ある冒険の話 陸
木組みの家がひしめく街の東側、裏通りを進んだ突き当たりには、知る人ぞ知る酒場がある。周囲の家屋の合間を縫うようにして造られたからか、縦長の店舗は途中でくの字に折れ曲がる奇妙な形をしていた。
太陽が眠る間にひっそりと営業しているため、街に住む者のほとんどはその存在すら把握していない。通い慣れた常連たちですら、その店がいつからそこにあったのかは知らなかった。
そんな店の最奥、入り口からまっすぐに進んだ突き当たりを左に曲がった先に、男女が座っていた。壁から突き出るようにして固定された横長のテーブルに並び、目の前には琥珀色の蒸留酒が入った木彫りのマグが置かれている。
そこは彼ら、というより、女の方の専用席と化している場所だった。これはこの女に限った話ではなく、店を訪れる顔ぶれがいつも同じなため、常連たちは暗黙のうちに固定の席を選ぶようになったのだ。
「――それで後ろからその子の声が聞こえてきまして、あーよかった無事に会えたと思って振り返ったら……そこには脚がたくさん生えた毛むくじゃらの牛みたいな顔した化け物が」
そう芝居がかった口調で語るのは、上背がある割に線の細い、眠そうな目をした黒髪の男だ。その口がよく回るのは酒のせいではない。男は素面でもこの調子だった。
ただ、今日の語りに限って言えば、その声には少し陰りがあるのだが。
「人に化けるタイプか。そりゃまた厄介なのに当たったね」
隣に座る女はそのことには触れず、琥珀色の水面を揺らしながら相槌を打った。年は男よりも若く、二十代の半ば頃にみえる。後ろで結った艶やかな真紅の髪が目を引く、美しい女だ。
男よりも酒が進んでいるはずだが、こちらも素面と変わらない様子で男の話に耳を傾けている。
「そういうモンスターって珍しいんでしょうか」
「どうだろう。多くはないけど、珍しいって程ではないかな。人型の形態を持ってる奴とか、そもそも人っぽい見た目の奴とか、そういうのが人間のふりして近づいてくるって話は結構あるよ。頭が良い奴も多いから、知らずに遭遇して不幸な結末を辿る……なんてのは、冒険者でも少なくない」
女は一口だけマグに口をつけると、切れ長の目を男に向けた。
「それで、振り返ったらモンスターがいて、そこからどうなったの?」
「それはもう、すかさず剣を抜いて相手の初撃をいなし、そこからは敵の攻撃を受けて流して一太刀浴びせる大立ち回り。最後はあたしの必殺の一撃が相手の脳天を捉えて辛くも勝利、ってな具合ですね」
男は得意げに語ったが、女は表情を変えないまま無言で男を見つめていた。前髪から覗く炎のような赤い瞳が、言葉に代わって「本当は?」と問い詰めている。
「まあ、剣を抜くまでの間に頭からパクッといかれた後、ペッと吐き出されたわけですが」
「はぁ。やっぱり、また死んじゃったんだね」
深いため息を吐きながら、女はテーブルに突っ伏した。真紅の髪が頭から肩にかけて扇を描く。
「ヴィーナさんが責任を感じることではありませんよ」
「そうはいかないよ。リンタロウを冒険者の道に誘ったのは私なんだから」
黒髪の男――リンタロウはテーブルに置いていたマグを手に取ると、残っていた酒を飲み干した。ヴィーナ――これは本名ではなく愛称である――が飲んでいるものと同じ、琥珀色の酒が喉を灼く。
そうして一息ついてから、未だ突っ伏したままの背中に向かって語りかけた。
「確かに、あたしに冒険者の道を示したのはヴィーナさんです。ですが、その道を選んだのも、未だにその道を歩き続けているのもあたしです。自分の意志で選んだことを、ヴィーナさんの責任にするつもりはありませんよ」
そこで一度言葉を区切り、空になったマグをテーブルに置く。
「もちろん楽な道のりではありませんし、ぶっちゃけ命がいくつあっても足りない日々ではありますが、これでもあたしなりにやりがいは感じているんですよ。刺激的で退屈しなくて、そして何より、救いの手を待つ誰かの助けになることができる。それだけで歩き続けるには充分な理由です」
ヴィーナは突っ伏したまま何も返さなかった。その様子にリンタロウは、まあそうだろうなと思った。
彼女がこれで納得する人間なら、はじめから思い悩むことなどなかっただろう。
二人の間に沈黙が落ちたところで、ちょうど店員が酒を持ってきた。毎度のことだが、テーブルか天井に目でもついているのかというぐらいに完璧なタイミングだ。
空いたマグと交換で受け取ったリンタロウは、一口飲んでから再び語りかけた。
「とはいっても、いつも身の丈に合わない無茶な仕事を振ってくる上司には、相応の責任を感じてもらいたいところですがね」
「そうだ、全部アイツが悪い」
そう言って勢いよく身を起こすと、ヴィーナは自分のマグを一息で空にした。その様子に笑いながら、リンタロウも口を付ける。
これでこの話は仕舞い。両者がそう認識したところで、話題は件のモンスターへと戻った。
「そういえば、その新種のモンスター、名前はどうするの? リンタロウが付けていいんでしょ」
「ええ、そうですよ」
新種のモンスターについてある程度の情報が集まったら、次に考えなければならないのが名前だ。これが決まらないことには資料の作成も進まず、冒険者の間での認知も広がりづらい。
ギルド職員やギルド長が命名するのが一般的だが、リンタロウが活動拠点にしているギルドは例外だった。ギルド長が命名に時間を使いたがらないためだ。リンタロウも最初は気乗りしていなかったが、諦めた今では積極的に頭を悩ませていた。
「いろいろ考えてはみたんですが、牛みたいな鬼ってことで――モーガ、なんてどうでしょう」
本人はいたって真面目なのかもしれないが、凶悪で狡猾な怪物の名前にしては妙に間の抜けた響きだとヴィーナは思った。
「モーって鳴く鬼、ってこと?」
「そうです。わかりやすくて良い名前だと思いませんか」
「鳴いたの? モーって」
「いいえ。しゃべってましたね、普通に」
「ふぅん……」
聞けば聞くほど間が抜けているが、ヴィーナには出せる代案もない。本人が満足しているならそれでいいのだろう。
妙な名を付けられた牛の化け物に少しだけ同情しながら、ヴィーナはくすりと笑った。
「まあでも、いいかもね。覚えやすくて」
ある冒険の話 完




