046『新たな世界』
拝啓、父上。母上。
僕は今、シルバー先生と謎の散歩をしております。
彼と二人でやってきたのは、入学試験で一度立ち入った森の中。
前回とは違い、今回は森の外縁部だ。
魔導書の代わりに小鳥が飛び回り、至る所から小生物の息吹が感じられる。
魔物こそいないようだが……間違っても学園内にあっちゃいけない規模の大自然だ。
とはいえ、生徒の安全を考慮し、オオカミとか熊とか、危険な生き物はいないはず。
問題は……なぜこの教師は、こんな場所まで散歩にやってきたのかということ。
僕はシルバー先生の背を見て、目を細める。
「……先生、ずいぶんと森の中を歩き慣れてるんですね」
「そうですか? 見ての通りインドア派ですよ、私」
そうは言うが、彼の歩みは森に入ってからも何ら変わらない。
校舎の廊下も、舗装の坂道も、森の中も、常に一定の速度で歩いている。
……あり得ない。
そういうことが可能なのは――狩人か暗殺者くらいなものだ。
「とはいえ、私も見た目通りの年齢ではないですからね。昔取った杵柄でしょうか」
「……種族、を聞くのは失礼だったりしますか?」
「構いませんよ。私はしがない鬼ですから。誇らしくもなく、恥ずかしくもない程度です」
背を向けたまま語る彼からは、相変わらず強さを感じない。
十回戦えば十回勝てる。そう判断できるほどの脆弱さ。
魔力だって、リオと同等の魔力量しか持ってないはずだ。
それだけしか感じないはず、なのに。
……彼からは終始、小さな違和感も覚え続けている。
この人は、本当に弱いのだろうか?
しかし、思考を重ねるほどの時間はなかった。
木々の開けた先にあった、小さな花畑の前で彼は立ち止まる。
「シュメル君。あちらを見てください」
そういって彼が示した先には、木の枝にとまる小鳥が一匹。
薄緑色の羽に、黒くて丸い瞳。何の変哲もない小鳥だな。
可愛らしい、という感想しかない。
「はい、ではこちらを向いてください」
数秒経ってそう言われたため、視線を戻す。
「……えっと。何の時間ですか、これ」
あの小鳥が一匹。それだけだ。
なんか意味でもあったんですか、今の。
思わずと言いかけた僕に対して、彼は問いで返した。
「問題です。小鳥が止まっていた枝。あれに生っていた木の実は何色でしたか?」
「な……っ!」
想定の斜め上を問題が通り過ぎる。
一瞬固まり、すぐに記憶を読み起こす。
木の実、木の実、木の実……なんて、あったか?
覚えているのは小鳥のことだけ。
小鳥が止まっていた枝とか、その先に生っていた木の実とか。
そんなもんは、何一つとして覚えちゃいない。
正確に言えば――見ていなかった。
「……赤色、とか?」
「答えは『木の実なんてなかった』、ですね」
小鳥が飛び立った気配を感じ、木の枝を見る。
……ほんとだ、木の実なんて無いじゃん。
「ず、ずるくないですか?」
「そうですね。ですが、わかったでしょう? 見ることに慣れていないって」
「…………」
……認めがたいが、彼の言うとおりだった。
咄嗟のことだったし、何の前情報もない、いきなりの指示だった。
最初から木の実の個数を数えろと言われたわけでもなく、曖昧な方向を示されただけ。
とはいえ、僕はあの一瞬、小鳥一匹分しか視界から情報を拾えていない。
こんなんでは、見ていないのと一緒だ。
「これは指導ではなく、ただの散歩です。ただ、その過程で、ふと思いついたときに、今のような質問を投げるだけ。いつ、どの瞬間、どんな対象、そういったことはすべて、その時の私の気分によります」
とはいえ、「見る」だけでは簡単すぎますからね、と。
そういって、彼はぴんと、人さし指を立てる。
「問題。ここに来るまで、私が道行く人に挨拶をした回数は?」
「……っ、覚えてないですよ、そんなこと」
「そんなこと。そう、『そんなこと』です。視覚、聴覚、嗅覚を総動員して『拾う十のうち、くだらないと無意識に捨てている九の情報』を拾い上げる。君に求めるのはこれです」
彼が語ったのは、簡単そうで、果てしない難題だ。
「見て、聞いて……総じて感じて。目と耳と肌と、すべてで感じた情報をしっかりと受け取る。これを私は、空間を読む、と表現します」
「……空間を、読む」
「察した表情ですね。自分で言っておいてなんですが、瞬間ならばまだしも、常時これを行うというのは……常人にとっては無理難題です」
……そりゃそうだ。
見て聞いて、感じて。
拾った情報のすべてを記憶し、思考を巡らせるってことだろ?
