731.とある公爵令息の苦悩。
【とある公爵令息】視点:
「はぁ……」
暗い気持ちのあまり、いけないとは分かっていても溜め息が出てしまう。
このような行為は周囲の気持ちを暗くするとは分かってはいるが、抑えられなかったものは仕方がない。
公爵家の嫡子に生まれ、これまでの人生はそれなりに苦労や苦難はあったものの順調だったと言える。
父上よりも寧ろ私との方が歳の近い義母上との関係も、なんとか母子と言えるようになったし、腹違いの弟とも険悪な間柄になる事なく、今まで仲良くやって来れた。
弟は寧ろ武門でもって私を支えると言ってくれたほどだし、今も魔物討伐騎士団で精進をしている。
将来的には代官として領地の一部の運営と、領民を守るための領軍を任せたいと思っているほどだし、弟もそのつもりでいてくれている。
その弟を通して知り合った令嬢は、我が家に更なる力を齎してくれただけでなく、弟の命すらも救ってくれていた。
一時期、その弟と令嬢を結びつけようと義母上が画策していたが、敢えなく失敗。
泣いて陛下に縋るほど嫌だそうだ。
その事に弟は酷く落ち込んだが、縁がなかったものは仕方がない。
そもそも弟には他に婚約者がいたのだから、最初から無茶と言うもの。
相手の令嬢も弟に婚約者がいると分かっているからこそ、逆に安心して弟と友情を育てていたと言うのだからな。
つまり異性としては見られていなかったと言う事だ。
縁が無かったから諦めろと慰めるしかない。
「リシア、何故あのような事をした?」
縁と言えば、私と縁を結び妻となったリシアによって、現在、私は苦悩の淵に立たされている。
理由は分かっている。
先程話題に上がったその令嬢が、リシアの心を掻き乱したのだと言う事は。
「そんな事、嫌いだからに決まっていますわ」
「我が家の方針は」
「知っています。
でも受け入れられないからこそだと、何故、お分かりにならないのです」
ツンと澄ました顔で、平気で我が家の方針を打ち捨てる妻の姿に、今一度深い溜め息を吐きたくなる。
妻のリシアが我が家の方針として、とある令嬢を擁護に回って動いていた事に油断をしていた。
彼女は表向きは令嬢を擁護に回っていながらも、裏で令嬢を敵対する勢力に力を貸していたのだ。
しかも、その資金源として令嬢によって齎せられた事業で得た利益でもってだ。
あの事業は父上と義母上が、私達夫婦の力になると信じて任されたものだと言うのに、それをよりにもよってそのような使い方をするなど、私だけでなく父上と義母上に対する裏切行為と言える。
「あの娘の存在は、私達の矜持を馬鹿にしたものですわ」
「彼女自身の力でもって、手にした地位だ。
それの何処が悪い」
「悪いに決まっています。
何故、分からないのですか」
「義母上とて、力を持っているぞ」
「お義母様は生まれながらに高貴な方で、それが許された方です。
あの娘と同じにしては、お義母様に失礼です」
まったく、困ったものだ。
貴族の女性は同じ貴族の男性に比べて、多くの行動制限を受けている事は知っている。
女性は親の言うままに嫁ぎ、子供を産み、家を守る存在だと言われ続けて育つ事も。
酷い家になると、余分な知識を与えず屋敷に閉じ込め、何も知らないままに嫁いで子供を産み、夫に甘えるだけの存在に育て上げる事もあるそうだ。
まるで愛玩動物のような扱いに、私からすればゾッとする話だが、それを可憐だとか言って好む男性が一定の割合でいるのも事実だ。
