刻印 伍
状況は最悪と言ってよかった。
まず敵の数が多い。全部で十四人、大小様々な杖を持っていることから黒ローブ達は魔法士の集団のようだ。背中を向ければ魔法の集中砲火を受けるだろう。逃げきることは難しい。
だが戦うこともできなかった。黒ローブによって気絶させられた後、剣を二振りとも取り上げられている。リンタロウを襲ったのは二人組だったが、剣を持っているのは先ほどまで口論をしていたのとは別の黒ローブだ。
致命的な条件が揃う中、リンタロウが選んだのは第三の選択肢だった。
「降参、降参だよ」
両手を上げ、その場に座り込む。その様に黒ローブ達は呆気に取られたが、同時に無理もないと納得した。並の冒険者ではこの数の魔法士を相手にするのは不可能だ。彼らから見ても、リンタロウにできることなどありはしない。
「拘束しろ。蛇神様への供物にする」
リンタロウは座り込んだまま一切の抵抗を放棄した。だがすべてを諦めたわけではない。情報を持ち帰るという最善が難しいなら、次善の策を選んだまでだ。
リンタロウの懐には鈴型の魔道具が入れられている。これがあればペアの鈴を使ってリンタロウの居場所を探すことが可能だ。つまりリンタロウは、この場に留まることによってギルドに敵の拠点を知らせることができる。時間さえ稼げれば事態は好転し得るのだ。
ただその一方で、ギルドが動くのをじっと待っているつもりもなかった。できるだけ情報を引き出し、事件解決の手立てを見つける。リンタロウはそう方針を決めた。
「供物にするってのは、例の刻印を付けて殺すって意味かい?」
村でゴドールと話した、呪いの主は自分を強化するために呪いを振り撒いているという仮説。黒ローブ達が蛇神様と呼ぶ存在が呪いの主であり、彼らは刻印をばら撒く手伝いをしているのだとしたら。この推測は彼らの使う供物という表現とも合致する。
「刻印? なんのことかは知らないが、殺すというのはその通りだよ」
リンタロウは絶句した。あれだけ人々を苦しめておきながら、知らないということが許されるものか。
「……あんたら、自分で手に掛けた人達がどんな最期を迎えたかも知らないってのか」
「その口ぶり、どうやらあの村に依頼されて来たようだね。なら、もう大体の予測は付いてるんじゃないのかね。呪いをかけているのは蛇神様だ。我々は蛇神様がその力を振るえるよう手伝いをしているに過ぎない。だから、村人の死に様など知ったことではないのだよ」
「…………へえ」
声を荒げるのをなんとか堪えた。まだ、引き出すべき情報はある。感情に任せるのは今ではない。
「なんだってそんなことをする?」
「………………」
まとめ役はすぐには答えなかった。その間に黒ローブのひとりがリンタロウの後ろに回り、魔法で腕を縛る。光の輪が両の手首をきつく締め上げている。
「……まあ、冥途の土産というやつか。特別に、我々の崇高な使命を聞かせてやってもよいのだよ」
そう言ってまとめ役は芝居がかった口調で語り出した。
「君も一度は思ったことがあるだろう。人の一生は短すぎると。数百年を生きるモンスターがざらにいる中で、我々に与えられた時間のなんと少ないことか、と」
リンタロウはその問いには答えなかった。同意はできないし、同調するのも癪だった。
まとめ役は気にも留めず、鼻高々に話を続けた。
「かくいう我々もそうだった。魔法士たる我々は魔導を極めることこそが本懐だ。しかし、我々に与えられた時間はあまりに少ない。故に、我々は永遠の命を求めた。有限の時間を無限のものとすべく、あらゆる方法を模索した。…………まあ結果は、徒労に終わったのだがね」
そこでまとめ役は空間の中央、魔法陣に囲まれた岩へと振り返った。
両手を広げ、そこにいるのであろう彼らの神を讃えるポーズを取る。
「だが、出会ったのだよ。永遠を生きることを諦めかけ、失意の淵にいた我々を、神は選んでくださった。死と再生を司る蛇神――ウロボロス様こそが、我らの唯一の救世主であり絶対の神」
「ウロボロス……」
