054『剣の帝王』
剣閣、最後の一人にして。
誰もが認める、歴代最強の生徒。
アイサ・クローズはステージに上がって開口一番、こう言った。
「ふむ。やはりこうなったか」
彼女の顔に驚きの色はない。
言葉通り、『やはり』と。
見え透いた決着を迎えるように、納得を示した。
「……もう少しお仲間を信頼したらどうですか」
「信頼と妄信は別物だろう? 私は彼らを信頼しているが、勝てない相手に勝つと信じる妄信はしない。それはむしろ、脅迫だ。向けられる方はたまったものではない」
まっすぐにそう言い放つ彼女の姿からは、王族の風格を感じた。
現実主義者、理想を見ないがゆえに、地に足の着いた未来を見据える。
……つくづく、第一王子じゃなくこの人が王様になればいいのにな、と思うよ。
強くて立派で、現実的な思考も持ち合わせている。
「とはいえ、だ。君の実力を本当の意味で『見えている』のは、学生の中では私とクラリスだけ。それ以外とは隔絶しすぎているからな、彼らは君との実力差を見通せていない。……うちのパーティメンバーにも言って聞かせたのだがな。聞かない以上、好きにさせたというわけさ」
「……これで、妹狂いがなければ」
「おい弟くん、それは聞き捨てならないな?」
すぐさま反応してきたアイサ殿下に、僕は口を手で押さえた。
「おっと失敬。つい本音が」
「うむ、許そう! 未来の弟君の失言ひとつ聞き流せなくて何がお姉ちゃんだ。むしろ、どんどん軽口をたたいてほしいところだな! 仲良きことはいいことだしな!」
「それ以前に王族でしょうあなた。男爵家の跡継ぎに失言を許していいんですか」
「それ以前にお姉ちゃん故な。弟くんの全てを許そう!」
なっはっはっはっは!
そう、アイサ・クローズは高笑いした。
けれど……その笑い声はぴたりと止まる。
「それもこれも、君が『弟くん』になってくれたら、の話ではあるが」
――空が、割れる。
あり得ない光景に言葉が詰まる。
彼女が前方へと翳した手を中心として、世界に亀裂が走った。
そして、割れて砕けた空間の『向こう側』から。
白銀の剣が一振り、姿を見せる。
「私の魔法【剣帝】は、時空を超えて、いつかどこかで英雄が振るっていた『剣』を召喚するというもの。その剣を使いこなせるは私次第ではあるし、当然私は、この剣の名を知らない」
その剣を、アイサ殿下は掴み取る。
瞬間、背筋が凍るような感覚を覚えた。
序列戦ではついぞ感じることのなかった――死の恐怖。
安全を保障されているこの場において、それでも隠し通せなかった剣気が、魂を揺さぶる。
――なんだ、あの剣は。
背筋を震わせ、限界まで目を見開く。
剣先から柄の先まで、すべてが白銀、一色の剣。
多くの歴史書を読んできた僕をして、見たことも聞いたこともない。
……おそらく、ではあるが。
霜天の魔女たちによる勇者伝説より、さらに昔。
誰からも忘れられた太古の伝説。
記述すら残っていない『大』英雄が振るっていた剣だろう。
そうでもなければ……あれほどの剣に伝説が残ってないはずがない。
この僕が、武器一つに気圧されているんだから。
「弟くん、君は退屈そうだ」
「……なんですか唐突に」
「小説はよく読む方だ。当然、主人公という輩もよく知っている。……だがね、その主人公というやつからは、君は離れているように見えるよ」
彼女は僕の言葉を無視して、意味不明なことを言い出した。
「自分が主人公だなんて。そんなこと思ったことはありませんよ」
「まぁ聞き給え。……彼らは必至だった。必死に強くなろうとあがいていた。……当然、君が彼らより努力していないとは思わない。だが、彼らには余裕はなくて、君には余裕があった。彼らには強敵がいたけれど……君には、生死をかけて戦うような、相手を殺さないと自分が死ぬような、そんな強敵がいない」
彼女の言葉に、僕は何も言い返せない。
その通りだったからだ。
僕の成長は、今までの道筋は。
ほぼすべてが『魔女』が考え、整えたもの。
彼女は僕が死なないように、過保護なまでに安全性を確保した上……アイサ殿下風に言うならば『どうあがいても主人公が死なない物語』を設計した。
だから僕には余裕がある。
死期察知がある。
反転による治癒がある。
よほどのことでもない限り、僕は死なない。
そもそも負けないのなら、必死に戦うことはない。
そのよほどのことがない限り、僕の余裕は崩れない。
「だが、それでは物語として『面白味』がない」
アイサ・クローズは言い放つ。