父上も義母上も、なるべくならば想い合った上で夫婦になって貰いたいと、リシアとの関係も私としては恋愛をして来た上で結ばれたつもりだが、リシアとしては違ったようだ。
「籠の中の鳥がそんなにも嫌ならば、何故、飛び立たなかったのかね?」
言い方は悪いが、貴族女性は一部の例外を除き丁寧に扱われる事が大半だ。
それこそ籠の中の鳥のように可愛がられる。
私はそのつもりでリシアに接した覚えはないが、貴族女性がそう例えられる事は知識としてはあるし、そう言う扱いをしている知人も多くいる。
倫理観を無視して言うのであれば、その飼い方の方針が家によって様々だと言うだけの事だ。
「そのような冷たい事を何で言えるのです。
籠の中で育った鳥は、外に出ては生きてゆけない事くらい常識ですのに。
アナタのそう言うところ、嫌いですわ」
「今更嫌われていたと知っても、もう私にはどうする事もできない。
だが、彼女はそれでもその道を選んだからこそ、得れた力だと私は思っているのだがね」
「偶々あの娘が魔法の力に恵まれて戴けです。
あの娘の力とは認められません」
その魔法の力があったからこそ、その力に身を侵され、生まれながらに何度も死に瀕していたと聞いている。
少なくとも妻が言うように簡単に得れた力ではないだろうし、苦労をしていない訳ではない。
貴族の価値観で生まれ育った者が、市井の中で生きる事は決して楽な事ではなく、寧ろ身を持ち崩す事が大半だ。
まだ成人する前の幼い時に家を飛び出たのであれば、それこそ妻の言うように例え魔法の力を持っていようとも、身を持ち崩したり死ぬ可能性の方が高かったはずだ。
それでも彼女が生き残り今の地位を得れたのは、彼女が幼い頃より努力をし続けて来たからこそだろう。
まったく、自分で籠の外では生き残れないと口にしながらも、その籠の外で生き残れた事がどれだけ凄いかを認められないのは、それこそ傲慢な考えだと何故認められないのか。
もっとも妻の場合は、それだけの理由ではなかったようだがね。
「そんなにもジィーヤが取られた事が憎かったのかね?」
「ちがいますっ。
何を言っているんですか。
あの人はなんの関係もありません」
瞳に動揺を浮かべて何を言っているのか。
それこそ、妻が見下すあの令嬢以下の愚かさだ。
あの令嬢は、気を許していない相手の前では完璧に近い振る舞いをするからな。
「君の此れまでの行動を調べさせた結果、ジィーヤがあの家に行ってから活発になっているのは分かっている」
ジィーヤは私の片腕として、私に尽くしてくれた執事の一人だ。
頼りになる歳の離れた兄的な存在として共に育ち、私も全幅の信頼を寄せていたし、例え病気に侵されたと聞いた時も、彼を手放す気など最初からなかったさ。
だがジィーヤの意思は固かった。
その理由の一つは、認めたくはないが妻のリシアの存在だ。
どうやらリシアはジィーヤに全幅の信頼を寄せていたようだ。
ただし、私とは違う意味でだ。
『私の勘違いであればそれで良いのですが、主人を裏切る行為は出来ませぬ故に、どうか私の最後の我儘とお思い、身を引かせて戴けないでしょうか』
最初は信じられなかった。
ジィーヤの勘違いであり、妻の行きすぎた甘えでしかないのだと。
だが、今ならばジィーヤの懸念が現実だったのだと思い知らされる。
「関係ないと私は申しましたわ。
そもそも彼を病気のままに放り捨てておいて、今更彼の名を出すなど卑怯ではありませんか。
我が家ならば、彼の病気を遅らせる事くらいは出来たでしょうに」
