ある冒険の話 参
結局、男が目的の村に辿り着いたのは翌日の昼過ぎだった。戦いが長引いたのではない。問題はその後だ。
まず、陽が昇るのを待たなければならなかった。
今回の討伐対象である牛の化け物はギルドも把握していない新種のモンスターだ。それゆえ男はできる限りの情報を持って帰らねばならなかった。そしてその中には見た目に関する情報も含まれている。
死体を運んで提出できればそれが一番確実なのだが、もちろん現実的ではない。そこで登場するのが荷物の中にあった羊皮紙と黒鉛で、つまりはモンスターの姿をスケッチして持ち帰ろうというわけだ。
ただ戦いが終わる頃には辺りは暗くなっており、スケッチなどとてもじゃないができなかった。それで男は朝日が昇るのを待たねばならなかったのだ。
朝を迎えるまでの間、男は何もしなかったわけではない。一眠りする前に化け物の体の一部を切り落としていた。これは討伐対象を倒したことを証明するためで、どの部位をトロフィーとするかはモンスターごとに指定されている。
もっとも今回は新種のため部位の指定はない。そこで男は比較的持ち歩きやすそうな部位として耳を選んだ。といっても、図体のでかい化け物は耳も相応に大きく、片手で抱えて歩き回るには難儀する程度には重いのだが。
問題はまだあった。朝を迎えスケッチを終えた男を襲ったのは、道がわからないという難問だった。
牛の化け物に誘い込まれた森の奥、当然道らしい道は通っておらず、色々あったせいでどの方向から来たのかもわからなくなっている。
唯一の手がかりは化け物が押し除けた木々の跡だ。男はこの先で村へと続く道に出られることを祈るしかなかった。
そういうわけで、男はたっぷり時間をかけつつ、何とか村の前まで辿り着いたというわけだ。
「ふぅ、やっとついた……」
そう言って汗を拭う男の目の前、石を積み上げた塀の向こうには、山間のすり鉢状の地形に沿って広がる村があった。
なだらかな傾斜の上に木造の家がまばらに建ち、その周囲には段々に作られた畑が並んでいる。黄金色に色づき始めた麦に根菜や豆類、向こう側の斜面では果樹も植えられていた。
家や畑の間には斜面に沿って細い道が通っており、いずれもすり鉢の底、村のちょうど真ん中にある円形の広場へと繋がっている。
昨日と同じ気持ちの良い青空の下、緑の山々に囲まれたのどかな農村の風景に、疲れ切った男の心身はすっかり癒されていた。ここが未知の化け物の脅威にさらされていたことなど忘れかけてしまうほどに。
畑仕事の帰りだろうか。村の入り口近くにいた何人かは、男に気付いたようだった。
「あんたもしかして、化け物退治に来てくれた冒険者さんかい」
そう声をかけてきた壮年の村人は、手に草刈り用の鎌を持っている。
冒険者とわかったのは腰に提げた剣を見たからか。あるいは単に来客など滅多にないからかもしれない。
「ええ。冒険者ギルドから参りました」
「おお、やっぱりか! すると、脇に抱えてる黒いのは、もしかして、もう退治してきてくれたんか!?」
興奮気味に話す村人の視線の先には、背面が黒い毛に覆われた化け物の耳があった。
「そうですね。十中八九、ご依頼の奴で間違いないかと」
その言葉に村人達が沸く。念のためスケッチを確認してほしいと男が言うと、村人のひとりが化け物を見た者を呼びに駆けていった。
その夜、村では宴が行われた。広場の中心では太い薪を組み上げた焚き火が煌々と燃え上がり、村人達は火を囲うように大きな円を描いて座っている。目の前には料理や酒が並び、隣に座る者と語らいながらそれらを摘んでいた。
男ははじめ、宴を開くから主賓として参加してくれという村長の申し出を断ろうとした。注目を浴びるのは得意ではなかったし、モンスターによって被害を受けた村にそのような余裕があるのかも疑問だったからだ。
だが――
「もともとこの村には年に一度、死者の魂を送るため皆で火を囲って宴をする習わしがあるんです。少し時期は早いですが、あんなことがあった後ですからな。もちろん冒険者様のための宴でもありますが……皆が明日から前を向いて頑張っていくためにも、今が一番良いんです」