たいした名前が出てきたものだ。モンスターの知識は未だ乏しいリンタロウでもその名は知っている。己の尾を噛み円環を描く蛇の姿、あれが呪いの主だというのか。
「ウロボロス様は我々に使命を与えられた。封じられたウロボロス様を救い出し、使徒として仕える。そうすることで我々はウロボロス様の再生の権能を授かるのだ。この身体が朽ちようとも魂は潰えず、再生を繰り返すことで永遠の時を生きるのだよ」
「封じられたウロボロスを解き放つ、そのための呪いか」
「その通り。我々が封印を一時的に解除し、その間にウロボロス様が呪いをばら蒔かれる。そうして奪った命を糧として力を蓄え、やがて封印を破り復活なされる。喜ぶがいい、蛇神様の血肉となれる、この世で最も名誉ある死だよ」
まとめ役が語る、あまりに身勝手な動機。彼らは野望のために蛇神を解き放ち、呪いを振りまいた。人の死を何とも思っていない。目的のためならどれだけの人が犠牲になっても構わないと思っている。
到底、許せるものではない。リンタロウの内で煮えくり返っていた腸は、臨界を越えたことで絶対零度に冷え切った。
「そりゃあまた、ひどくおめでたい頭をしてるな」
「…………はあ?」
冷めた声音で吐き捨てられた侮辱に、まとめ役は顔を歪めた。
「そうだろう。あんたらの崇める神は罪のない人間を平気で喰い殺すような奴だ。その中であんたらだけが例外でいられるなんざ、よく無邪気に信じられるもんだ」
その言葉をまとめ役は鼻で笑う。
「ふん。言っただろう、我々は選ばれたのだと」
ローブの袖をまくり右腕を晒す。そうしてまとめ役は、勝ち誇ったようにこう言った。
「このウロボロス様の印こそがその証。選ばれた我々には、ウロボロス様の加護が宿っているのだよ」
その瞬間、リンタロウは言葉を失った。あれほど胸を焦がしていた怒りすら忘れるほどに。だがそれも詮ないことだ。まとめ役の右腕に浮かぶ、選ばれた者の証。それは村でみたものと全く同じ形をしていたのだから。
「ふっ…………そうか……いや、そうだな。お前たち、村の人達のことなんか興味もないんだったな」
すべてを理解したリンタロウは、堪え切れず失笑した。因果応報とはこういうことか。いや彼らの場合、彼らの言う神と出会った時点で詰んでいたというのが正しいのかもしれない。まあ何にせよ、それで彼らに同情することなどないのだが。
「貴様、何がおかしい……」
一方黒ローブ達は動揺していた。急変した虜囚の態度に、頭よりも先に本能が警告する。奴の態度はハッタリではない、何かまずいことが起こっている。だが結局、その正体にまでは至れなかった。彼らは敬虔な、神の信徒だからだ。
「まったく悪趣味な神もいたもんだ。おい蛇神、そろそろあんたも喋ったらどうだ。それとも、答え合わせも俺にさせるかい」
リンタロウは沈黙を守ったままの岩、その中に封じられているのであろう蛇神に向かって振り立った。黒ローブ達の視線が岩へと向かう。神の言葉を、背信者への断罪を期待して。
そして――――。
『フ…………フフフフフフフ』
返ってきたのは、堪え切れないような笑い声だった。
『ハッハッハッハッハ――――』
その声と共に空間が揺れる。岩の周囲の地面が光を放ち、ついに蛇神が姿を現した。
鎧のような分厚い鱗を纏った紫の大蛇。その体は首を天井まで伸ばしてなお全体が見えないほど長く、人ひとりなら難なく飲み込めるほど太い。紅い双眸は視線で射殺すほどの威圧感を放っている。
ただ、蛇神の体は幽霊のように透き通っていた。封じられている、とはそういうことなのだろう。本体ともいうべき肉の体は、未だあの岩の下に閉じ込められているのだ。
「ウロボロス様……、なぜ……我々の儀式なしでお姿を」
黒ローブ達は蛇神の登場に狼狽えていた。本来は彼らの言う儀式がなければ、霊体であっても姿を現すことはできないらしい。
だが蛇神は自力で封印を抜け出せるだけの力を蓄えていた。それがいつからだったのか、彼らは知らされていなかったのだ。
『あんまりではないか人間よ。現を知らねば夢を見ていられたものを、汝の所業はあまりに残酷だ。我もせっかくの余興を形無しにされた気分よ』