それを、常時。ずっと。
……そんなもん、人間の脳ができていいことじゃない。
「少なくとも、空間を読むというのは魔法や……それこそ、魔眼の領域ですから」
魔眼、と聞いて肩が揺れた。
神の目に次ぐ先天的な視る才能、魔眼。
希少性という面では神の目には劣るが、実用性という面では比肩し、時に上回る。
魔眼とは魔法とは別種の、特殊な能力が目に宿るという特異体質だ。
時の加速、運命の書き換え――そして、超常的な空間操作能力。
そういった能力も過去には発現したことがあると聞く。
当然、玉石混交で、視力の強化程度の魔眼もあると聞くが……シルバー先生の求めているソレは、十分に魔眼の域だ。
土台不可能。無理な話。
思わずと頭をよぎった否定の単語。
「ですが」
それを自覚するより早く、シルバー先生の挑発が届く。
「得意でしょう? 人の身で、そういった無謀に挑むのは」
「……ははっ」
彼の言葉に、思わず笑みが漏れた。
……言われてみれば、覚えのある話だ。
こちとら人の身で、神の目という才覚に挑み続けた無謀者。
それが今度は、魔眼に挑むだけ。
そう考えたら一気に思考がクリアになった。
神の目への挑戦。
不可能と呼ばれた反転の使用。
その過程も、苦労も、なにもかも。
意味はあるのだと。努力は無駄じゃないのだと、僕はよく知っている。
無謀でも、努力を尽くせば不可能ではない。
それは、限りなく難しいってだけの可能なはずだ。
「とはいえ、今回は神の目の再現よりずっと『簡単』ですよ。なにせ、君は最初から下地ができている。視力、聴覚、嗅覚といった五感が十全に人の限界を超えている。君は既に、その域に至る資格を持っている」
……つまり、僕の努力次第って話か。
そう結論付け、彼を見上げる。
これは新しく。
同時に見慣れた挑戦だ。
ひたすらに工夫と努力を積み重ね。
愚直な血と汗の結晶で、魔眼という高みを目指す。
近道なんて何もないから……間違っても『簡単』なんて呼べるものではない。
「ひどい教育方針ですね。訴えられますよ?」
「何を言ってるんですか。これはただの散歩ですよ」
そう言って、彼は再び歩き出す。
僕もまた、そのあとに続いて歩きだす。
けれど、先ほどとは違う。
目を見開き、集中力を針のように全方向へと向け。
何一つとして見逃すものかと、すべてに注力する。
「視野は広く、思考は柔軟に、集中力は途絶えることなきよう」
見てこなかった音が脳を焼く。
聞き流していた匂いが、しかと鼓膜をゆらす。
知らなかった光が、鼻の奥を突く。
今まで眠っていた感覚が、無理やりこじ開けられる。
「いつか、感じるように空間を読むことができたのなら」
いまだかつて見たことのない世界。
その先で、血色の瞳は楽し気に揺れている。
「きっと君は、今より一つ上の世界に立てるでしょう」
☆☆☆
「……なるほど、そういうことか」
シルバーとシュメル。
二人が歩き出してしばらく、木々の影から一人の少年が姿を見せた。
その後ろには、二人の少女の姿が見える。
「え、えっと……つ、つまり、シュメルさんのアレって、わざとじゃなかったんですか?」
「のようだな。殿下は知っていたようだが」
リオとルナ。
二人の視線を受け、もう一人の少女――クラリス殿下はため息を漏らす。
「そうですね。シュメル様としても、できれば知られたくなかったでしょうし」
「……いいのか? 私とルナがシュメルを追ってきた時点で、止められただろうに」
