人魚 弐
冒険者の多くにとって、ギルドとは仕事を受ける場所であり、その成果を報告する場所である。
中には同業者との雑談のためにやってくる暇人や、ギルドが保管する資料を閲覧しに来る勉強熱心な者もいるのだが、どちらも数は多くない。
リンタロウも多数派の人間で、今日は仕事を探しに足を運んでいた。
ギルドの入口から見て右前方には、壁と向き合うようにして掲示板が立っている。その掲示板の両面と向き合う壁、計三つの面にギルドに寄せられた依頼が難易度ごとに貼られていた。
これらの中から受けたい仕事を選び、受付で手続きを済ませる、というのが基本的な受注の流れだ。
リンタロウは一番奥、壁に貼られた依頼を端から順に眺めていった。
ここに貼られているのは最も難易度の低い、駆け出しの冒険者を対象としたものだ。モンスターの討伐だけでなく、薬草採取などの仕事も並んでいる。
一通り目を通し、日帰りでこなせそうな依頼を手に取ろうとした、その時だった。
「フジミヤさん」
「はいフジミヤさんです」
声の方へと振り返ると、見慣れた顔のギルド職員が立っていた。胸元まで届く艶やかなブロンドが目を引く長身の女で、几帳面な性格がきっちりと着こなした深緑の制服に表れている。まだ二十代も半ば頃だろうが、自分などよりもずっとしっかりしていると、リンタロウは呑気にそう思っていた。
「依頼の件でお話があるそうです」
ギルド職員、フィーゼは事務的な口調で端的にそう告げた。
何の依頼とも、誰が呼んだとも言っていない。だがこの二人の間では既に必要な情報共有は終わっている。先ほどの定型文はリンタロウにとって、ある人物から特別な依頼が持ち込まれたことを意味する符号のようなものだ。
それでリンタロウは、あくまで控えめに、しかしフィーゼが見逃さない程度に顔をしかめると、壁の方へ視線を戻した。
「ああすいません人違いです。あたしはフジミヤさんではなくフシミヤさんでした」
「今更あなたの顔を間違えるわけがないでしょう。フジミヤ・リンタロウさん」
「へぇ、そのフジミヤさんってのはそんなにあたしに似てるんですか。随分そっくりな人がいたんですねぇ」
あくまで白を切ろうとするリンタロウにフィーゼは溜め息を吐く。端から誤魔化せるわけなどないのだから、このやり取りは茶番でしかない。
生真面目な彼女にしてみれば時間の浪費以外の何物でもなかった。
「ならこの際フシミヤさんでも構いませんので、黙って付いて来てください」
「冷たいなぁ。どうせまた厄介ごとを押し付けるんですよあの人は。フィーゼさんだって逃げたくなる気持ちはわかるでしょうに」
褒められた台詞ではないが、こればかりはフィーゼも否定はできない。リンタロウが指名される仕事が厄介ごとばかりであるのは、連絡役から各種手続きまでを担当する彼女も感じている。
だが、それでもリンタロウを引き摺っていくのが彼女の役割だ。
「ええもちろん、あなたの心情はお察ししますし同情もします。ですが、その厄介ごともあくまで冒険者としての仕事の範疇のはずです。そしてなにより」
その先の言葉には、彼女にしては随分と感情が乗っていた。
「あの人とあなたの間に立たされている私の心労も、少しは汲み取っていただけますか」
「おっと、そいつはごもっともだ」
「今の待遇に不満などはありませんか?」
三階へと続く階段を上りながら、フィーゼがそう切り出した。唐突な問いではあったが、それ以上に珍しいこともあるものだとリンタロウは思った。彼女は口数の少ない方だ。仕事絡みとはいえ、自分から雑談を持ち掛けるなど滅多にないだろう。
「いえ、特には。まあギルド長の無茶振りには、思うところがないわけではないですが」
「そう、でしょうね。ですが、そればかりは私からではどうにも」
予想通りの返答に苦笑するリンタロウ。せっかくの珍しい機会だ、ここで終わらせるのも勿体無いと、雑談を続けることにした。
「しかし、急にどうしましたか?」
「いえ。ただこちらも、フジミヤさんにギルドを辞められてしまうのは困りますから」
リンタロウは階段に足を掛けたまま思わず立ち止まった。予想外の評価に目を丸くしている。
「随分と高く買ってくれてるんですね」
「……それは冗談ですか?」
フィーゼも立ち止まり振り返る。半目の彼女にちょうど見下ろされる形になった。
「表向きには四人しか持っていないとされる特級冒険者の称号。あなたはその栄誉ある称号を持つ、いわば裏の五人目。これ以上わかりやすい評価はないと思いますが」
特級冒険者――その定義は想定外、あるいは火急の事態において、その対応を一任できる戦力として認められた者――つまりはギルドに所属する冒険者達の中でもトップクラスの実力者に与えられる称号だ。
先の炎帝ヴィナーリアをはじめとして、現在は四人が認定されている。だが、これはあくまで表の話。ギルドの内部資料には世間には公表されていない五人目が登録されている。それがリンタロウというわけだ。
「それについてはなんというか、あたしなんかが噂に聞く方々の末席に並べるとは思えないといいますか。むしろあたしを都合よく使うための建前ですよね、というのが感想でして」
実際はリンタロウの指摘通りである。特級冒険者の称号は人並外れた実力者に与えられる勲章のようなものだが、リンタロウに限っては事情が異なっていた。
低ランクの冒険者に高難度の仕事を任せることはギルドのルール上不可能だ。しかし特級冒険者に対しては例外的に、ギルドの承認した高難度依頼を任せることができる。
これは冒険者のランクがチーム単位で認定されるのに対し、特級冒険者の称号が個人に与えられるために存在する例外処理だ。チームとしてのランクが低いがために優秀な個人に仕事を頼めないのはもったいない、というわけである。
しかし見方を変えれば、特級冒険者にさえしてしまえばその瞬間からあらゆる依頼を押し付けられる、と言い換えることもできる。リンタロウはまさにこれだった。不死という有用な能力を遊ばせておくつもりはない、というのがギルド長の方針なのだ。
「そこに関しては私からは何とも言えません。フジミヤさんの加護に関しては私も知らされていませんので。ただいずれにせよ、ギルドがあなたの力を必要としていることは確かです。なので長く活躍していただくためにも、懸念事項は潰しておきたいのですよ。冒険者の中には冒険者にしかなれないような方も少なくないですが、フジミヤさんはそちら側ではないでしょうから」
フィーゼの言わんとしていることは理解しているリンタロウだが、特に不満という不満がないのも事実だった。やりがいがあって報酬も悪くなく、休みは自分で決められる。たまに死ぬ思いをするのが難点だが、そこはそういう仕事なのだから仕方がない。
よってリンタロウが挙げられる不満といえば、やはりこの一点に尽きるのである。
「わかりました。とりあえず当面は辞めることはないと思いますから安心してください。あ、いや。やっぱりこき使われると辞めるかもってあの人に釘刺しといてください」
その答えにフィーゼはやれやれと首を振った。
「善処します」
二人は互いに思っていた。どうせ改善はされない、と。