蛇神は黒ローブ達には目もくれなかった。既に興味は失くしたといわんばかりに、リンタロウだけを相手にしている。
「ウロボロス様……一体いつから、我々の助力なしに現界できるようになられたのです」
なお食い下がるまとめ役。蛇神はその姿を一瞥したが、やはり彼らには答えない。
『哀れだと思わぬか。いまだ夢を見ていなければ正気を保てぬらしい。なれば我は主として、心地よい幻想に浸らせてやらねばなるまいか』
そこで蛇神はようやく、紅い双眸で黒ローブ達を正面から見据えた。とぐろを巻きながら頭を下げ、上顎から伸びる鋭い牙を覗かせる。
『だが、否だ。壊れた傀儡に用はない』
「な………………」
傀儡――その言葉が指すものを理解したとき、黒ローブ達は戦慄した。彼らの信じた神の本性を、その鋭い牙に見たのだ。信仰が砕かれ足元が崩れていく絶望。そして絶対的捕食者への純然たる恐怖。悔やむにははあまりに遅い。彼らはとうに、怪物を目覚めさせている。
震える信徒達に、彼らの神は初めて恩情を見せた。
『そう怯えるな。安心するが良い。我は慈悲深き主だ。これまでの忠節には相応の褒美で以て報いよう』
褒美。契約通りであるならば、それはウロボロスの再生の権能。肉体が滅ぼうとも魂は潰えず、新たな肉体を得て蘇る転生の能力。
黒ローブ達は絶望から一転、歓喜に打ち震えた。それは彼らの悲願。永遠を生き、魔導を極めるための必要条件。彼らが蛇神と出会う前から費やした幾星霜の年月は、すべてこの瞬間のためにあったのだ。
感涙が溢れ頬を伝う――そのときだった。
「あっ――」
誰かが零した呻き。それと同時にひとりが身体をくの字に曲げた。咄嗟に胸を押さえた手も痙攣を始め、たちまち皮膚が濁った茶色と紫が混ざったヘドロのような色に変色していく。鼻を刺す異臭を放ちながら肉も骨も等しく融解し、その区別も付かないほどに溶け合って流れ出す。
支えを失った身体がぐちゃりと音を立て崩れ落ちる。後には泥のような肉の山と黒いローブだけが残った。
そんな仲間の末路を、遺された者達は見届けることすらできなかった。それだけの余裕がなかったのだ。彼らの番も、すぐに回って来たのだから。
「ウロボロス様っ……な、ぜ……」
ひとり、またひとりと崩れ落ちる。嗚咽と絶叫があちこちで上がり、どろどろになった肉と別の者の肉が混ざり合う。
哀れな傀儡達はひとり残らず溶け落ちていき、後にはこの惨劇を生み出した蛇の王と、冷めた目で演目を見届けたリンタロウだけが残った。
『最も名誉ある死、だったか。喜ぶが良い。我は汝らの魂を糧に、千年の悲願を果たす』
蛇神が光を纏い、空間は再び揺れ始めた。十四人の黒ローブ達の犠牲を以って、ついに蛇神は封印を破るだけの力を得たのだ。
白く輝く体をうねらせ、自らを封じ込めていた岩をその尾で叩き壊す。それは蛇神が霊体ではなく、肉の体を取り戻したことを意味していた。
「フハハハハハハハハ――――遂に成った。我は、再び器を取り戻した、忌まわしい楔から解き放たれたのだ――」
蛇神が高らかに笑う。分厚い鱗を纏った体は鼻先から尾にいたるまで完全に実体化していた。威圧感も先ほどまでの比ではない。全身から放たれる気が生物としての格の違いを示している。
「ああ我としたことが。その身を捧げた忠臣達に我が真名を明かすのを忘れていたな。どのような顔をするか、見ものであったろうに」
酔いしれたような声で天にひとりごちた蛇神は、鎌首をぐるりと回しリンタロウの方を向いた。
「代わりに汝が聞いておけ。我が名はヨルムンガンド、死と破滅を齎す者なり」
急変する事態を前に、リンタロウは静かに立ち上がった。両手はもう自由だった。魔法をかけた黒ローブが死んだ時点で、光の輪は消えている。
そうして泥のように積もった肉の傍に行き、かき分けた中から剣を拾いあげた。こうなっては戦う他ないのだ。例え何度死のうとも、奴はここで仕留めなければならない。
「さて……気合い、入れなきゃな」