そう言われては断ることなどできなかった。
それに、結果的には男の心配は杞憂だった。主賓といっても目立つ席に座っているわけではないし、村人達もぽつりぽつりと挨拶に来るばかりで、囲まれるようなこともない。宴が始まったばかりの頃は子供達に冒険の話をせがまれたりもしたが、今では彼らも各々の家で寝息を立てている。
村は傷を負ってから日が浅い。この夜は英雄を讃えるよりも、死者を偲び、気持ちの整理を付けることを選んだようだ。
男はそんな村人達の様子を眺めていた。
恐ろしいモンスターは討伐され、事件は幕を下ろした。それでも一度負った傷は簡単には癒えない。
無二の友人を失くした者に、働き手を失った家。彼らの日常は、決して元の形には戻らない。
それでも今ここに、暗い顔をして肩を落とす者はいなかった。酔って朱を帯びた顔に悲嘆の色はなく、両の瞳に光を灯している。元の形には戻らずとも、きっと彼らなら立ち直れるだろう。そう確信するに足る光景だった。
「何か気になるものでもありましたかな」
村人達の様子に自然と口元を緩ませていた男の横顔に、隣に座る村長が声を掛けた。彼もまた、真っ白なひげを蓄えた顔に穏やかな笑みを浮かべている。
「いえ、ただ……皆さん良い顔をされてるな、と」
「そうですな……。ここのところ、村の者たちは皆暗い顔をしておりました。山で見たこともないモンスターに襲われたのをきっかけに、ひとり、またひとりと行方の分からぬ者が増えていく。いつ明けるとも知れぬ夜の闇に怯えて過ごす、そんな日々が続いておりました」
犠牲になった者たちの顔が思い浮かんだのか、そこで村長は一度、言葉を詰まらせた。
「……ですが、冒険者様が救ってくださいました。我々に、夜明けを告げてくださいました。今この広場に灯った火は村全体を照らし、我々はようやく、明日の朝日を迎えられるのです。村の者達が良い顔をしていると、そう思われるのなら是非誇ってください。彼らを照らした光は、あなたがもたらしたものなのです」
その言葉に、今度は男が胸を詰まらせる番だった。
暖かな炎に照らされたばかりではない。村人達の瞳に光が灯ったのは、彼らのために戦った者がいたからなのだ。
「やれやれ……こいつはちょっと、癖になっちまうな」
男はそう言って黒髪を掻き回すと、持っていた杯の中身を一息に飲み干した。
村長は男の杯に葡萄酒の入った陶器のジョッキを傾けたが、そちらもすぐに空になった。杯は三分の一も満たされていない。
「おっと酒がきれましたな。おーい誰か」
「はい村長さん、お代わりならここにありますよ」
タイミングよく酒を運んできたのは、緩いウェーブのかかった髪をサイドで結んだ女だった。年の頃は男と同じか、少し若いぐらいだろう。陶器のジョッキを乗せた盆を両手で持ち、人当たりの良い微笑を湛えている。
「おおアリサ、ありがとう。顔を出してくれてたんだな、気付かずにいてすまない」
「いえいえいいんです。今日の主役は冒険者様ですから、気にしないでください」
「そう言ってもらえると助かる。ああ、ところで……ニナちゃんの方は大丈夫そうかい?」
「そうですねぇ……」
女は男の傍に座って盆を置く。
「まだ元通りとはいきませんけれど、少しずつ明るい顔も見せるようになりましたよ」
「それならよかった。二人もそうだろうが、村はこれからが大変だし、だからこそ協力しあっていかなきゃならない。何か手を借りたいときは遠慮なく言ってくれ」
「ありがとうございます。困ったときは頼らせてもらいますね」
夫を亡くしたのだろう。会話を聞きながら男は思った。働き盛りの男達を中心に、化け物によっていくつもの命が奪われたそうだ。彼らの魂も、少しは浮かばれていればよいのだが。
「さあどうぞ冒険者様」
「どうも、ありがとうございます」
女が持つジョッキの方へと杯を向ける。なみなみと注がれた赤紫の葡萄酒を、男は溢さないように気を付けながらぐいと呷った。
そうして酒精を帯びた息の代わりに吐き出されたのは、酒よりも紅い鮮血だった。




