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墓荒らし 肆

 アトリエの壁に飾られていたのは三枚の絵だった。描かれているのはいずれも同じ、赤い瞳に黒い体毛を持つ一匹の犬。左から順に、まだ四肢も短かった幼犬が、立派な体躯を持つ大型犬へと成長していく過程が記録されていた。

 それらを目にした瞬間、リンタロウは直感した。この事件の発端が、すべての前提が間違っていたことに。ブラックドッグはレシオール・モディを殺して家を乗っ取ったのではない。死んだ主に代わって、侵入者からこの家を守っていたのだ。






「くっ……」


 右脚に鋭い痛みが走る。下を向くと、ブラックドッグが後ろから、革鎧に守られていない膝を狙って喰らいついていた。一度目の奇襲に失敗したからか、今度はまず機動力を奪いに来ている。


 リンタロウは剣を抜き――逡巡の後、柄でブラックドッグの頭を狙った。寸でのところで顎を離し距離を取るブラックドッグ。両者は寝室の入口を挟んで対峙した。


 もし迷いなく攻撃していれば、もし柄ではなく刃で攻撃していれば、あるいは傷を負わせることができたかもしれない。だが今のリンタロウには敵を殺す算段など立てられるはずもなかった。目の前で殺意の牙をむき出しにするそれが、自分の敵であるのかすらもわからなくなっているのだから。


 そうしてリンタロウが選んだのは、背を向けての逃走だった。

 ベッドとベッドの間、ちょうど背後にあった窓を剣で叩き割り、飛び込むようにして外に逃れる。受け身を取る間もなく身体は芝生に叩き付けられた。何とか起き上がり歩き出すのと入れ替わりに、追って飛び降りたブラックドッグが着地する。


 再び距離を取って対峙する両者。僅かに稼いだ時間では状況は何も変わらなかった。唸りを上げるブラックドッグに対し、リンタロウは未だ剣を構えられないでいる。


「…………どうしたもんかな、これは」


 リンタロウは困ったように笑った。それを嘲りと捉えたのか、ブラックドッグは地を蹴り襲いかかった。眼前に迫る死を前に、リンタロウは一度すべてを諦め、静かに目を閉じた。直後、押し倒された彼の首を容赦なく牙が襲った。






 ついに降り出した雨と共に、リンタロウはこの日二度目となる死から蘇った。雨粒が瞼を叩き、立ち上がれと追い立てる。しかし彼は分厚い雲を見上げたまま、指ひとつ動かせずにいた。

 頭の中にはアトリエで見た絵が浮かんでいた。悲しみと孤独。そんなもの、あの絵には欠片も描かれてはいなかった。あったのはその逆、この場所で出会った新しい家族への曇りなき愛情。

 どういう経緯があったのかはわからない。だがモディがまだ幼いブラックドッグと出会い、共に生きることを選んだ、それだけは事実だった。そしてその想いがモディからの一方的なものではなかったことも、ブラックドッグのこれまでの行動から明らかだ。


 思えば随所に違和感はあった。なぜブラックドッグはあの家に執着するのか。なぜ家には荒らされた形跡がないのか。なぜ彼はああも侵入者に対し苛烈に襲いかかるのか。

 その全てが、ひとりの男とモンスターの間に芽生えた絆によって説明がつく。


 ようやく指を動かすと、濡れた芝生がちくりと刺した。一度は頭の隅に追いやった違和感も、今ならば言語化できる。初めてこの館を見たとき、なぜその外観を奇妙に思ったのか。それは汚れた屋根や壁に対し、庭だけは綺麗に整えられていたからだ。

 もし庭も同じように放置されていたならば、今頃は森との境目もわからないほど荒れた草むらになっていただろう。それが芝生の庭だと認識できた時点で、そこだけは管理がなされていたのだ。

 そしてそれが何のため――いや、誰のためなのか。考えるまでもない。ひとりでは持て余す広さも、愛犬と過ごすにはちょうど良かったのだ。


「俺は、殺すのか…………あいつを」


 そのためにここに来た。だが、今の自分にそれができるだろうか。

 ブラックドッグがあの家に居座るのは当然の権利だ。あの家はとうにモディだけのものではない。ブラックドッグにとっても、あの家こそが居るべき場所で、守りたい想い出なのだ。

 客間で死んでいた男はモディの財産を狙った泥棒の類だったのだろう。やって来た衛兵達も、ブラックドッグにとっては侵入者に他ならない。家を守るために戦うのは、彼にしてみれば当然のことだ。そこに土足で踏み込み、奪い取ろうというのは、果たして正しいことなのだろうか。


 勢いを増す雨を前に、リンタロウは両の目を手で覆った。雨粒が手の甲を責め立てるように叩く。思考は未だまとまらない。

 フィーゼが言っていた。モディの作品はここ数年は評価を落としていると。その理由が今ならわかる。彼の作品の根底にあった悲しみと孤独、そのぽっかりと空いた穴を、ブラックドッグが埋めたのだ。晩年のモディは亡くしたものに囚われ続ける哀れな男ではなかった。時が止まっていたように見えたこの館も、新しい家族と共に、確かに未来へと進んでいたのだ。


