に変に口を挟んでくるおせっかいな姉に向かって、『こちらの問題だからすっこんでいろ』と堂々と私を守ってくださるシュメル様。白馬の王子さまというのはああいった姿を指すのでしょうか? でしたら皆々様があこがれるのも納得、というより当然の摂理。それにしても……じゅるっ。公衆の面前でもなければ白目をむいて気絶しているところです。そのため、ルナさんがこの状況、私の立場に羨望を抱いたとしても致し方ない、むしろ抱くべきかと思っていたのですが……」
「……ふへ?」
……なんか私以上に変なことを言っていた。
頭大丈夫なんだろうか、この人。
「頭大丈夫ですか?」
「うふふ、正常ですとも。絶好調です」
素直に失礼に聞いてみるが、彼女は笑って受け流す。
……これが王族、というものなんだろうか。
確かにお姉さんも似たような『クセ』があったし。
というか、強かったし。
「そ、そうですか……」
「ええ。そんな絶好調な私が、断言してしまいましょうか」
ふと、彼女の笑みがこちらへ向いた。
少し、ぎょっとする。
その眼に浮かぶ光は強く。
その笑みは、噓を言っている人のソレではなかったからだ。
「ルナさん。あなたは私たちの誰より大きな才能を持っています」
「……冗談、ですよね?」
「私にそれを問いますか?」
「……いえ、失言でした」
そうだ。
彼女は誠実の化身。
嘘なんてつくはずがない。
その上で言い切った。断言した。
なら、彼女の中ではそういう結論になっているってことだ。
「あなたに足りないのは、きっと最初の一歩を踏み出す勇気だけ」
「……勇気、ですか」
「はい。憧れから追走へ。立ち止まっている今から、走り出す。その一歩さえ踏み出せたのなら。きっとあなたの停滞は消え失せるはず。……まぁ、これらは私の直感ですが」
最後に付け加えられた一言を聞いて。
私は……なんでだろう、少しだけがっかりした。
「なら、あんまり信ぴょう性ないですねぇ……」
「……ふふ。私相手にそこまで言えるのは、ルナさんだけですね」
そんなことを言い合って、私たちは再び前を向く。
視線の先では、一人の少年が喝采を浴びていた。
その輝きに。
その強さに。
目を焼かれ、目を細め。
ふと、私は最後に問いかける。
どうしても、気になってしまったからだ。
「……ところで、殿下はどうやったんですか? その、第一歩ってやつ」
「私ですか? そうですね、あの時は確か――」
可愛らしく首をかしげて。
高貴な友人は、当たり前のような顔でこういった。
「一度、命を懸けてみることにしたんです」
命を懸ける。
その言葉は、しかと私の心に刻まれた。
主人公が、絶対に死なない物語。
そう魔女が敷いたレールは壊れ、獣はとうに脱線している。
これより先に、無血の物語は存在しない。
都合のいい相手など存在しない。
立ちふさがるのが超えられる壁とは限らない。
主人公が死なない保証など、どこにもない。
だって、魔女は全てを見通せていない。
最強は万能ではなく、ましてや全知には程遠い。
故に見落とす。
獣の咆哮を。
魔力の海を。
そして、少し物知りな伯爵様を。
物語を乱す異分子を、白き魔女はまだ知らない。
次回『テラ・イヴン』
初めまして、転生者。
いや、今は半田塁の人格ではなかったのかな?




