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第4話 非現地調査

「では、さっそく明日には、第九師団の現地司令部と当該中隊の現場調査へ出発ですね!私、すぐに旅費の申請と野戦装備の準備をしてまいります!」


目を輝かせ、鼻息を荒くするエレナ・ブランカ中尉。


だが、ソファーで書面をめくっていたルイン・ヴァルハイト大尉は、面倒くさそうに片眉をひそめた。


「威勢がいいのは結構だがね、中尉。なぜこの僕が、わざわざ最前線なんぞへ汽車に揺られて出向く必要があるんだい?」


「えっ……? だ、だって大尉、さっきご自分で『特別野戦法務官の権限で現地調査を請求する』とおっしゃったではありませんか? 教本にも『現地調査権の発動に基づき、直ちに現場への職権査察を行うべし』と……」


「教本通りに『僕たちがノコノコ現地へ赴く』とは一言も言っていないよ」


「へっ……?」


あまりに堂々とした返答に、エレナは開いた口が塞がらない。


(……え? まさか、ただ移動が面倒なだけ……?現場に行くのが怖いの?)


エレナが内心で一瞬引きかけた、その時だった。


「まあ、座りなさい。僕の淹れた……いや、ハンス曹長が淹れ直してくれた美味い珈琲でも飲みながら、軍法務官なら『時間』という最も重要な計算を頭に浮かべてごらん」


「えっ……? 時、間……ですか?」


「向こうが狙っている予審の終結はいつだ?」


「た……、確か、三日後です……」


「そうだ。僕たちが呑気に数日かけて汽車に揺られている間に予審は終結され、現地に着いた頃には彼は銃殺されて冷たい遺体袋の中だ。……『現場に駆けつけた』というポーズに満足して、着いた時には手遅れ……なんて結末、君の志す正義に反するだろう?」


(――っ……!!)


エレナは背筋に冷や汗が伝わるのを感じた。


(この人は、移動を面倒がっているんじゃない……! 向こうが仕掛けてきたタイムリミットを瞬時に計算して、最も速く、最も確実に彼を救う『最短ルート』を選んでいるんだ……!)


「現地調査権の本質は、僕たちが足を運ぶことじゃない。現場のすべての作戦記録を『職権命令』で丸ごと手元へ接収し、関係者を我が陣地へ呼び出して締め上げる権利のことさ。……中尉、君が暗誦してきた規程の『運用の真価』を考えてごらん」


ルインは使い込まれた万年筆の先で、真新しい申立書の紙面をトン、と突いた。


「法務官と野戦法務官と、我々、特別野戦法務官の違いは何だい? 中尉」


いい香りがするフレンチプレスからカップに珈琲を注いだハンス曹長が、パタパタと耳を揺らしながら苦笑交じりに割って入った。


「はいはい。まあまあ中尉殿、先に珈琲をどうぞ」


「あ、ありがとうございます……」


淹れたての香ばしい珈琲を受け取りながら、エレナの頭の中で膨大な法規知識が高速で回転し始める。


「軍法務官は陸海空軍省の『軍法務局』で法令審査や裁判手続きを担う文官……個別の現場事件への直接介入権はない。一方、各師団の軍法会議に配属される野戦法務官は、現場の師団長や連隊長から直接的な圧力を受ければ骨抜きにされる……。だからこそ、二十年前の軍改革で新設されたのが最高司令部直属の『特別野戦法務官』……」


そこまで口にして、エレナの脳裏でバラバラだった知識が鮮やかに繋がった。


(そうか……! 私は『現地調査=現地に行くこと』だと教本通りに思い込んでいた……!でも大尉は、特別野戦法務官が持つ『最高司令部直属の独立管轄権』を武器として使っているんだ……!)


「特別野戦法務官は、現場の指揮系統から完全に独立している……! 不当な予審手続きに対して即座に『予審停止命令』を発令し、管轄を強制的に我が室(特別野戦法務官室)がへ引き上げる権限を持つ……!「 現地調査権」を理由にして、現地司令部に作戦記録の即時提出を義務付けてしまう。さらに、管轄違いを申し立てて手続きそのものを物理的に停止させる……!」


エレナは興奮で声を震わせた。条文の知識としては当然頭に入っていた。だが、それを「時間稼ぎと手続差し止め」の絶対的な防壁として即座に組み立てるルインの発想に、鳥肌が立った。


「その通りです。さすが首席、理解が早い。我が室(特別野戦法務官室)がの室長であるヴァルハイト大尉殿には、兵科の上級司令部が起こした不法な手続きを、この机の上から『差し止める』ことができる特別な権限があるのですよ」


ハンスは誇らしげに胸を張った。


「まあ、そういうことだ。今回の新人は優秀だな」


ルインはソファーからゆったりと立ち上がると、ガラスのテーブルへ向かった。使い込まれた万年筆のキャップをカチリと鳴らし、煤けた窓の外を指さした。


そこには道路を挟んだ向かい側、朝日に照らされて燦然と聳え立つ兵科の牙城――王都軍総司令部・本庁舎が見える。


「……中尉、当法務部がなぜ、あの絢爛豪華な本庁舎の真向かいにあるか分かるか?」


「え……あ、はい。第四分庁舎は旧軍事監獄(ぐんじけいむしょ)で、法務部は追いやられたのだとばかり……」


「逆だよ」


ルインは悪辣で不敵な、だがゾクッとするほど美しい微笑みを浮かべた。


「あいつらが悪さをした瞬間、そのままこの牢屋へ叩き込むために目の前に陣取っているのさ。……いいか、僕たちの敵は今戦争をしている帝国軍だけじゃない。書類を改ざんして軍法会議で部下を殺そうとする、身内の『兵科将校(現場屋)』もそうだ」


言葉を失うエレナの前で、ルインは出来上がったばかりの『予審停止申立書』と『現場調査請求書』に、不遜な手つきでサインを走らせた。


「さあ、デスクから一歩も動かずに、本庁舎の兵科(現場屋)の元締め(幕僚)どもに一泡吹かせてやろうじゃないか」


ルインは不敵に微笑むと、エレナへ視線を移した。その漆黒の瞳には、甘えを一切許さない厳格な法務官の光が宿っている。


「……それと、言い忘れていたが。君がどれほど正義感に駆られようと、僕の前で『違法な手続き』や『不実な証拠の提出』をするなよ。僕たちの武器は正当な法規そのものだ。もし文書屋(みうち)が不正を犯せば、僕は何者であろうと容赦なく裁くからね……特別野戦法務官補の中尉」


怖いほどに綺麗な笑顔を、ルインはエレナに向けた。


「は、はいっ! 承知いたしました、大尉殿!」


エレナは背筋をピンと伸ばし、深く敬礼を捧げた。


一見すると自堕落でいい加減。だが、その実、誰よりも冷酷に、誰よりも正確に『軍法』という刃を使いこなす特別野戦法務官室長の上司。


その背中に、エレナは強い憧れと、頼もしさを覚えずにはいられなかった。




(続)

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