057『テラ・イヴン』
序列戦は終わった。
負けたアイサ殿下は微妙な顔をしていたけれど。
それでも敗北は敗北。
それを受け入れないほど彼女は「子供」と言うわけでもなかった。
「……うむ。まぁ、敗れたことはいいのだ。私の積み重ねてきたものが、君の経験に敗れただけ。私の努力不足を惜しむと同時に、君の努力を称賛する。それだけの話で、それ以上も以下もない」
だが、それでも。
清々しいほどさっぱりと敗北を受け入れた彼女が、微妙な顔をしていた理由。
「……それでも、妹を頼む」
この戦いに意味なんてなかったのだ。
そう、最後になって理解したが故の表情だったのだろう。
……いや、あの顔は途中で察しくらいはついていたのだろうか。
「はい。この人生をかけて、全霊でお守りします」
クラリス殿下が僕に依存するように。
僕のために生きる少女を――同じくシュメル・ハートは見捨てない。
勝とうが負けようが関係なしに、自分の人生くらい彼女に預ける心づもりだ。
だから、意味なんてなかったのさ。
強いて言うなら、今すぐに婚約させるつもりなら意味はあったのだろうが……。
「……とはいえ、彼女にまだ恋愛と言うのは早すぎる気がしまして」
残念ながら、今すぐの婚約と言うのは彼女のためにはならない。
そう告げる僕に対して、アイサ殿下は驚きを見せない。
……ま、僕が見透かせるくらいなんだ。実の姉の目は誤魔化せないよな。
そう苦笑し、かつてアイサ殿下が言った言葉を思い出す。
「ほかならぬアイサ殿下の言ったことですよ。誠実と清廉は違うと。それを彼女は履き違えていると。……あの時は口を挟みましたが、貴方の言う通りです。今の彼女は人間らしくない」
好きな相手が他の誰と一緒になろうと構わない――だなんて。
そんな愛は歪んでいる。
それは清廉の極致、結論とは言えるかもしれないけれど。
自分の心に嘘をつくのは、誠実とは言えない。
「……言えばいいだろうに」
「言えば笑顔が曇ります。好きな人にはいつだって笑っていてほしいものでしょう?」
「何度でも言おう。それを本人に言えばいいのだ」
やだよ、恥ずかしい。
そう内心吐いて、僕はルナと楽しそうに話しているクラリス殿下を振り返る。
その笑顔を見て、楽しそうに生きる彼女を見て。
いつか助けた、絶望の中にあった王女を思い出す。
笑顔を奪われたはずの彼女が、またこうして笑ってるんだから。
僕は目を閉じ、笑みを浮かべた。
「なにより、彼女は今が楽しそうだ。なら、それでいいじゃないですか」
歩みが早くとも、緩やかでも。
いつかたどり着く結論が同じでも。
今が楽しければ、きっとそれは正しい事だ。
未来を見据えぬ無謀無知であれば、話は変わるが。
僕も殿下も、未来はしっかりと見据えている。
その上の牛歩だ。
互いにそれは承知の上で、肩を並べて歩いている。
「……なるほどな。ではれば、口を挟んだのは本当に余計だったようだ」
「そうですよ。じゃなきゃ、冗談でもお姉ちゃんだなんて呼びませんから」
そういって、僕は最後に右手を差し出す。
「ありがとうございました。久しぶりに楽しかったです」
学生相手とは、まるで思えなかった。
アイサ・クローズは間違いなく強かった。
本気を出すに足る相手だった。
なにより、彼女は初めて『僕を楽しませよう』としてくれた。
それは一人の人間としての親切心からか。
あるいは、未来の弟に対する贈り物のつもりか。
いずれにしても……大いに楽しめた。
大満足、ってやつだ。
だからこその、握手に対して。
「…………アイサ殿下?」
彼女の動きが、ぴたりと止まる。
視界が、灰色に染まった。
……彼女の姿だけではない。
音が消える。
風が止む。
全ての「時」が、停止する。
唖然と目を見開き。
直後には警戒心を全開まで引き上げる。
「なにが……ッ!」
世界の時が止まっている。
アイサ殿下も。
控室にいる仲間たちも。
客席の全員も。
空を飛び交う鳥ですら。
なにひとつとして、動きはしない。
ただ、僕を除いてすべてが止まった。
その中で。
こつ。
こつ、と。
革靴の音がした。
気配と同時に、城崩しを起動する。
手首に巻く鎖となっていた黒色は、瞬く間に姿を変える。
超重量のハルバードを手に、その気配へと切っ先を突き付ける。
「誰だ!」
振り返ると同時に、その姿が目に映る。
――知らない相手だった。
僕はその人物を、何も知らない。
煌びやかな正装に、片方の肩にかかったケープ。
靡く金色の髪は美しく、中世的な顔の造形はその人物の性別すら読ませない。
おそらくは、貴族、ではあるのだろうが……。
この止まった時の世界を動いていることから、おそらく、この異常事態の術者。
そして僕は、時間を操る魔法なんて聞いたこともない。
僕は城崩しへと込めた力を強める。
久しぶりに、恐怖が背を伝った。
ごくりと、生唾を飲み込む音が響く。
気づけば背中が冷や汗だらけだ。
緊張に唇を乾かす僕を前に。
その男だか女だか分からない存在は、口を開いた。
「――初めまして。この時代唯一の転生者くん」
その言葉を、認識するより先に僕は動いていた。
なぜ。
どうして。
どうやって知った?