「話を戻そうシュメル・ハート。結末の見え透いた道を歩くのは退屈だろう?」
「……何が言いたいんですか?」
「ふふ、私はとても強欲だという話だよ、王族だからね」
弟くん、という呼び方ではなく。
僕の名を呼び、彼女は笑った。
その視線は、一瞬だけ司会席へと向かう。
『……っ、そ、それでは、試合開始です!!』
怯えた様子で、試合開始の合図が響く。
あまりにもあっけなく、あまりにも静かな始まりだった。
僕にもアイサ殿下にも、大きな動きはない。
「妹には幸せになってもらいたいし、未来の弟くんが退屈そうにしているのなら、その人生に、その歩みに一時の楽しみくらいは与えてやりたい。君を負かすのは大変なことではあるが……やってやれない事ではない」
ならばやるのだと。
鋭い眼光を僕に向け、第一王女殿下は明言する。
「君はどちらかというと……相手が強いほど燃えるタイプだろう?」
「否定はしませんが、大言壮語じゃないと願います」
僕は拾った木剣を静かに構え。
彼女は笑みを浮かべて、善意を贈る。
「ああ、今だけは存分に楽しむといい」
――その瞬間。
あり得ないはずの【死期】を、僕の直感は察知した。
☆☆☆
アイサ・クローズ。
この国における第一王女。
半田塁の転生候補。
霜の再来が生まれるより前は――神童と呼ばれていた少女。
転生時に見た身体能力は、驚異の『S』評価。
それは、多くの人たちの『リソース』とやらで強化された僕、シュメル・ハートと同様の評価でもある。
つまり、彼女は僕と同強度の肉体を有している。
最初はそういう考えだった。
警戒するべき、そう考えていた。
……だが、少し違った。
シュメル・ハート。
アイサ・クローズ。
二人の人生は、歩んできた道はまるで異なる。
男爵家の長男として生まれ。
魔女に呪われ、魔法を学び。
武を学び、知識を得て、多くを身につけた僕と。
王族として生まれ。
当然の知識とマナー、貴族の付き合いを例外とし。
それ以外の全てを武に捧げてきたアイサ殿下。
二人が身につけてきたものは、まるで異なる。
彼女はいわば、剣の一振りにのみ全てを捧げた生粋の剣士。
魔法の修行、知識の収集。
それら多くに時間を取られた僕とは、武に捧げた時間が違う。
密度が違う。想いが違う。重きが違う。
言葉では、理解はしていても。
今こうして相対して、実感として身に染みる。
アイサ・クローズの身体能力は、僕以上だ。
「――ッ!?」
感じた死期は、恐らく錯覚だった。
この肉体に生まれて今まで、幾度となく感じてきた死期。危機的状況。――コレはそれらと同じだと、目が、耳が、鼻が、全神経が直接本能へと叫んだ結果。
五感を代用した、『死』への未来予知。
不本意ながらこの局面で、僕は『世界を読む』技術を一歩先へと進めてしまう。
考えるより、悔しがるより先に体を捻る。
吹っ飛んできたのは斬撃だ。
トモリのソレとはまるで異なる。
身体能力、技術、全て伴った上での『死ねる斬撃』。
同じ殺意でも、重みがまるで違う。
これは、防げない。
頬の薄皮一枚を、白銀の剣が切り裂く。
本来なら吹き出す鮮血を、魔導器が肩代わりする。
だが、ほんの少し掠っただけでも一撃は一撃。
『4』と表示されていた数字が『3』へと落ちる。
「さすが、初撃は躱すか!」
「躱せては、ないですよ……ッ!」
動きは止めない。
回避した勢いはそのまま、剣を振り払った姿勢の殿下へと回し蹴りを叩き込む。
狙いは顔面。
容赦はしない。
できるような相手ではない。
そう、最初の攻防で理解した。
だから、容赦なく攻撃した――はずだった。
「うむ。まずは、ルーシィの敵討ちといこうか」
そう言って、彼女は僕の蹴りを片手で迎えた。
……受け止められるはずがない。
咄嗟にそう判断するが、同時に嫌な予感が走る。
まさか――と、僅かに蹴りの力を緩める。
と同時に、僕の天地は逆転した。
「柔よく剛を制す。面白い発想だ、気に入ったぞ」
とても奇妙な感覚だった。
足に込めたはずの力を、好き勝手に弄られて。
気づけば、僕の体は上下逆転。
地面に頭を叩きつけられる、直前だ。
「……ッ」
咄嗟に受身を取って距離をとる。
ダメージはない。
爺さん相手に何度も投げられてたからな。
受身は完璧、なんの問題もない……と、言ってやりたいところなんだが、そうもいかない。
「怖いですね……天才ってのは」
ルシアーナ戦で使った、柔術。
それを一目で真似して、僕相手に使いやがった。
……なんなんだこの人。
ほんとに、僕と同じ人間か?