「いいも悪いも、シュメル様は知った上で放任しました。なら、私はその意に従います」
クラリスの声を受け、二人は驚いた様子でシュメルを見る。
彼がこちらを振り返ることはない。
その背中はすぐに見えなくなってしまったが……二人の背には冷や汗が流れていた。
「……あいつ、つけられてると知っていたのか」
「純粋な空間把握能力に置いて、現時点においても、シュメル様は他の追随を許さぬほど優秀なのです。あのお二人が語っていた次元があまりにも高いだけで、追跡者の二人や三人、目を瞑っていても把握していることでしょう」
クラリスは、先の二人の会話を思い出す。
確かに、シュメル・ハートには欠点がある。
だが、それは完全な不完全ではない。ほんの少しだけ足りないだけだ。
振動を感じ、音を聞き、竜と自然を嗅ぎ分ける。
竜の庭で生きるために身に着けた能力は、『空間を読む』ことに片足を突っ込んでいる。
今回、シュメルが始めた新しい努力は、その知覚に『視覚情報』を継ぎ足すもの。
そして、生きるための能力を、戦うための能力に昇華させるためのもの。
「……私も負けてはいられませんね」
クラリスは拳を握り、彼の去って行った方向を見据える。
立ち止まったら終わりだ。
満足したら終わりだ。
努力をやめたら終わりだ。
彼は止まらない。その成長に終わりはない。
一息でもついたが最後、彼との間には取り返しのつかない力の差が生まれてしまう。
ならば。
シュメル・ハートを一人にはしない。
そのためだけに生きる以上、彼女の歩みにもまた終わりはない。
今再び、彼女は決意の光を目の奥に灯す。
そんなクラリスを見て、リオはぽつりとつぶやいた。
「……なるほど。これが、私が捨ててきたものか」
「……? リオさん?」
困惑を浮かべるルナに対して。
リオ・カーティスは、自覚する。
自分は未だ、そのスタート地点にすら立てていないのだと。
『未来永劫、追いつくことはない』
シュメルは言った。
努力において、リオがシュメルに追いつくことはない。
その言葉を聞いたときは、何を馬鹿なと内心笑った。
だが、現実として彼らの在り方を目の当たりにして。
「いまのままでは、ダメだ」
心の底から、そう思った。
効率的な努力の方法だとか。
最も努力を知るシュメルを倣うだとか。
彼から教えてもらうのを待っているだとか。
そんな『言い訳』を並べてる時点で、遅れが生じている。
今すぐにでも、がむしゃらに走り出さなきゃ。
おいて行かれる。
振り向くこともなく、彼らは自分をおいて行ってしまう。
「……クラリス殿下」
声色が変わる。
クラリスはリオの方へと振り返り。
その第一声に、目を剥いた。
「魔力の増やし方を知っているな? ぜひ、教えてもらいたい」
「……あなた、それをどこで」
「魔力を視ればわかる。シュメルとクラリス殿下は、明らかに異質だ。本来であればあり得ないが、なにか特別な方法で無理やり魔力の器を広げた。そういう形をしている」
彼の蒼き瞳を前に、一切の『魔力』の隠し事は通用しない。
神の目には、魔眼のような特異な能力は眠っていない。
それでも、霜天の魔女を最強たらしめた能力、その片割れだ。
魔眼とは特異性が違う。希少性が違う。
一つの時代にただ一対の蒼き世界には、シュメルとクラリスが師のもと行った『無茶』の痕跡が、くっきりと残っていた。
「だいぶ無茶を通したのだろう。努力の二文字では到底片づけられない地獄絵図。見ているだけで痛ましく、顔が歪む。そういった何かを、二人は積み重ねてきたはずだ」