疑問が浮かぶより前に判断を下す。
――こいつは、危険だ。
その情報を、間違ってもあの魔女に渡すわけにはいかない。
殺すまではしない。
が、無事で帰すわけにはいかない。
判断、決断し――一直線に駆け出した。
「と、言ってしまえば敵対するのだろうね。だからこうも自己紹介しよう」
駆け抜ける刹那、続く声が鼓膜を揺らす。
その言葉は甘く、鋭く、苦々しくも。
僕の動きを、ぴたりと止めた。
「私はね。フォルス・トゥ・ステラカヴァズの敵対者だ」
そいつは、一切の抵抗を見せなかった。
城崩しの刃は、白い頸の直前まで迫って、止まる。
……止まらざるを得なかった。
よりにもよってその名前を聞かされて。
その本名を聞かされて、敵対者などと言われたのなら。
「……君は再びこう言うはずだ。『お前は誰だ』と。故に答えよう」
僕のさじ加減一つで殺せる。
あと少し、指先に力を込めただけで死ぬ。
そんな状況にあって、そいつは一切の動揺を見せない。
なんだこいつ。人間じゃない、のか?
ぞわりと、気持ち悪い感覚が腹の底を擦る。
背筋を震わせる僕の内心をあざ笑うように。
そいつは死地にて笑みを浮かべて、自己紹介する。
「テラ・イヴン。神界帰りなどと呼ばれているが――ちょっと物知りなだけの伯爵さ」
☆☆☆
テラ・イヴン。
聞いたことのある名前だ。
神界帰り。
それ以外の単語では説明のつかない全知性。
今になって、その言葉を本当の意味で理解する。
神様でもなければ、僕が転生者だなんて見透かせるはずもなく。
同時に、世界の時を止めるだなんてできるはずもない。
彼、か彼女なのかは分からないが、とりあえず彼と仮称して。
物知りな伯爵を自称するそいつは、これ見よがしにその場で二度拍手した。
「……っ!?」
変化は唐突だった。
警戒を解いた覚えはない。
なのに……気づけば目の前にティーテーブルが現れていた。
真っ白なクロスに、湯気を上げるいれたての紅茶。
大きく目を見開く僕を他所に、彼は悠々とテーブルへと向かう。
「警戒を解くために伝えよう。なにごとも結論優先。もったいぶるのは得手ではなくてね」
あまりにも堂々と椅子に座り、紅茶を一口。
脚を組み、僕を見上げて男は告げる。
「私は未来を知っている」
「……ッ、み、未来視の魔法!?」
「そう。君の限定的なモノとは違い、完璧な未来視だよ。どころか過去も未来も現在だって見通せる千里眼。加えて、こういった時や世界を弄ることにも慣れている。そういう魔法さ」
有り得ない。
時を止める、それだけでも前代未聞だというのに。
完全な未来視、だって?
占いや、予知夢といった程度の魔法なら覚えがある。
が、完全な未来視なんて、そんなもの、あっていいはずがない。
――だって、あまりにも強力すぎる。
「言いたいことは分かるよ? 転生者として、多くの魔法を『あの白い空間』で見てきたはずだ。なら、私の魔法は少々君の目には特異に映る。……と言ってもだ」
「……いや、いい。言いたいことは分かる。【反転】だって似たようなもん、ってことだろ」
「ご名答。君たちの持つその魔法だって、私からすれば強すぎるんだよ」
おそらく、ではあるが。
彼の魔法は、僕らの持つ【反転】と同等のSSSランク。
最上位。ありとあらゆる魔法の頂点に立つハイエンド。
……名前こそ判明しないが、そういう類のものなのだろう。
――そしておそらく、その魔法で僕の【転生】すら見通した。
目を細め、彼の魔法を探るべく記憶をたどる。
そんな僕を前に、彼は空を見上げて息を吐いた。
そこまで明かしておきながら、彼の表情は崩れない。
微笑を浮かべ、余裕をたたえ。
何でもないように、まるで雑談の話題を振るように。
「そう、私の魔法は強いが、最強と言うわけではないんだ。私はそう知っている」
何故、と問うより早く。
「だって近い未来に、私は殺されるからね」
確定した未来を、淡々と告げるように。
彼は自らの死を僕へと告げる。
「はぁ!?」
「あぁ、驚かせてしまったかな? 私は死ぬ。正確には殺される。私と同等の魔法を有し、私よりも強い相手に殺される。……それも、君の物語とは全く交わらない場所で、だ」
未来視を持つ彼が言う。
だが、そうですか、と引き下がれるような話でもなかった。
「い、いったい誰に!」
「教えない。言っただろ? 伝えたところで意味はないのさ。私が死ぬとき、絶対に君の手は届かない。どう足掻こうと君に私の結末は変えられない。そしてなにより、私は殺されることを知っていて、道を曲げるつもりはかけらもない」
