第9話 学園生活一年目 ⑦
「やっぱり、君って甘っちょろいよね」
いきなり話しかけてきてこれとは。しかもどこか呆れているエルヴァレン。なんで私は呆れられているんだろう。
「今度はなに? 言っておくけど、リリアーヌとの話の内容は教えないからね」
「大丈夫、それに興味はないから」
「じゃあなに? もうすぐ授業始まるけど」
私は隣に顔を向けると、エルヴァレンは頬杖をつきながら視線だけを私に寄越していた。
「……君がアスラム伯爵令嬢と何を話していたか、さっぱり検討がつかないけど、余程仲が深まる話をしていたんだろうということは予想がつく」
「それがどうしたって言うの?」
話が見えず、私は首を傾げると、彼は私から視線を外し、端的に告げた。
「さっきの君の発言。既にアスラム伯爵令嬢について噂話のように広がっていたところに君本人がアスラム伯爵令嬢を庇うような発言をしたことで、アスラム伯爵令嬢は以前ほどとはいかないけど、今回の事件にしては孤立することになるのは少ないだろう」
そこでエルヴァレンは一呼吸おき、再度口を開いた。
「けれど、人の口に戸は立てられない」
「それは……」
「まあ分かっているならいいよ。僕としても、あの時君が彼女を許したというのなら僕もこれ以上何も起きないようにするだけだから」
なんだか結局話が読めない。すると、エルヴァレンの前に座っていたレオン殿下が面白そうに後ろを振り向いたかと思うと、私に告げてきた。
「ユリウスが先んじて貴族たちに話をしておいたんだ。噂は広がるだろうが、アスラム伯爵令嬢にとってもそこまで痛手になるようなものは広がらないはずだ」
その言葉に目をぱちくりとさせる。隣のエルヴァレンはと言うと、少し不貞腐れたようにレオン殿下を見ていた。
「殿下……」
「なんだ、ユリウス。事実なんだから、言ってしまっても構わないだろう」
レオン殿下はそれだけ言うと、再び前を向いてしまった。私は思わずエルヴァレンに視線を向ける。
「……なに?」
「いや、まさか口止めみたいなことをしているとは思わなくて」
ポロッと言葉を零してしまうと、エルヴァレンは眉を寄せ、ため息をついた。
「……別に、アスラム伯爵令嬢を庇うためじゃない。君がもういいと言った問題を関係のない第三者がペラペラと話すのは違うと思っただけさ。それにアスラム伯爵令嬢のしたことは許されないことだと思うけど、今回の件で彼女が学園内で孤立するのはあまりに不運だと思っただけ」
誰もそこまで聞いてはいないが、エルヴァレンのおかげで私の想像よりもリリアーヌがこの後の学園生活に苦労がなさそうだと気付き、嬉しく思った。
「そっか。ありがとう」
だから感謝の言葉を送ると、エルヴァレンは何故か目を見開き、反対を向いてしまった。かと思うと、小声ながらも呟きてきた。
「―――やっぱり、君は甘っちょろい」
なんで最後の最後でばかにされないといけないんだと思うも、ちょうど鐘が鳴ってしまったため、私は口を開くことなく、ぐぬぬと唇をかみしめるだけに終わった。
でもまあ、エルヴァレンがしてくれたことには確かに感謝しているため、今の発言は水に流そうと思った。なにせ、私はエルヴァレンよりも年上だからね!