「家族…………」


 そのときリンタロウの脳裏を掠めたのは、深々と頭を下げる衛兵の姿だった。




 あいつにはまだ小さい娘がいたんです。どうか奴を倒して、あいつの仇を取ってやってください。




 家族――。そうだ、殺された衛兵にも家族がいたのだ。この場所で命を落とすことさえなければ、その衛兵と家族にだって未来があった。この先ずっと、幸せない時間を過ごすことができたはずだ。

 

 仇を取ってくれ。そう頭を下げた彼の頼みに、自分は何と答えただろうか。


「――――お前は何だ、藤宮倫太郎」


 両手に力が籠る。今一度、腹をくくらねばならない。これからもこの道を歩き続けるために。


「冒険者だろうが。人に仇なすモンスターを倒す、それがお前の役目だろうが」


 起き上がり、両手で頬をぴしゃりと叩く。

 迷う余地など初めからなかった。大切な誰かを奪われた人々と、人殺しのモンスター。そこに如何なる事情があろうとも、どちらの側に立つべきかは最初から決まっている。


「やるしかねぇ。それが俺の選んだ道で、通すべき筋だ」


 その瞳にもう、迷いはなかった。生来の眠そうな目にも、今は確かに覚悟が灯っていた。






 館の前に立ったリンタロウは、両開きの扉を勢いよく開け放った。番犬への宣戦布告、再び舞い戻ったことをブラックドッグに告げるために。そうして中へ入ると、まっすぐに目的の部屋へ向かった。窓もない部屋の中は扉を閉めれば闇に閉ざされる。ブラックドッグならどこにでも潜めるだろう。

 リンタロウは奥まで進み、壁に背中を付けた。縦長のこの部屋なら、こうすることで奴が襲ってくる方向を制限できる。後はただ、来るのを待つだけだ。


「お前もいい加減、俺が鬱陶しくて仕方がない頃だろう?」


 根拠はなく、ただ確信だけがあった。二度の対峙を経て、闇に潜む奴の息遣いさえ感じ取れるような、そんな直感がリンタロウを動かした。

 左手に握った魔石に魔力を込める。起動した石は周囲に光を放ち、闇に閉ざされていた部屋から影を追い払った。両側に雑貨が置かれた棚が並ぶその間、隠れる場所を失い宙にはじかれたブラックドッグが、それでもなおリンタロウの喉笛を噛み切ろうと牙を剥く。

 その肩口めがけて、リンタロウは剣を振るった。


 牙はもう、リンタロウには届かなかった。ブラックドッグが受けたのは致命の一撃。肩から胸にかけざっくりと開いた傷口から止めどなく血が溢れ出し床を濡らす。これではもはや走ることすら難しい。

 背後に迫る死を自覚したブラックドッグは、残された僅かな時間の使い道を決めたようだった。口惜し気に唸ると、片脚を引き摺りながら部屋の外へと踵を返していく。

 どこへ向かうつもりなのか、リンタロウにはすぐにわかった。だから光を放つ魔石を懐にしまい、部屋を闇の中に戻してやった。足元に影が戻る。ブラックドッグはその中に静かに沈んでいった。


 本当なら追わねばならなかった。ブラックドッグの討伐証明、耳を斬り落としトロフィーとしなければならない。だがそんな気にはなれなかった。証明なら他にもやりようはある。あのブラックドッグが館を離れることはないのだから、後で調査に来た衛兵達がその亡骸を見つければいい。


 だから今は――最期の時だけは、二人静かな時間を過ごさせてやろう。

 冒険者としての役目を終えたリンタロウは、剣を収め館を後にした。






「以上で手続きは終了です。今回もお疲れさまでした」


 後日、冒険者ギルドの受付にリンタロウはいた。あの街の衛兵長に貰った、依頼達成を証明するサインと共に。

 いつもは事務的なフィーゼの労いも、今日は幾分か心が籠っているように聞こえた。それもそのはずか。今回の依頼は、彼女がわざわざ指名してくるほど気にかけていたものなのだから。

 報酬を受け取ったリンタロウがその場を離れようとすると、フィーゼが背中に声を掛けた。


「ところでフジミヤさん」

「……はい、なんでしょう?」


 少し間を置いて振り返る。

 何を聞かれるかなどわかりきっていたが、それでもリンタロウはそう返した。


「レシオール氏のアトリエはどうでしたか。彼の遺作は、見つかりましたか」

「そうですねぇ…………」


 浮かぶのはアトリエの壁に掛けられた三枚の絵。ひとりの男と愛犬が過ごした、暖かな時間を切り取った肖像。

 それはおそらく、彼女や蒐集家(コレクター)達が期待したのとは違うものなのだろう。あれらに対する査定など、()()()のそれには遠く及ばないのかもしれない。だが、それでいいのだ。真にあの絵の価値を知るのは、あの場所で掛け替えのない時を過ごした彼らだけなのだから。


「ありましたよ。あたしでは到底、値を付けられないようなものが」




 衛兵の報告によれば、客間で殺害されたと思われていたレシオール・モディの遺体は、寝室のベッドの上で見つかったそうだ。そしてベッドの傍では一匹の黒い犬が、氏に寄り添うようにして息絶えていたという。




 墓荒らし 完


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