323.結局、私ができる事なんて何も無いのよね、悲しい事に。
「ん〜〜♪ ん〜ん〜〜♪」
「……」
柔らかい茶色い髪を優しく指で梳きながら、ゆっくりと鼻歌にリズムの乗せて行く。
太腿から伝わってくる確かな感触が、子供の頃と違って重く感じるけど、それでもそれが心地良い感触であり、重さである事は、昔から少しも変わっていない。
いや、今ではむしろ愛おしさがあるくらいだけど、そう思う反面、心の中は少し落ち着かない。
珍しくエリシィーの方から、こうやって甘えてきて……。
『……ねぇ、以前みたいに何か歌って』
歌と言っても、恥ずかしいからリズムのみで、前世の流行歌のハーモニー。
エリシィーの前でだなんて、本当に何年ぶりだろうと思うほど。
だからこそ思ってしまう、何があったのだろうと。
彼女を悲しませている物の正体を……。
失敗やドジをした程度では、エリシィーはこうならない。
私には言えない、……言いたく無い事を抱え込んでいるんだって。
今思えば、昔、彼女がこうした時は、彼女なりのSOSだったのかもしれないし、あの修道士にされた後だったのかもしれない。
そう思うと、居ても立っても居られない。
でも、勝手に決めつけて動くと、エリシィー怒るんだよね、困った事に。
まぁ怒られて済むのなら、幾らでも怒られるんだけど。
「…ねぇ、ユゥーリィ」
「ん、な〜に?」
「…なんでもない」
「私じゃあ駄目?」
うつ伏せのまま小さく、それでもしっかりと自己主張する彼女が、より一層愛しくなる。
力になりたい。
彼女の心に曇らす物を晴らしたい。
でも、結局できる事は、こうしてエリシィーも見守る事だけ。
幾ら魔法の力があろうが、貴族になろうが、こう言う時は無力でしか無い。
彼女の言葉がなければ、どうする事もできない。
「…私、此処にいて良いよね?」
「もちろん、と言うか居てくれなきゃ、私が困る」
「…でも、居なくてもやってきたんでしょう?」
「もう無理、エリシィーが居ないと寂しくて死んじゃう」
「…そっか、なら、頑張れるかな」
我ながら、真剣に悩むエリシィーに我が儘で身勝手な酷い内容の返答だと思う。
でも、何処までも本当の気持ちでもある。
彼女には昔から理由をつけて心の中に壁を作ってきたけど、それでもその壁を打ち破ってきた彼女に対して、開き直った私の素直な想い。
だから、優しく彼女の髪を梳く様に、頭を撫で続ける。
私の想いが届く様に……。
彼女の悩みが打ち払えれる様に祈りを込めて……。
何度も……、何度も……、飽きる事なく……。
「もう、ユゥーリィ甘やかせすぎっ!」
うん……、でも、これは何度やられても解せない。
元気に起き上がってプンプンして見せる彼女には、苦笑が浮かび上がりそうになるけど、エリシィーなりに少しは心の中で踏ん切りがついた証でもあると思う。
出来る事ならば、それが諦めと言う方向でない事を祈るのみ。
「じゃあ、今度は私の番」
「もう、しょうがないわね」
言葉とは裏腹に、優しい表情で太腿をポンポンと軽く叩いて、お誘いしてくれるけど、残念ながら今求めているのはそっちじゃなく、夜のお誘い。
無論、ごく普通に清い夜のお誘いですよ。
指を絡ませて一緒の布団に眠るだけ。
こらこらっ、むくれないの。
エリシィーに興味がない訳じゃないから。
「ただ、ゆっくりと、エリシィーとの静かな夜を味わいたいだけ。
……駄目?」
「……ユゥーリィって、本当に色々と狡い」
何が狡いか分からないけど、狡くて結構。
それで、エリシィーとの静かな夜を……。
大切な確かな想い出を作れるなら……。
エリシィーの力になれるなら……。
幾らでも狡くなって見せるだけ。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
【商会、森の滴にて】
おやすみのキスと称して、本気のキスで人の身体のテンションを上げておいて、とっとと隣で静かな寝息を立て始めた小悪魔なエリシィーとの清い一夜は、悶々としつつも、彼女の可愛い寝顔を見続けていると、自然と落ち着いていくのだから不思議だよね。
何処までも、守りたい子だってね。
それはさておき、エリシィーの心のケアとは別に、問題探しに勤しんでみると、原因は身近な所にあった。
「ふ〜ん、そう言う事ね」