* * *
その日の夜、私は自分の部屋の窓を開けて、月明かりを浴びていた。
30分ほど前まではミラとエリナと共有スペースで話をしていたが、そろそろ寝る時間となり、それぞれの部屋へと戻って行った。2人ともとっくに寝ているかもしれない。
けれど私は一人起きて、部屋の窓を開けていた。僅かに夜風が私の肌を撫でる。ひらりとワンピース型の寝間着の裾が揺れた。
いつも服の下から下げている首飾りは今も私の首元にある。初めの頃はミラとエリナに首飾りのことを聞かれたが、私が肌身離さず下げていることから余程大事なものなのだと思い、今では何も言われなくなった。
普段は制服の下に隠すようにつけているため、この首飾りのことを知っている人は学園ではミラとエリナくらいだと思う。もしかしたら他にも気づいている人がいるかもしれないが、授業に影響がない範囲ならばオシャレをしても黙認されている。
だから貴族の令嬢たちは耳飾りをしたり、首飾りをつけたりしている。
私の場合、オシャレとしてつけている訳では無いが、本来の髪色と瞳の色を隠すためにとても大切なものだ。だから、誰からも見られることはないこの部屋以外では私は首飾りを外さないようにしている。
普段なら私もとっくに首飾りを外してベッドに横になっている。けれど、今日は他にやることがあった。
昼間のリリアーヌとの話。私はほんの僅かな奇跡を、祝福をアスラム伯爵家に与えようとしていた。
そのために私は首飾りを外した。別に外さなくとも力の使用に制限はないが、せっかくだからと首飾りを外す。
その瞬間、私の髪色はみるみるうちに白銀の髪へと戻っていた。きっと、瞳の色も月を思わせる黄金の瞳へと戻っているのだろう。
茶髪の髪も見慣れたが、やはり本来の髪色の方がずっと落ち着く。
「ちょっと緊張する。初めて、意識して祝福をあげるから」
胸元の寝間着をギュッと握りしめて、息を吐く。深呼吸をして、力を入れすぎないように気をつけなければいけない。
《月の姫》の力に難しい言葉も詠唱もいらない。誰かに告げる訳でもない。
―――これは私の願いを零すだけでいい。
私は瞳を閉じて、ゆっくりと口を開いた。
「……どうか、巡りと恵を。リリアーヌたちが笑顔になり、前を向いていけるくらいでいい」
独白に近い言葉が静かに部屋に響き渡る。私の中に眠る《月の姫》としての本来の名が浮かび上がった気がした。
私は瞼を開ける。
その瞬間、月の光が私を強く照らした。空気が澄みきり、どこかで雨の気配を感じる。
空が風が地が、私の願いに応えている。
白銀の髪に触れるように風が吹き、私はその擽ったさにクスリと笑みを零した。何かが変わったと断言できるほど、いま目の前で変化は起きていない。
けれど―――間違いなく、巡りは整えられた。
それが分かると、私はゆっくり呼吸をし、窓を閉めた。届く月の光が減り、私はそのままベッドへと横になった。
「よかった。上手くいった」
私は安堵の息を零し、体を丸めるようにして眠りについた。
* * *
セレナが《月の姫》としての力を使う少し前、ユリウスは自室で本を読みながら今日のことを思い出していた。
セレナ・エルシア―――普段から負けず嫌いで、何度も勝負を仕掛けてくる平民の少女。平民の生まれにしては目を引く美しい顔立ちをしており、まだ10歳ながらもあと5、6年も経てば誰もが彼女の美しさに目を奪われることになるとどこか確信していた。
何度も何度も勝負をして、その度に彼女は負けて。悔しそうにしながら怒り、その度にユリウスは彼女の怒りやら悔しさを鎮めるように頭を撫でていた。
けれど、そんな彼女はなぜか魔法に関しての勝負はしてこない。魔法で誰かを傷つけてしまうことを恐れているのかもしれないし、何かほかに考えていることがあるのかもしれない。
逃げているのかとわざと煽るように言ってみたこともあったが、彼女はその言葉に怒りこそすれ、魔法での勝負をすることはなかった。
それでも、ユリウスとセレナの勝負は関係なく続いている。
そんなとき、ユリウスは近くで彼女が頬を打たれそうになっているのを目にした。ユリウスが何かをするよりもアスラム伯爵令嬢が振り下ろした手の方が早く、パシンっと乾いた音が聞こえてきた。
