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22/22

刻印 陸

 剣を取ったリンタロウは縛られていた腕をほぐしながら、実体化した蛇神(じゃしん)を見据えた。ウロボロス――黒ローブ達にそう呼ばれていた蛇神は、しかしヨルムンガンドと名乗った。


「一応の確認だが、あんたはウロボロスじゃなかったのか?」

「わかりきったことを聞くでない。汝はあれらほど暗愚でもあるまい」


 蛇神と黒ローブ達は協力関係にあった。蛇神は黒ローブ達の力を借りて封印から抜け出し、黒ローブ達はその見返りに再生の権能を授かる。だがその契約は蛇神が一方的に破棄した。黒ローブ達を利用し尽くし、最後には殺す。初めから騙すつもりでいたのなら、自らの正体すら偽っていたとしてもおかしくはない。


「騙ったのか。あいつらを利用するために」


 蛇神――ヨルムンガンドは答える代わりに口の端を歪めた。長い舌から唾液が零れ、地面の上で音を立てながら煙をあげている。万物を溶かす強力な毒、それがヨルムンガンドの武器のようだ。


 ヨルムンガンドは喰らいつく機を待つ蛇のように、ゆっくりとリンタロウとの距離を詰めた。リンタロウは後ずさったが、人の歩みでは大蛇の追跡からは逃れられない。


「さて……体を取り戻した今、この忌まわしき地に留まる理由はない。が、その前にひとつやらねばならぬことがある」


 獲物を追い詰めた蛇は、鋭い牙を覗かせた。


「汝の始末だ。我は今しばらく闇に潜み力を蓄える。故に、我の復活を知る汝には消えてもらわねばならぬ」


 自分よりずっと高い位置に頭がある。これだけ体格差のあるモンスターと対峙するのは初めてだった。それでも逃げるわけにはいかない。ここでこいつを野放しにすれば、どれだけの犠牲者が出るともわからないのだ。

 リンタロウもまた、(きば)を剥いた。


「ちょうど良い。こっちもあんたを始末しようとしてたところだ」




 威勢の良い獲物を前に、ヨルムンガンドは喜色を浮かべた。それと同時に、分厚い鱗に覆われた頭がリンタロウ目掛けて隕石のように落ちてくる。頭上に迫る牙を跳び込むようにして躱す。背後で洞窟の硬い地面が砕け散る轟音が響いた。

 そのまま距離を取ろうと走り出すリンタロウの背中をヨルムンガンドが挑発する。


「さあ次の攻撃だ。逃げよ逃げよ」


 視界の端でヨルムンガンドの紫の体が流れていく。リンタロウを追おうと向きを変えているのだろう。砂煙を巻き上げながらぐるりと弧を描き、獲物に狙いを付ける。音と振動が背後に迫る。横に跳び込んだリンタロウの後ろを大蛇の頭が通り過ぎた。


 間一髪――そう息つく暇を、奴は与えてはくれなかった。態勢を立て直そうとするリンタロウをヨルムンガンドの尾が横殴りにする。足先から肩まで、巨体に全身を殴打されたリンタロウの身体は宙に浮き、遥か後方の岩壁にぶつかった。手を離れた剣も壁に弾かれ宙を舞い、崩れた岩壁に背中を預けたリンタロウの足元に突き刺さる。

 ただの一撃でこの威力。リンタロウは額から血を垂れ流しにしたまま、既に息絶えていた。


「もう終わりか人間よ。我はまだ完全には力を取り戻していないというに、この程度では牙を研ぐこともできぬな」


 鼻を鳴らすヨルムンガンド。動かなくなった玩具に早くも興味は失せたのか、背を向け洞窟の外へ去ろうとしている。

 その背後で、リンタロウは息を吹き返した。


「おい、待てよ……」


 振り返った先で、立ち上がり剣を取る獲物。ヨルムンガンドは彼の復活を驚異的な耐久力と捉えた。双眸が紅く輝き、再び口を歪める。


「いいぞ、そうでなくてはつまらん」


 迫る大蛇を前に、リンタロウは方針を変えることにした。

 逃げることは難しい。同じことを繰り返せばいずれ不死の秘密に気付かれる。そうなれば奴はここを去るだろう。それでは駄目だ。奴をここに縫い留め、殺す。それがここに立つ冒険者としての責務だ。

 やり方を変えるなら、攻めに転じる他ない。剣を向け、反撃に活路を見出す。無理やりにでも構わない。考え得るすべての手を試し、突破口を開く。例えその過程で、どれだけの傷を負おうとも。


 剣を構える。切っ先を大蛇の鼻っ面に向け、ただ反撃の機を待つ。敵の攻撃を受け止めることはできない。躱せるギリギリを見極め、確実に一撃を入れる。覚悟を決めたリンタロウの両眼は、迫るヨルムンガンドの重圧から決して逃げなかった。