ここ数日、エリシィーの護衛に付いていたアドル達に聞いても、特にエリシィーに変わった事や、誰か不審な人物が接触したと言う事も無いのなら、侍女教育を受けているコンフォード家か、此処かだと思っていたけど、どうやら此方で正解だったみたい。
副商会長であるゼルの報告に、静かにゆっくりと心を落ち着けるように息を吐くのは、そうしないと意味もなく怒鳴りたくなってしまうから。
「それで、その飼い主の家族に吠える躾のなっていない駄犬達は、貴方の仕込みなのかしら?」
「まさか」
「ゼル」
「本当ですよ、ただ、敢えて放置しておいたのは確かですがね」
「……そう、そう言うことね」
エリシィーの気落ちしている原因は、ごく一部の商会員や出入りしている人間からの虐め。
暴力的な物ではなく、咎めるまでもない様な小さな数多くの意地悪と、彼女の出自に対する悪口など、彼女に対する風当たり。
特に、エリシィーが私の片腕として教育を受けているとして知られてからは、少しずつ陰湿さが増していたとか。
『幼なじみかどうか知らないけど、青い血も流れていない者が何時迄も横にいられると思っていると本気で思っているのか?』
『平民なんかが横にいたら、足手纏いになるって分からないとはおめでたいわね』
『ふん、あんな事もモタついているなんて、所詮は平民か。
あーあ、こんな奴に顎で使われないといかないのか、たまったもんじゃねえな』
まぁそんな事を言われたり、敢えて聞こえる様に独り言を言われたりが、此処最近が特に酷いらしい。
そりゃあ、仕事を兼ねているとは言え、教育を兼ねている以上、護衛のアドル達は邪魔にならない様に控室で待機しているか、表を警備しているしかないため分からないわよね。
ゼルが見てくれているから、安心できると言う信頼があったからね。
そして、エリシィーも、そう言う事は顔に出さないから、尚更か。
「それで、実際のところ彼女の習得度としてはどうなのかしら?」
「平民の出としては頑張っていると思いますが、貴族の出の方には足掻いているだけで何もできない小娘と写っているでしょうね」
「回りくどいわよ」
「本人なりに死に物狂いで頑張っていますし、その成果は出てきています。
ただし、それは実務に特化したもので、貴族に対する機微等は所詮は手習程度のものですから、それが気に食わなく見えるでしょう」
「ふぅ……そう、流石はってところかしら。
とにかく、よくエリシィーを鍛えてくれたわ」
陛下が寄越したこの年配の男は、本当に私の事を考えて、彼女が私の横で居られる様に鍛えてくれている事に感謝する。
見た目や周りの評価を気にしない私をフォローするためではなく、平民であるが故に、相手を実力で黙らせるための力を身に付けてもらうための教育。
それに貴族としてのフォローは、エリシィーではなくジュリ役割になるし、こう言っては悪いけど、この先どうあろうとも、エリシィーが私の側にいる限り、そう言った事は言われ続ける運命にある。
例え、私の力を貸してくださる高位貴族の方に、エリシィーをなんの権利の生じない養女にしてもらって貴族籍を得たとしても、それは変わらない。
貴族の籍があっても、貴族の血を引いていない事を理由に言われるし、そう言う形で貴族籍を得た事を理由に、更に言われるだけの事。
そもそも、そう言う事を平気で言う連中は、相手が貴族だろうが平民だろうが、結局は関係ないのだ。
相手を貶める事で、自分の心の平穏を保とうとしているだけに過ぎないからね。
無論、中には心からの忠告として、そう言う言い方をする人もいるけど、そう言うのは少数派だし、そう言う事が分からないエリシィーじゃない。
幼い頃から教会で生きてきたと言う事はそう言う事だし、短いながらもお父様の商会でお世話になっていたのなら、そう言う事は教えられてきているはず。
でも、そんなエリシィーが自分で答えを出したとは言え、ああして甘えてきたと言う事は、彼女のキャパシティーを越えようとしていたから。
「何処まで煽っているかは知らないけど、最初に言った事、忘れていないわよね?」
私は最初に言ったはず、遣り過ぎは駄目だと。
彼女は私の大切な家族だと。
「無論です。
ですが、その前に一つだけお嬢様に御確認させて戴きたい事があります」
「何をかしら?」
「彼女は貴女へ何か?」
「別に、何も聞いていないわよ。
困った事に、あの子、昔からこう言う事で助けを求めないのよね。
適当に甘えてきて、それで終わり。
下手に手を出すと怒るから、一先ずは事情だけは知っておこうと思ってね」