「そうだね。
幾ら薬が高くても、ジィーヤを失う事に比べたら惜しくはない端金だし、ジィーヤを引き止めれなかった事は今でも悔やんではいるよ」
「ならば」
「だが、ジィーヤはもう他所の家の人間だ」
まったく、なんでそこに期待をした目を向けられるのか。
確かにジィーヤの目の薬代など惜しくもないし、彼から受けた恩はその程度で返せれる物ではない。
だがそれでもジィーヤを外に出したのは、ジィーヤ自身がそれを望んだからだ。
自分程度の事で我が家の財産を削る訳にはいかないと。
そして……。
『リシア様は魅力的な女性ですが、私には生涯唯一人の女性で十分です。
亡き妻を裏切るような真似は、決してしたくはありません』
日に日に積極的になる妻に疲れたのだと。
妻の周りの使用人に固く口止めしたまま黙って家を出た事が、このような形で仇になるとはジィーヤも思いもしなかっただろうね。
「まぁいい、君が認めようが認めないが、君がスデカーバ伯爵、ナダズク伯爵、ロヤスカ子爵の三家に資金を流していた事実は覆しようもない事実だ。
他にもあるが、名前を挙げるのも馬鹿らしい程在る。
只、言えるのは、そしてその資金は我が家のために使われるべきであって、君が自由にして良い資金ではない」
かの令嬢に領地戦を仕掛けた三つの家に、まさか我が家が関わっていようなどと思いもしなかった。
国の調査でその事が発覚して知らせを受けたのが、先日その令嬢に頼まれて父上も義母上も令嬢の領地まで訪問して帰って来た後だけに、父上も義母上も怒り心頭だ。
我が家だけでなく、王家や古き血筋、国の上層部が令嬢を平和的に迎え入れている中で、妻のしでかした事は正に我が家の名に泥を塗る行為だと言える。
「あら、私もあの事業に関わっているのですから、少しくらい自由にする権利がありますわ」
「自由に出来る金額の桁が違いすぎるし、あの事業は誰のおかげで得れた技術だと思っているのだね」
「さぁ、そんなものは関係ありませんわ。
私、言いましたわよね。
あの娘の力など認められないと」
妻のその言葉に、私の中に残っていた妻への思いが急速に失われて行くのを冷たく感じる。
賢い女性で愛情深い人だと思ってはいたが、まさか此処まで愚かしい人間だとは思いもよらなかった。
「……そうか、君がなんて思おうと、君が行った事に対する事実は変わらない。
君が我が家に黙って力を貸したその三家が、領地戦で負けた事は聞いているよね?」
「ええ、あれだけ力添えをしてあげたと言うのに、大敗したと言うのですから、情けない話ですわね」
「君はその力が我が家に向けられるとは、少しも考えなかったのかね?」
「それこそ、あの娘を潰す良い口実になりましたわ。
信じていた我が家に裏切られて戸惑えば、それだけあの娘を懲らしめれる可能性が高くなりましたもの」
ああ……、妻は、もうどうしようもない。
父上と義母上に頼み込んで、こうして最後の会話の機会を得たのだが、最早意味などなかった。
「リシア、君への処分を伝えよう。
私達の婚姻の契約を解消し、君を実家に戻す事に決まった。
子供達も連れて行くように」
「まぁ、愛する妻と子供を追い出そうだなんて酷い人。
憎々しい娘だとは思いましたが、こうなるだなんて、あの娘は私の予想通り私達の敵だったと言う事ですわね。
私達から何もかも奪おうと言うのですもの、私があの娘を憎々しく思ってしまうのは当然の事ではないですか。
アナタは憎くありませんの?