 口が開き、鋭利な牙が覗く。滴る黄緑色の液体は毒か。あれに噛まれれば絶命は免れない。常人ならば怯むところだ。だがリンタロウには関係ない。死なないことだけが唯一の取柄、だから怯える必要はない。

 一歩、右に足を運ぶ。眼前を通過する大蛇の頭めがけて、剣を振り下ろす。だがその寸前で、分厚い鱗が身体を掠めた。弾かれたリンタロウは地面を転がった。だが所詮は掠めただけだ。先ほどのような致命傷には程遠い。身体は痛むが、それだけだ。すぐに立ち上がり、敵の動きを見定める。


 ヨルムンガンドの体はリンタロウの横を通り過ぎた後、弧を描き再び突進した。長い体が残す軌跡は獲物を絡めとる檻のようだ。立体的な軌道で頭上から迫る。紅い眼光が照準を定め、致命の牙で止めを刺しに来る。

 次はしくじらない。リンタロウも剣を構え、ヨルムンガンドを迎え撃った。頭上からの一撃を、今度は一歩、大きく跳んで躱す。そして再び地を蹴り、空を切った大蛇めがけて斬りかかる。

 目を狙うのが最善だった。だが相手も速度がある。突進を躱しつつ、狙った位置を攻撃するのは至難の業だ。リンタロウの剣は鱗に当たり、弾かれた。鋼が如き硬度を誇る鎧、敵はそれを全身に纏っている。一度の攻撃でわかった。リンタロウではこの鎧は貫けない。

 アプローチを変えねば――そう思ったのは敵も同じだった。


 鎌首をもたげたヨルムンガンドが大きく口を開けた。その挙動に、リンタロウはかつて戦った敵を思い出す。


「こいつ――」


 放たれたのは毒液だ。牙に纏っていたのと同じ濁った黄緑色の液体が噴射される。リンタロウはそれをすんでのところで回避した。地面を濡らした毒液は、空気が抜けるような音を立てながら辺り一帯に煙をあげている。この煙にすら毒性がありそうだ。リンタロウはさらに距離を取り、鼻を覆った。


 かつての経験がなければ直撃していたところだった。牛のような化け物、モーガ。あの毒霧と同じ動作だから気付くことができた。


 自慢の毒を躱されたヨルムンガンドは、しかし変わらぬ態度でリンタロウを見下ろしている。


「よくぞ反応した。だが、それもいつまで続こうか」


 今度は尾による攻撃がリンタロウを襲った。叩き付ける一撃を躱すも、余波が大地を揺らし足を奪う。そこへ再度の毒液。無理やりに身体を捻り、地に転がることでなんとか回避する。煙のせいか、目がかすみ視界がぼやけた。そこへ大蛇の追撃が迫る。

 尾を振り回しての薙ぎ払い。再びリンタロウの身体は宙を舞い地に落ちた。今度は絶命していない。だが体中がひどい痛みを訴えている。


(これは何本逝ったかな…………)


 どれほどの重傷だろうと不死の力の前には関係ない。折れた骨もやがて繋がり、この痛みもいずれ収まる。だが問題は、それまで敵が待ってくれるかどうかだ。

 うつ伏せに倒れたリンタロウの視界には乾いた地面が広がっている。その地面を、リンタロウごと影が覆った。


「汝の底は知れた。あの忌々しい(いかずち)の戦士には遠く及ばぬ。このつまらぬ戦いも、そろそろ終わらせるとしよう」


 体を持ち上げる音。毒液でも頭でもない。尾による攻撃で止めを刺すようだ。間に合わないならそれでもいい、折れたままの腕と脚で足掻くまで。リンタロウは力を込め、倒れた身体を押し上げた。全身が悲鳴をあげ、そして収まる。紙一重で回復が間に合った。全快したリンタロウは立ち上がり、尾の一撃を転がるように回避した。

 砕けた石の破片が転がる音と共に、大蛇が舌を鳴らす。


「鬱陶しい……。いいだろう、そうも足掻くのなら、望み通り苦しんで死ぬがいい」


 ヨルムンガンドが大きく口を開ける。だが続く攻撃は毒液ではなかった。吐き出されたのはかつての敵と同じ、毒の息。だがその量が桁違いだ。黄緑色のガスが空間を覆い尽くさんばかりに広がり、この部屋のすべてを飲み込もうとしている。以前のように風の魔石で払うことは不可能だ。

 そしておそらく、その毒性も比にならないのだろう。相手はたちまちに人を溶かす呪いの主だ。これを受けてまだ生きているとなれば、不死の力も隠し切れない。


(だからこそ、ここに望みを賭ける)


 それはまさに賭けだった。何の根拠もなく、ただ全てを運に任せた策。だがそうするほかないのだ。真っ向からぶつかっては勝負にならない以上、奇策に頼るしか逆転の道はない。


 リンタロウは懐に手を入れ、緑の石、風の魔石を取り出した。そして毒が眼前まで迫ったそのとき、魔力を込め石を起動した。巻き起こった風が周囲の毒を払い、リンタロウを中心としたドーム状の安全地帯を作る。