「…………」
「秘伝なのだろうな。無知でも分かる。私のような馬鹿でも分かる話だ。……それでも、恥を承知で頼む。教えてください。私には、なによりソレが必要なのだ」
魔力不足。
ただそれだけで、リオの世界は酷く狭い。
無限大の可能性がその眼には宿っているはずなのに。
あまりにも、彼を縛る枷は、鎖は多い。
そんな現状に生まれてずっと悩まされてきた。
だから知っている。直感している。
魔力さえあれば、と。
魔力の有無で、彼の世界は大きく広がる。
神の目を持つ彼にとって、魔力の量とはすなわち出力であり、火力。
現状の魔力でさえ、人を殺すにはあまりある魔法を。
もっと自由に、もっと劇的に、もっと繊細に。
縛られることなく、表現できる。
「私のスタートは、そこからだ。今のままでは話にならない」
魔力を増やす。
そうして自由に戦えるようになって、初めて。
リオ・カーティスは、二人の隣に並び立てる。
「努力に殉ずる覚悟はできた。二言はない」
言葉の通り。
たとえ死ぬことになっても構わないし、恨まない。
そういう覚悟を前にして、クラリスは目を丸くする。
まるで、鏡を見ているようだったから。
「……あの方も、それくらいは覚悟の上だったのでしょうね」
クラリスは、魔女を思い浮かべてため息をつく。
彼と同じ神の目を持つ魔女が、この状況を予期できなかったとは思わない。
十中八九、予期したうえで、シュメルやクラリスに『教えるな』と念押ししなかった。
ならば、覚悟の上だったということだ。
――リオ・カーティスの魔力を増やす。
枷を取り払った彼がどれだけ強くなるかなんて……想像もつかないというのに。
「リオ・カーティス。言っておきますが、この方法で増やせる魔力量は、一度に現保有量の千分の一。あなたの魔力量を考えれば、誤差です。その誤差を手に入れるために、毎回地獄の苦しみを味わうことになりますよ」
「千分の一も貰えるのか? 地獄で踊ってもおつりがくるな」
「……曲がる気はないのですね」
「ない。断られたら泣きわめくぞ」
生まれて初めて味わうタイプの脅しに、クラリスは思わず笑みを漏らす。
「……わかりました。公爵家に、とにかく大量のマナポーションと、木の桶を用意してもらってください。地獄をお見せしましょう」
「ありがとう。感謝するよクラリス殿下」
そうして彼が踏み出すのは、無限嘔吐地獄。
幾度も魔力を空っぽにして、そのたびにマナポーションで無理やり再起する。
死にはしないが、という枕詞のついた苦痛の嵐。それも連続だ。
常人離れした精神性のシュメル。
推しのためならば何でもやれるクラリス。
この二人をして、何度折れかかったかわからない地獄だ。
そんな地獄を前にして、なぜかリオの表情は晴れやかで――。
☆☆☆
――そんな青春を傍から見ていたルナは、非常に焦っていた。
「あっ、あの! わ、私も、なんか、や、やりたいなぁ……って!」
ふんわりと。
なんか、このままじゃ私まずくない?
そんな焦燥に背を押された彼女に向けられたのは、二人の即答。
「イメージトレーニングとかはどうでしょうか。がんばってください」
「強くなった自分の妄想くらいしかないだろう。がんばれ」
「ひぃん!? も、妄想をどうがんばれっていうんですかぁぁぁああ!」
無限の魔力を持つ、神の目よりも魔眼よりも特異な少女。
この場の誰よりも才能あふれる現最弱は、盛大に泣きわめいた。
そんな彼女の覚醒は、もう少し先のお話である。




