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刻印 肆

 探索は殊の外順調に進んでいた。荒野に入ってからほどなくして、茶色い岩壁の下に村の畑で見た黒い残骸を発見したのだ。

 村人がここまでやって来ていたとは考えにくい。この荒野に棲む生き物に刻印が浮かび、ここで発症したと考えるのが自然だ。近くには乾いた肉食性の生き物の糞が落ちていた。大きさからしてこの荒野に生息するオオカミのものである可能性が高い。

 村よりもさらに北で、人間以外にも発症している。第一歩としては上々の結果だ。

 調査には昨日行動を共にしたのとは別のギルド職員が同行していたが、リンタロウはそこで一度、彼を村に戻らせた。村にいる職員と情報を共有し、仮設キャンプに伝達するためだ。

 仮設キャンプでは罹患者の治療の他、持ち込まれたこの地域一帯についての資料を洗い直し、呪いの正体を探る作業も進められている。今回掴んだ情報が重要な手掛かりになるかもしれない。


「このままもう少し奥まで行ってみるか」


 行かせた職員の帰りをただ待つわけにはいかない。後々合流せねばならないが、そこは持たされている魔道具が解決してくれる。

 リンタロウと職員は、互いに小さな鈴型の魔道具を持たされていた。これは二個一組の魔道具で、魔力を込めたときにペアの鈴が近くにあれば、そのことを振動によって教えてくれるものだ。近いほど振動が強くなるため、ある程度互いの位置を探ることができる。

 流石に村と荒野とでは全く反応しないし、荒野の中であっても距離が空き過ぎれば振動しない。ただそれも、職員が戻るまでの時間を計算して動けば問題はなかった。

 既に一晩を無駄にしている。これ以上時間を浪費するわけにはいかない。リンタロウは再び、荒野の奥へと歩き出した。




 露出した岩や抉れた地面、歩きにくい地形が続く荒野において、そこは比較的なだらかな場所だった。

 リンタロウは最初にそれを目にしたとき、気にも留めずに通り過ぎようとした。しかしすんでのところで違和感を覚え、その場にしゃがみこんだ。

 それは地面にできたくぼみだった。ひとつではない。ほとんど等間隔に、列をなして荒野の奥へと向かっている。あまりに浅く、光の角度によって薄っすら影ができている程度だったが、それは間違いなく足跡だった。

 形と大きさは人間のものに近い。この荒野にはゴブリンなどの種族も棲息しているというが、話に聞くゴブリンの背格好からするとこの足跡は大きいように見える。


 リンタロウは胸騒ぎを覚えた。

 ギルドは最初、この事件の犯人が人間である可能性も考慮に入れていた。術者が村人に呪いを掛け、何かを企てているという線だ。しかしその可能性は、ゴドールが呪いの解除に大掛かりな魔法が必要と判断した時点で棄却されていた。人の手でそこまで強力な呪いはかけられないからだ。

 だが本当にそうだろうか。この足跡の主はあの村の村人達ではない。しかし彼らの他に、誰がこの不毛の地に近づくだろうか。呪いの震源地と思しき荒野に残された人の気配。ただの偶然と見過ごすにはあまりに不自然だった。


 この場所の土は乾いている。足跡を残した者はまだ遠くには行っていないはずだ。リンタロウは近くの小高い丘の、突き出た岩の上に登って足跡が行く先を見た。

 そして見つけた。荷物を背負い、黒いローブを着た二人組。ここからではその背中は小さく、男女の見分けすら付かない。


 どこまで追うか。丘を降りながら、リンタロウはそのことについて考えていた。

 追わないという選択肢はない。万が一にも足跡が消えれば追跡は絶望的になる。ギルド職員との合流は遅れることになるが、優先度はこちらの方が高い。

 問題はどこまで深入りするかだ。どこを目指しているかを突き止めたところで引き返す。それが最も無難な選択に思えた。

 方針を決め、足跡を辿って追いかける。相手は尾行されている可能性を考えるだろうか。リンタロウは念の為、岩陰などに身を隠しつつ追跡した。ただ、もし尾行を警戒しているようであれば、その時点でクロだと言っているようなものだ。

 心境は複雑だった。調査の進展を望みつつ、人が犯人であって欲しくないと願っている。確かめるしかない。逸る気持ちを抑えながら、リンタロウは追跡を続けた。


 それからしばらくして、二人組の背中は地下へと続く洞窟の中に消えていった。リンタロウはその様子を離れた岩の影から覗いていた。中の様子は窺えない。だが浅くはなさそうだ。