 だがそれも一瞬だ。すぐに魔力の供給をやめ、石を懐に戻す。毒は再びリンタロウを飲み込もうと迫った。稼げたのはほんのわずかな時間、だがそれでいい。魔力の少ないリンタロウには、これ以上風に使える余力はない。


 部屋に少しでも多くのガスを溜める。そのための時間稼ぎが終われば、次の魔石の出番だ。風の魔石の代わりに取り出したのは赤い魔石、炎を放つ発火装置だ。


「さあ、頼むぜ」


 必ず着火するという保証はない。すべては毒の性質次第だ。だから、これは賭けだった。

 祈りと共に魔力を込める。燃料を得た魔石はその力を解き放ち、周囲に炎をまき散らした。そして――――音を消し去るほどの衝撃と共に、世界は真っ白に爆ぜた。








 リンタロウが再び目を覚ましたとき、世界はまだ土煙の中にいた。大地が微かに揺れている。天井からは落石が降り注いでいた。爆発の衝撃で空間が崩れかけている。それだけの威力を発揮したということだ。

 リンタロウは立ち上がった。ここを出なければ崩落に巻き込まれかねない。死んでも蘇るリンタロウだが、生き埋めになるのは流石に御免だ。抜け出せない檻の中で永遠に死と再生を繰り返すなど、考えただけで身の毛がよだつ。


 風が来ているのか、空間の出口の辺りは土煙も晴れていた。まだ塞がってはいないようだ。急いで抜け出したいところだが、その前に確認しなければならないことがある。

 爆発は無事起こせた。互いに直撃を受けたのだから、あいつとて無事ではないはずだ。死んでいるのだとしたら、近くに死体が転がっているはず。


 そうして周囲を見回すリンタロウの足元を、再び影が覆った。


 振り返り、上を向く。そこには鎌首をもたげ、苛立ちからか口を震わせたヨルムンガンドがいた。

 流石に無事ではなかったらしい。自慢の鱗も所々剥げ落ち、ひび割れている。鱗と鱗の間からは血を流しており、ようやく傷らしい傷を負わせることができたようだ。

 だが、それだけだった。致命傷には遠く及ばない。これからリンタロウを虐殺し、崩落前に洞窟を抜け出るだけの余力は充分に残している。


「呆れたタフさだ……と言いたいところだが、そうではないな。あの雷の戦士と同じ異常個体(イレギュラー)か。道理で幾度も立ち上がるわけだ」


 ヨルムンガンドは尾を持ち上げると、崩れ落ちた大岩に巻きつけた。リンタロウは殺せない。そう気付いたヨルムンガンドの次の一手だ。


「殺し切るのは難儀なようだからな。ここで崩壊に飲まれてもらうとしよう。なかなかの皮肉だな。我の代わりに、ここに封じられるがいい」


 大岩が放り投げられる。これに潰されれば、おそらくリンタロウは抜け出せない。例え蘇ろうとも、この空間が崩れ落ちるのを岩の下で待つだけだ。

 

 リンタロウは動けなかった。崩落に巻き込まれることへの恐怖からではない。目の前の大蛇を止める、そのための手立てが思いつかないことへの絶望からだった。自分に出せる最大火力をぶつけてなお敵は健在、もう同じ失敗はしてくれないだろう。不死の力にも気付かれた。もはやリンタロウでは、ヨルムンガンドを止められない。

 

 リンタロウの眼前に大岩が迫る。影に塗りつぶされた真っ暗な視界は、絶望に呑まれたリンタロウを映す鏡のようだ。

 だからだろうか。闇に走った一筋の光、そのひと際輝く眩しさにリンタロウは眼をくらませた。目の前で何かが爆ぜる轟音が響く。再び目を開けたリンタロウの視界には、闇を照らす、鮮やかな火の粉が舞い散っていた。


 炎のように煌めく朱色の大剣。その戦士を象徴する武器は、今まさに炎を纏っていた。それは魔法ではなく、彼女が生まれながらに持つ異能――加護によるものだ。

 真紅の鎧で頭から爪先までを覆った戦士。ギルドでもトップクラスの実力者、特級冒険者のひとりに数えられる彼女が、リンタロウの前に庇い立つようにしてそこにいた。


 ああ、これで安心だ。彼女になら、なんの憂いもなく後を託せる。


「リンタロウ……私はちゃんと、間に合ったかな」


 真紅の戦士は、微かに震えた声でそう聞いた。だからリンタロウは素直な答えを口にした。


「ええ、完璧なタイミングですよ。後は任せても良いですか、ヴィーナさん」


 自然と頬を緩ませるリンタロウ。託された彼女も、兜の奥ではきっと同じ表情をしたに違いない。


「もちろんだ。ここまでよく持ち堪えてくれた。後はこの炎帝(わたし)に任せてくれ」



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