「……なるほど、どうりで顔付きが変わっていると思いました。
それと言うのも、お嬢様が此方へこっそりと来られる前に、少々逸脱した事を遣られておりましたが、素知らぬ顔で対応されたので、何かあったのか気になっていた所にお嬢様の急遽な来訪、私の方も少々彼女に落胆したものですが、どうやら私の早とちりだったようで」
なるほど、私がその内なんとかすると、安心しているだけだと思われたのね。
でも残念、エリシィーはそこまで弱い子じゃないから、逆に心配なのよね。
あの子、どうやら私のためには、何処までも我慢する傾向があるから……。
「あの子の頑張りを、私が勝手にフイにする訳にはいかないでしょう」
「解って戴けておられるのであれば、なによりです。
…が、この課題はもう終了にしても良い頃合いの様ですな。
自分が何のために頑張っているのかを、自分で再確認する方法を持っているのであれば、これ以上は不要でしょう」
「……そう、結局、私は今回も、全部終わってからしか動けなかったと言う訳ね」
理由はどうあれ、その事が悔しい。
私の手は子供の頃より長くなったつもりだけど、それでも彼女を守れない事が……、またもや救い出せなかった事が悔しくなる。
全てから彼女を守るなんて事は出来ないと分かってはいても、どうしてもそう思ってしまう。
「いえいえ、お嬢様がお嬢様らしくある事、それが一番彼女を守っている事になります。
その事をくれぐれもお忘れなき様に」
「……そうね。
多分、貴方の言う事が一番の正解なのでしょうね。
でも、そう言う言葉を、ちゃんとあの子にも掛けてくれると嬉しいのだけど」
「彼女に与えた厳しめの課題も無事に乗り越えたようですので、これからはそうさせて戴きます。
それと躾のなっていない駄犬は、再調教させて戴きますし、少々逸脱した愚か者にはそれ相応な目にあって貰います」
彼が、そう言うのなら私はその言葉を信じるだけの話。
実際、彼は誠実に働いてくれているし、注文通りエリシィーを私の片腕の一人になるよう鍛えてくれている。
まぁやり口は、流石はあの陛下の所に居ただけの事はあるとは思うけどね。
それにしても、国の情報部にいた人間が、こんな小娘の所にずっと居て不満にならないのかと思ってしまう。
だからその事について聞いてみると。
「それが陛下から与えられた役目でございますし、本当の名前を名乗らせて戴いた時に申し上げたように、国や陛下よりもお嬢様の事を最優先せよとの事ですので、それを守らせて戴いているだけです。
まぁ建前はそんな所ですが、実際にお嬢様の考え方や発想そして遣り方は面白いですからね、この歳になっても色々と勉強になりますし、お嬢様が許可した物については国の方にも流しておりますので、国のためになっています。
そもそもこの商会そのものが、巡り巡って国益に繋がっておりますからね、遣り甲斐について不満など生まれるはずがありません。
それに俗物的ですが、御給金につきましても国からもお嬢様からも戴いておりますから、私の老後は心置きなく、悠々自適な隠居生活ができそうですよ」
この男の言う事だから、何処までが本音か分からないけど、まぁ今はそう信じるしかないわね。
ところで、エリシィーに対して少々逸脱したと言うのは?
……巫山戯て、後ろから胸とお尻と太腿を揉みしだいたと。
ふ〜〜〜ん、そうそう言う事があったの。
その男、今直ぐに此処に連れてきなさいっ!
……私が手を出せば、エリシィーの努力を無駄にしかねないと。
いや、その後身体強化の魔法で力尽くで振り払ったとか、その後で横にあった木の杖を捩じ切って相手の顔を青くさせたとか、やった事に対する罰や償いとは全然関係ないからっ!
とにかく、そんな事はどうでもいいから、その男を、…分かったわよ、そんなに睨まなくても、貴方に任せると言った以上は貴方に任せるわ。
此処でまた私が顔を出したら、私がいたからだと言われるだけだものね。
「私は今日、此処には来なかった。
来た時同様に空間移動の魔法でコッソリと帰れって事でしょう?」
「御理解戴けてなによりです」
「でも、せっかく来たのだから、お土産ぐらいは置いてゆくわ」
私は収納の魔法から、ポーションを数本取り出して机の上に置いて見せる。
ゼル、貴方なら意味は分かるわよね?
「本日の業務終了後、全てその者に使わせて戴きます」
「理解して貰えて、なによりだわ」