次期当主の座を奪われる事になるのよ」
おもいっきり頭を殴られたかの様に、クラクラと眩暈がする。
妻の言っている言葉が、異質すぎて理解できない。
できないが……、理解できる事もあるし、そもそも弱音などは吐いていられない。
「次期当主は私だ。
これは義母上が我が家に嫁いで来た際に、義母上自身が決めた事であり、今回の決定後にも義母上自身も賛同してくださっている。
私の後継には養子を迎える事にしたから、我が家とは関係がなくなる君が心配する事ではない」
新たに妻を迎えて子供を産ませる事も検討されたが、リシアを妻に迎えた私の責任もある。
故に次案として上がった弟の子供を、私の養子に迎える事にした。
血筋的には申し分ない。
むしろ血筋だけで見るのであれば、私よりも良いくらいだ。
弟から子供を取り上げてしまう事に心から申し訳ないと思うが、家のためだと耐えて貰うしかない。
「本当に冷たい人ね。
私はともかく、子供達に愛情はないのかしら」
その言葉に妻が何を考えているのか、まったく理解できない。
あれだけ心を通わせあったと思っていたのに、あれは私の幻想だったのかと、現実を叩きつけられた気分になる。
それならば、何故彼女を敵に回す真似をしたのだと、怒鳴りたくなる衝動さえ消え失せて行く。
ジィーヤが妻から逃げたくなる気持ちが、今なら理解できる。
「あるさ、少なくとも今の君よりはね。
それと君は彼女を認めないと言ったが、私も言わせて貰おう。
彼女は領民のために戦える領主であり、立派な貴族だ。
そして君の行いは只の我儘な子供の延長でしかない。
今の君こそ貴族の淑女とは、私は認められない」
もう話す事はないと言わんばかりに、私は一方的に席を立ち彼女の部屋から逃げるかの様に退出する。
いや、実際に逃げたのだろうな。
まったく、我ながら自分が情けないばかりだ。
そして妻の愚かな行為を止めれなかった事に、妻に申し訳ないと思ってしまう辺り、尚更に次期当主としても情けなくなる。
本当に申し訳ないと思うべきは迷惑を掛けた令嬢であり、今回の事に巻き込んだ両親や弟夫婦と、もう顔を合わす事のなくなる子供達に対してなのに。
妻は彼女の実家で、生涯幽閉される事が決まっている。
子供達も貴族の縁者扱いとして、今後を生きて行く事になるだろう。
おそらく二度と私と顔を合わす事はあるまい。
それもこれも私が妻の心を理解し導いてやれなかったからだと思うと、過去の自分を殴り飛ばしたくなる。
妻はきっと悩んでいたはずだ。
今まで自分が生きて来た価値観と、それを否定するかの様な我が家の方針に。
「父上、御温情をありがとうございます。
おかげさまで妻……いえ、元妻であった彼女と最後の言葉を交わす事ができました」
父の書斎に赴き、妻への処分を無事に言い渡した事を報告する。
婚姻の契約解消の手続きは、当人達がいなくとも両家の当主と見届け人がいれば成立するし、今回は私自身も解消手続きの書類にサインもしているため処理は早い。
書類上は既に妻との婚姻関係は解消されており、妻に処分を言い渡した時点で、私の気持ちの中でも婚姻関係は解消されている。
ただその残骸が、私の心を苦しめているだけにすぎない。
「こう言った事の後で言うのもなんだが、後妻も考えておく様に」
「まずは彼女への謝罪でしょう」
「ああ、だがそれは私の仕事だ」
「元妻がしでかした事ですので、私も謝罪の場には出席させて戴きます」
次期当主として、妻がいない状態のままでいるのは、世間的にあまり良ろしくない。
弟の子供を後継として養子に迎える以上、新たな妻との間に子供は必要ではないが、子供が出来ても問題はない。
単に後継ではない子供だ、と言うだけに過ぎないからだ。
新しく妻として迎える事になるであろう相手と、その家にもその事は最初からハッキリと告げておく事になる。
どちらにしろ、今はそんな事など考えられない。
せめて一年は時間を置きたい。
結婚をする気のない彼女の家の後ろ盾になるためにも、私自身は結婚しておいた方が有利なのは理解しているからな。
はははっ、此処にも立派な矛盾があったな。
つい笑ってしまう。
だが、矛盾などこの世に幾らでもある。
ただ元妻の世界には、それを受け入れるだけの広さが無かっただけの事だったのだろう。
悲しい事だけどな。
だがそれでも受け入れなければいけない。
私は、多くの領民の命を預かる貴族なのだから。