「君にだけは言われたくないなぁ、シュメル・ハート」
聞き終えるより早く、僕は駆け出した。
ルシアーナの時のような、思い違いではない。
今度こそ――相手は格上。
そういう覚悟で、前提で臨む。
相応の対応を考えろ。
負けるところを勝つつもりで考えろ。
さぁ、格下。
どうやって下克上をぶちかます?
思考が加速する。
身体能力で劣り。
武器も木剣、話にならない。
拳も蹴りも剣も届かず。
届いたとしても歯が立たない。
おおよそ全てで負けている。
今の攻防で、彼我の実力差は浮き彫りになった。
そして僕が自覚できている以上、彼女も同じだ。
アイサ・クローズの中には、少なからず『今のシュメル・ハートならば勝てるかもしれない』と希望が浮かんだ。
シュメル・ハートはアイサ・クローズより弱い。
それが、僕らの共通認識。
――なら、それを壊すところから始めよう。
拳か、蹴りか、はたまた武器か。
意表をついて、武器でも投げてくるか?
僕が彼女なら、おそらく相手をそう警戒する。
だからこそ、その警戒のはるか外側。
論外な攻め手をあえてねじ込む。
「――は?」
警戒し、相手の見定めも一段落し。
僅かに格下、と評価が定まりつつあった頃に。
全身隙だらけの、渾身のドロップキック。
拳でも剣でもなく。
とはいえ『蹴り』の範囲には収まらない博打。
このレベルの攻防において、まず誰も選択しないであろうという攻撃手段の中から、最も視覚的にインパクトの高い大博打をぶち込んだ。
ありえない光景に、殿下は僅かに硬直する。
唖然と声を漏らして――間もなく対応に動くが、戦闘中に僅かな硬直は命取り。
――直撃。
咄嗟に腕で防いだとはいえ、本来なら決まるはずのなかったドロップキックは殿下の体を大きく吹き飛ばす。
とはいえ、衝撃を殺すには至らない。
彼女の魔導器は『5』から『4』へポイントを減らす。
「ばっ、馬鹿なのか君は!? 命が惜しく無――」
信じられない光景を、攻撃を受け。
アイサ殿下は顔を上げ、咄嗟に叫んだ。
そんな彼女の眼球へと、木剣が迫る。
「――っ!?」
咄嗟に、彼女は銀色の剣で切り払う。
想定していたはずの、意表をついた木剣の投擲。
それを想定していなかった攻撃に続けられ、防戦。
そう、防戦に回った。
なら、主導権はこっちのもんだ。
「警戒薄いんじゃないですか、格上先輩」
想定外次ぐ想定外。
意表に次ぐ意表。
完全に後手に回り、一瞬とはいえ僕から目を離した。
その瞬間を、狙い撃つ。
そのために、必要なのはただ一つ。
――一歩間違えれば死ぬ覚悟、それだけだ。
肉体が、限界を超えて躍動する。
魔力は過剰なまでに体を巡る。
肉体は歪み、魔力が骨を軋ませる。
限界を超えた強化、故の自傷。
僕が普段から行っているものを、序列戦で実行する。
ポイントは、『3』から『2』へ。
確認――同時に、僕の体は加速する。
一歩、先の世界へ。
本来であれば立ち入れないはずの、強者の域へ。
無茶と自傷でゴリ押して、無断で立ち入る。
――この速度に、今のアイサ殿下は対応できない。
彼女の背後へ回り込み。
容赦なく、側頭部へと回り蹴りを叩き込む。
肉体が消し飛ぶような軋みと共に。
瞬間、空間が弾け飛ぶ。
そう錯覚するほどの衝撃が、世界を揺らした。
たった一撃。
されど、シュメル・ハートの全身全霊。
それは大気を震わせ、空の雲さえ吹き飛ばす。
曇り空は、一瞬にして快晴へ。
観客先に張られていた魔法の防壁は卵の殻みたいに砕け散り。
多くの悲鳴がステージへ響く。
……申し訳ないことをしたな。
そう思うと同時に、声がした。