 リンタロウは予定通り、ここで引き返すことにした。彼らは何らかの形で事件に関わっている。予感は既にほとんど確信へと変わっていた。旅人や行商などでは決してない。何か訳ありの連中だろう。この情報は必ず持ち帰らねば。

 だが、引き返すには一足遅かった。


 振り返ったリンタロウの視界を光が塞ぎ、全身に雷撃が走る。その衝撃に膝から崩れ落ちた。倒れた視線の先に人間の足が見える。そいつもやはり、全身に黒いローブを被っていた。


 功を焦ったか。


 直後、後頭部を棒のようなもので殴られたリンタロウは、そのまま意識を手放した。






 洞窟の中は外と同じく乾いた空気に満たされていた。横幅は十人が並んで歩けるほど広く、天井も頭よりずっと上にある。加えて奥へと下っていった最深部には大教会の礼拝堂ほどの広さの空間が広がっており、人が近寄らない立地も相まって、隠れ家としては申し分ない条件を備えていた。

 だが黒いローブの者達がここを拠点に選んだのは、そういった条件面からではない。最深部に広がる空間の中央に鎮座する、周囲に魔法陣が描かれた大きな岩、これこそが彼らの悲願だからだ。


「何だね、それは」


 そう仲間を問い詰めるのは、十四人いる黒いローブの者達のまとめ役の男だった。

 今しがた帰還したばかりの二人は、革鎧を着た男を担いで現れた。明らかな厄介ごとを持ち込んでくれた仲間に対し、まとめ役は眉を顰めている。


「土産だ。入り口の近くをうろついていた。つけられてたな」


 帰還した黒ローブ達は、そう言って担いでいた男を地面に転がす。

 まとめ役は先ほど食料を調達して帰ってきた仲間を睨んだが、すぐに視線を目の前の男に戻した。


「殺してあるんだろうね」

「いや、まだ息はある」


 その答えにまとめ役の目つきが更に鋭くなる。


「そう睨むな。ただ殺すぐらいなら蛇神(じゃしん)様への供物にした方が良いではないか」

「その間に目を覚ましたらどうするのだね。逃げられればここを知られるのだよ」

「そのぐらいのことは考えているとも。足は潰してあるから逃げられはしない。仮に這ってここを抜けて出ても荒野で野垂れ死に……いや、その前に呪いが発動して終わりだな」


 その答えに一応は納得したのか、まとめ役はそこで矛を収めた。


「わざわざリスクを取らねばならないほど贄に困っているわけでもないが、まあいいだろう。だが、次に考えなければならないのはこの男の仲間についてだよ。見たところ冒険者だろう。他にもこの辺りをうろついていると考えるべきだね」

「こいつの近くにはいないようだったが、可能性はあるだろう。しばらくは引き籠っていた方が良いように思う」

「違いないね。蛇神様の復活にはまだ時間がかかる。この際一度、ここの入口を塞いでしまうことも視野に入れるとするかね」


 黒ローブ達の話もまとまった、そのときだった。


『我が使徒達よ――』


 地響きのような凄みのある低音が脳内に響く。この場にいる全員が同じ声を聞いたようだ。黒ローブ達は空間の中央にある魔法陣に囲まれた岩へと向き直ると、片膝を突いて続きを待った。まさに神の啓示を受ける使徒達のよう。事実、この声の主は彼らの崇める神、蛇神だ。


『先の算段を立てるのもよいが…………その男、既に目覚めているぞ?』


 まとめ役が立ち上がり振り返る。


「その男を捕らえろ!」


 真っ先に動いたのは先ほどまでまとめ役と口論をしていた黒ローブだった。足元に転がしていた冒険者を捕まえようと腕を伸ばす。しかしその手は空を切った。倒れていた男が機敏に躱し、距離を取ったためだ。


「足を潰していたんじゃなかったのかね」

「いや、間違いなくそのはずだったんだが。これはどういうことだ」


 驚くのも無理はない。骨を砕いていたはずの両脚で、何事もなかったかのように立っているのだから。


「さてさて…………武器は取られて多勢に無勢、こいつはどうしましょうか」


 周囲の様子を探りながら、倒れていた男――リンタロウがひとりごちた。


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