1013.とある小子爵の旅行記、その碌。
【グラード・ウル・グットウィル小子爵】視点:
「……ハインリッヒ卿、自分が未熟である事は承知の事でお聞きしますが、……卿が住んでおられるリズドも、この街の様なのでしょうか?」
夕方、義妹の屋敷でマイヤーソン子爵を尋ねると、昼間から胸に抱えていた疑問を情けなくも明かす。
最初の内は出来たばかりの港街という事もあって、目新しい物に目が行ってばかりで気が付くのが遅れたが、この港街もあの村同様に異常に溢れているように感じた。
一々例を挙げてはキリがないので挙げはしないが、どう考えても私の知る常識とは掛け離れた街としか思えない。
「……ははははっ、リズドの街は確かに此処数年で更に発展したが、此処に比べたらまだ常識の範囲だと言えるに決まっているではないか」
乾いた視線と笑みに、ですよねぇ〜、と心の中で重く同意し、強い安堵感に包まれる。
と言うか、一緒にするな、と言わんばかりの言葉に、子爵も色々とこの街のおかしな所に目にしたんだろうな。
「奥様の方は?」
「妻は今は無理だな。
図書館とやらに使われている様々な手法や、膨大な本の内容に夢中で、まったく気が付いていなさそうだ。
本の事になると夢中になる姿は可愛いのだが、その事で周りが見えなくなるところがある。
おかげで私が二刻ほど離れて、街を散策した事すら気が付いていなかったぞ。
声を掛けても生返事を繰り返すばかり、その癖して買ってきた物を一口分の大きさにして口許にやると、無意識に反応してパクリとな。
まるで子猫に餌を当たる気分になるのだが、この時のラフェルの姿が、これまた可愛いくて益々愛しくなるのだが、そんな夫婦間の空気を読まずに『館内の飲食は指定の場所でお願いします』と係の者に五月蠅く言われてしまった。
無論、本好き妻の前で本を汚すなど、恐ろしい真似など出来る訳がないのだから、細心の注意を払っているというのに、『規則ですので』と貴族が相手であっても譲らん。
幸いな事にユゥーリィ殿から与えられている身分証の札は、その勧められた場所への本への持出は可能であった為、それとなく妻を誘導して続きを楽しんだのだが、こう素手で与えると彼女の瑞々しく艶やかで柔らかな唇が、私の手に触れられた時の感触はなんとも幸せな気分に─────」
いやいや、この人、何を言っているの?
先日の事もあって生真面目な方だと思っていたのだが、目の前の人物は父上以上の愛妻家だったとは、実に羨まけしからん。
私が妻に同じ事をやっても……。
『そんな子供みたいな真似をしないで下さい。
子供達が真似をしたらどうするんですか』
とお叱りを受ける事になる。
妻曰く、時と場所を選べと言う事らしいが、その時に妻を愛でたいと思ったのだから、もうそれは仕方がないではないかと思うのだが、妻は人目を気にしてさせてくれない。
人目も憚らずに己が妻を愛でれる子爵が羨ましく思う。
思うが……。
「─────後になって、本に夢中になっていた時の事を思い出すのだが、その時の顔を赤くして恥ずかしがる姿は、もう誰の目にも触れさせたくないくらい可愛くてな、今は部屋で羞恥心で悶えている最中だ。
流石に昔のように出掛け先でと言う事はなくなったのだが、その分だけ溜め込むようになっている様で、これまた良いのだよ。
その姿を堪能したいというのに、夫である私を部屋から追い出すなど、酷いと思わないかね?」
「ははははは……、まぁ御婦人の意思を尊重すべき時は多々あるでしょう。
私も妻の姿を愛でたいと思う時は多々ありますが、残念ながら恥ずかしがって人前では見せてくれませんよ」
思うが、ちょっと此処まではついて行けそうもないな……。
妻を愛する気持ちで負ける気は欠片もないが、他人に対して惚気れるのとは別だ。
私も多少そういう所が無い訳ではないが……、それは常識の範囲であって、変態性を見せる様な真似はしない。
せいぜいが妻への愛を、大声で声高々に叫ぶくらいだ。
そんな私の心の内を読んだのか……。
「ふふふっ、若いですな。
これがその内に快感になると言うのに」
「……ははは」
確かにそう言う趣味趣向があるのは知識としては知っているが、出来ればそう言うのは知りたくはないですよ。
と言うか、そちらの道に誘わないでください。
「まぁ、卿を揶揄うのはこれくらいにして、先程の反応から察しさせて戴くに、この街で行っている手法を取り入れたいとお考えですかな?