「ふっ、はは、ははは!さすがに死ぬかと思ったぞ!」
「……なんで元気なんですか、あんた」
……嫌な感覚があった。
全霊で放った蹴りのはずが。
打ち抜いた、という感覚がなかった。
どちらかと言うと――止められたに近い感覚だった。
驚き、というより呆れに近い。
舞っていた砂埃が止む。
僕の視界に入ったのは――銀色の剣で蹴りを受け止めたアイサ殿下の姿だった。
理解不能な反応速度に呆れればいいのやら。
あるいは――僕の身体強化に追いついた無茶。
そしてセンスを褒めればいいのやら。
……おそらく、ぶっつけ本番。
彼女は直感的に、僕の『超過強化』を模倣した。
見えていたわけでもないだろうに。
ただ、そうしないと負けるような気がしたから――と。
異次元の感覚でもって、僕の「必殺」を「峰打ち」まで堕とした。
それ自体も衝撃ではあるが……。
僕が反転魔法を前提として習得した、限界を超えた魔力強化。
これを見よう見まねで、『ギリギリ死なない程度』を見極めたことこそ、一番の驚異だ。
一言で表すと、【化け物】。
……これが、最高の転生先、その才覚ってやつか?
正直、僕以上に思えてならないんだけど。
アイサ殿下の腕の魔導器。
そこには、『1』ポイントの表記があった。
おそらく、今の衝撃を相殺した時のダメージと。
僕同様に無茶を通した強化の自傷ダメージ。
二つが重なっての結果が残っている。
――だが、状況は僕も同じだ。
僕の攻撃は、銀の剣で防がれた。
いくらなんでも生身で英雄の剣に太刀打ちは出来ない。
僕のポイントも、同様に『1』ポイント。
ルシアーナ戦でも味わった。
攻撃した対象が硬すぎるがための自傷だ。
参ったなと思いつつも、思考は止めない。
互いに極限。
掠り傷ひとつで敗北だ。
集中力は、自ずと高まる。
最大限警戒していたと思っていた、さらにその先へ。
極限状態での限界ギリギリまで、意識は加速する。
僕も、彼女もきっとそうだろう。
互いに余裕なんて残ってない。
そんな状況にあって――彼女は笑っていた。
「楽しそうな顔してるじゃないか、弟くんよ」
「鏡みてから言ってくださいよ、お姉ちゃん」
心底楽しそうに笑う彼女は剣を下ろし。
対して腹から笑いながら、僕は足を下ろした。
余裕が無い。
……久しぶりだな、この感覚は。
ゾクゾクするくらい、死に近い感覚。
本気で死にかねない。
いや、死なない場なんだけどさ。
そう思わされる実力者との戦いは……胸が踊るよ。
「……ありがとうございます、アイサ殿下。お陰で、久しぶりに心から楽しめました」
「もう終わった気になっているのか? 本当の勝負はここからだろう」
互いに崖っぷち。
極限状態での、一騎打ち。
……あぁ、確かに。
これ以上ない『実力比べ』だ。
そう思う。
思うと同時に、申し訳なく思った。
こっちはまだ――【本気】は出してないんだから。
僕は目を細めて、彼女を見る。
今の感情すら、きっと剣の帝王は読み取るだろう。
彼女はそういう人だ。
アイサ殿下は、少し驚いたように目を見開いて。
やがて、穏やかな表情になって目を瞑った。
「願いが叶うならば、本気でやりたいものだな」
本気、という言葉を受けて。
僕もまた、ひとつ覚悟を決めた。
舞う砂埃。
汚れた手。
この場に泥はないけれど。
まぁ、汚れなら似たようなもんだろう。
そう判断し。
僕は顔に、汚れを塗る。
「貴方の強さに敬意を表して――この先は本気でいきます」
父上、すいません。
――約束の一回はここで使います。
次回【隻眼の後継者】
第二章、最終話。