「――同時に、私は意味のない死を迎えるつもりは毛頭ない」
そう言い放ち、僕を真正面から見つめるテラ・イヴン。
瞳の奥には、僕には読めない感情が揺らいでいる。
「私は、物語を最後まで知っている。君の結末も当然ながら、知っているとも」
彼は言う。
未来を見据え、今に生き、過去を知る彼は断言する。
「同時に、私はこの物語を最後までは見届けられない。未来に私の居場所はない」
「…………」
男を見据え、思考を回す。
聞きたいことは……非常に多い。
だが、男は答えないはずだ。
未来を知り、けれど未来へとたどり着けぬ伯爵。
同時に意味のない死を遂げるつもりはないと断言した男。
彼を前に、聞きたいことも言いたいことも――まるっと全て蓋をする。
深呼吸して、城崩しを下ろす。
満足げに笑うテラ・イヴンを前に、僕もまた椅子を引く。
目の前に用意された紅茶を一息で飲み干して、どっかりと椅子に座り込んだ。
「で、お前は何がしたい。結論を言え。何のためにこの場を用意した」
「……これだから天才は好きだよ。話が早くてとても助かる」
テラ・イヴンはティーカップを置く。
かくして腕を組んだ男は、本題へと入った。
「私には時間がない。君と会うのも話すのも、これが最初で最後。だから謝っておくよ。今は何のことだかさっぱりわからないだろうが……後々に、その時になってみれば理解が及ぶ。そんな助言をおいていく。私にできるのはそれだけだ」
「……はた迷惑だな。その理解不能な助言を覚え続ける身にもなってくれ」
「はは! それは、この先殺される身になってから言ってくれたまえ!」
楽しそうに笑う彼を見て、言葉に詰まる。
おそらく、その助言を聞きたいときにこの人はその場に居ないのだろう。
それは純粋にめぐりあわせが悪いだけなのか――あるいは、その時点で彼は死んでいるのか。
いずれにしたって、ここまで場を整えた上での助言、とやらだ。
覚えておく価値はある、と思う。
こいつが信用できるかどうかは分からないが――悪意があるようには思えない。
逆に悪意があるというのなら、僕はとっくに殺されているはずだ。
「では、助言一つ目。これで半分」
そう前置きして、彼は語る。
「今ではない。ただ、近い未来に君は絶望を知るだろう」
「今まで積み上げてきたものが無価値に感じるほどの逆境に叩き落される」
「そこでは君は『強者』から『挑戦者』に落ちるわけだ。……言ってみれば、君の本当の英雄譚はそこからが始まり、と言えるだろう。本当に、見届けられないのが実に惜しい」
「……とはいえ、だ」
「楽観視はできない。君単身で乗り越えられるような逆境ではない」
「なのに落とされるのは君一人。仲間はいない。剣の聖女も神の目も、魔王の心臓だって動けない」
「誰の手も届かない。君は孤独に死地に立つ」
そこまで聞いて、未来を知って。
ただひたすらに困難な道を見上げて。
目を細める僕へ、未来を知る彼は言う。
「そこで、だ」
「いつか未来の君が死なないように、とっておきのアドバイスだよ」
「最初に出会う『剣士』を信じなさい」
「……剣士、って言われてもな」
「その時になってみればわかるさ。どう捉えても『彼』は剣士だ」
微妙なアドバイスに首を傾げるが、彼はそういうばかり。
だが、その直後に語られたのは、聞き流すことのできない重要な情報だった。
「彼は君の先人。遠い昔の転生者」
「伝説の鍛冶師が誇った、城崩しを創りし一番弟子」
「人ならざる身で人の世に伝説を打ち立てた竜殺し」
「――無敵の不死殺し。いわば、霜天の魔女の天敵」
「【アトラス殺し】」
「剣の鬼は、君を助けてくれるはずだから」
【ちょこっと豆知識】
〇アトラス殺し
900年前、ちょうど勇者伝説より100年遅く現れた英雄。
当時の『竜の庭』に君臨していた特級指定竜種『地竜王アトラス』を単身討伐。
それも、錆びた剣の一太刀にて両断した。
そこから、剣の鬼、アトラス殺しと命名。
その後、なぜか伝説の鍛冶師の弟子となり、彼と共に世界を巡る旅に出た。
シュメルが振るう城崩しは、彼が作った武器でもある。
そんな彼は、現時点を以てして行方不明となっている。
霜天の魔女ですらその行方は把握できていない。
ただ、「彼の性能的には生きてないとおかしい」と判断し、生存は疑っていない。
吸血鬼の祖と並び、霜天の魔女が「戦いたくない」と思う一人でもある。
次回、『騒ぎ』