だがどうすればユゥーリィ殿の協力を得られるのか、そして幾ら己が妻の妹とは言え、そこまで求めるのは甘えではないのか、と葛藤されておられるのでは?」
「……、……」
初めて目の前の男に恐怖を感じた。
片腕一つで制圧出来る自信はあるが、それとはまったく別の所から来る恐れ。
何故なら先程口にされた事は、私が悩んでいた事その物だからだ。
「若いですな。
もう少し表情を作り、感情を見せぬ努力をした方が良いですぞ。
一見、幼い子供のように表情豊かで、偽る事を知らぬように見えるユゥーリィ殿は、ああ見えて貴殿よりもよほど仮面を被っておりますぞ。
正確には素と仮面との切替、更にはその仮面の強度の調整が、非常に巧いのですがね。
それと『何故?』と思われたかも知れませんが、なに簡単な事ですよ。
私も同じ事を一瞬とは言え考えたからです。
無論、直ぐに自らの愚かな考えを否定しましたがね」
「愚かですか?
どう見ても民の為になりますし、領地が栄える事に繋がります。
ハインリッヒ卿は法衣ですので領地はお持ちではないでしょうが、文官という立場からその手腕を活かせる事には違いないでしょう?」
子爵は私の考えを鼻で笑う。
だから若いのだと。
「理由は幾つかありますが、まず大きく挙げるのであればコレです」
そうして懐から出したのは、滞在中は所持しているように言われた身分証。
この身分証は魔道具の一種で、身分証としても階位があり、私達に貸し与えられたのは貴族用の物で、尚且つ義妹の客人と言う事でかなり優遇された階位の代物らしい。
「軽く聞き込んだところ、偽装はほぼ不可能な代物で、本人にしか使用出来ないようですな」
口にしながらも手にした身分証の札は独特の模様に薄らと輝く。
身分証の札には個人の魔力が登録されており、身分証の札僅かに魔力を流せば、登録した当人の魔力にのみ反応して今のように薄らと輝く仕様らしい。
「例え登録した当人の魔力であっても、当人の魔力を込めた魔導具越しとでは、反応が違うように作られているそうです。
この街の施設の殆どは、この身分証の札によって出入りを管理し、時には鍵となっている様ですが、肝心なのはこの身分証の札によって、住民全てを管理していると言う事です。
住居の有無から年収による税の取り立てなど、本当に多岐に分かって身分証の札に記載されている番号と記号によって管理されている。
想像でしかありませんが、そのような事が出来るなど、かなり高度な魔導具で管理されている事には違いないでしょう。
さて、そのような魔導具を我々は購入出来るのでしょうかね?」
「うぐっ」
た、確かに……。
元が高価では、幾ら身内価格にしてくれたとしても、子爵家程度が購入出来る価格になるとは思えない。
下手をすれば伯爵家とて厳しいだろう。
義妹は素材から全て用意出来るほどの腕利きの魔導士でもあると同時に、優秀な魔導具師であるからこそ、自前で用意出来ると言うだけに過ぎない。
「例え、コレを用いずに従来の方法でこの街にある手法を取り入れようとしたとして……、さて、それが必ずしも良い事なのでしょうか?
確かに目新しく便利な物が多くあります。
民の為になっている事も、その事で生産性が上がっている事も、想像するに難くありません。
ですが十年後、三十年後、五十年後、果ては百年後はどうなっている事か。
目先の事に目を取られて、長い目で見た場合、それが必ずしも良い事とは限らないのです。
無論、中にはそのまま取り入れても構わないような物がありますが、問題はそこではなく、魔法や魔導具に頼りきった政治など、その世代に限った事となり、後が続かない危険性があると言う事です。
魔法の才能は必ずしも遺伝するとは限りませんからな」
子爵の言葉には納得せざるを得ない。
長い年月を経てしか分からない物はある。
「他にも現状では参考にはなり得ない理由があります」
参考になり得ない?
幾ら何でも、それは言いすぎでは?