その瞬間、ユリウスは自分でも分からないほど、アスラム伯爵令嬢に対して怒りを抱いた。けれど、相手は女の子であまり強く言いすぎることは良くない。
そう思って笑みを浮かべても、出てくる言葉はアスラム伯爵令嬢を追い詰めるような言葉ばかりだった。けれど、ユリウスは自分自身にも腹が立っていた。そして、セレナ自身にも僅かな苛立ちを抱いていた。
話を聞く限り、自分が原因で面倒事に巻き込まれたのに、彼女はアスラム伯爵令嬢を責めるでも、ユリウスを責めるでもなく、静観していた。もちろん、いきなりのことで気が動転していたのかもしれない。
それでも、頬を打たれたのは彼女自身だ。なのに守られようともしない。
―――彼女は、弱者の振りをしなかった。
してもいいはずだ。頬を打った相手は貴族の令嬢で自分は平民。しかも何もしていないのなら、なおさら彼女は弱者の振りをしても誰も何も咎めない。
なのに、彼女は静かに場を収めようとした。
貴族の世界では弱みは足を掬われる原因となるが、時としてはその弱さも盾や武器になる。実際に今まで見てきた貴族令嬢たちのやり取りではそれが顕著に現れていた。
けれど、彼女はそうじゃなかった。
何よりも彼女は自分のために黙っていたのではない。恐らく、周囲の空気をこれ以上乱さず、何よりもアスラム伯爵令嬢の身を案じて、そうしたのだ。
セレナ・エルシアを対等な存在として見ていたつもりが、誰よりも間違った見方をしていたのはユリウス自身だったことに気づいたのだ。
そう思った瞬間、ユリウスは自己嫌悪に陥った。
だからユリウスは彼女が望んでいない騒ぎをこれ以上広めることがないように口止めをするように動いて回った。
それがあのときユリウスにできる最大限の尊重だったから。
それを思い出し、ユリウスは意識を戻す。ふぅっと息を吐いて、窓の外の月を眺めた。
普段よりもいっそう輝いて見える月は幼い頃の出来事を思い出させる。ユリウスは思い出そうとするのに、霧がかかったかのようにあの人のことを全く思い出せない。
どんな髪色をしていたのか、どんな瞳をしていたのか。ユリウスは近くでそれを見ていたはずなのに。
覚えているのは彼女が年上の綺麗なお姉さんだということと彼女と過した僅かな時間だけ。
(……いや、まだあった)
ひとりにしないで欲しいと彼女に縋り泣いたからか、彼女は困ったように笑い、ユリウスへと告げたのだ。
『んー、本当は覚えてちゃいけないんだよね。なんか色々と問題が起きるかもしれないし。でも、そんなに泣かせるつもりはなかったんだよね』
彼女はユリウスの頭を優しく撫でながら、口を開いた。
『大丈夫、ひとりじゃないよ。その証拠にこれをあげる。これを持っていれば、ひとりじゃないって思えるでしょ?』
不思議な色をした貝殻だった。月の光によって何色にも色を変える彼女がくれたもの。
『君は将来、すごい魔法使いになる。他の誰でもない、私がそういうんだから。だから、ひとりじゃないよ』
それでも嫌だと泣き縋るユリウスに彼女は焦ることなく頭を撫でてゆっくりと言葉を紡いでいく。
『人の一生は確かに短いけど、出会いの数は驚くほど多いと思ってるんだ。もしかしたら、君がすごい魔法使いになれば、また会えるかもしれない』
彼女は最後に、とユリウスに告げた。
『私たちの間では大切なものなのなんだけど、まあちょっとくらいいいかなって思っちゃったから。もし、また会いたいと思ったら、月を見上げてこの言葉を心の中で言ってみて。絶対にとは言えないけど、願いは私の本質だから』
それがユリウスの幼い頃の記憶だった。
今も肌身離さず首飾りのようにもらった貝殻をつけている。これは家族の誰にも教えていない。ユリウスと彼女の2人だけの秘密だった。
だからユリウスは顔も名前も知らない彼女を思い出して、月へ祈るように心の中で呟いた。
(―――アルシェ)
願いを込めて、その言葉を紡いだ。
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