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墓荒らし 参

 リンタロウが再び意識を取り戻したとき、目の前には灰色の空が広がっていた。襲われたのは館の中のはず。どうやら意識を失った後、ブラックドッグに外まで引きずり出されたようだ。

 聞いた話では殺された二人の衛兵も同様に、開いた扉から館の外に死体を運び出されていたらしい。死んでもなお縄張りを犯すことは許さない、といったところか。人の家を乗っ取っておいて勝手なものだとリンタロウは思った。


(しっかし、あっさりやられたな……)


 一応首元を確認してみたが、当然そこには傷も噛み跡もない。不死の能力により、襲われる前と変わらない状態で蘇っていた。

 上体を起こすと、芝生の上には血の跡が点々と残っていた。リンタロウは最初自分が流した血かと思ったが、おそらく違うはずだ。今までは血を流した跡すら消えていた。このような痕跡を残したことは一度もない。

 ということは、これを残したのはブラックドッグだろう。


 館の中に戻ると、ちょうど襲われた辺りの床にリンタロウのナイフが転がっていた。刃には血がべっとり付着している。これももちろんリンタロウではなく、ブラックドッグのものだ。不意を突かれる形で襲われたが、反撃には成功していたようだ。

 殺された衛兵はいずれも首を噛まれて死んでいた。死角から奇襲し、急所への一撃で確実に仕留める。優秀な狩人なのだろうが、パターンさえわかっていればどこに向かって反撃すれば良いかは予測ができる。その証拠に、ナイフは深くまで刺さっていた。


(血の跡は……すぐに消えちゃってるな)


 館から庭へ、そして再び館の中へ。ブラックドッグの移動に合わせて続いていた血の跡は、しかし館の玄関でぴたりと消えていた。ここで影の中に潜んだ、ということか。血の跡を頼りに追跡したいところだが、これでは地道に探すしかない。


「なら、予定通り食卓から行きますか」




 床板をぎしりと鳴らしながら入った食卓は、それ以外のすべての音が消し去られていた。何も置かれていないテーブルに、棚に並ぶ食器類、からっぽの鍋が置かれた釜戸もとうに冷え切っている。ここで暮らしていた者の痕跡を随所に残しながら、部屋は息を止めたように沈黙していた。


(これは……流石にブラックドッグはいない、か)


 そう思いながらも、リンタロウは部屋を一周してみることにした。

 歩きながら、テーブルを指でなぞってみる。埃がわずかに積もってはいるが、長い間放置されていた様子はない。外観と違って中は綺麗にしてあるのか。あるいは単に食事のたびに使うからかもしれないが、どちらかといえば前者のような気がした。

 棚に置かれた皿やコップも等間隔に並んでおり、家主の几帳面な性格が表れている。ひとりで使うには数が多いのは、そこも含めて想い出を再現しているからか。そう考えると、几帳面だったのはモディではなく妻の方だった可能性もある――と、そこまで考えてからリンタロウはかぶりを振った。

 想い出の中に囚われ続けることを選んだ男の、その悲痛なまでの愛執がこの家を形作っている。妻を失ってからの彼の作品は悲しみと孤独をテーマにしていたというが、リンタロウにはこの家もまた、そんな作品のひとつのように思えた。


 釜戸の前まで来たとき、ふと端に置かれたままの一枚の木の皿が目に入った。少し悩んでから、リンタロウはそれを棚の中に戻した。




 階段のそばにある縦長の収納スペースの扉を開けると、やはりブラックドッグはいなかった。両サイドの壁際には棚が並び、工具などの日用品が置かれている。窓がないため扉を閉めれば完全な闇の中だが、だからといってここを根城にはしないだろう。リンタロウは中には入らず、そのまま扉を閉めた。


 これで一階で見ていないのは客間だけなのだが、立ち入るのを躊躇してしまう理由がリンタロウにはあった。レシオール・モディ、彼が殺害されたのがその客間なのだ。

 殺された衛兵の死体はブラックドッグが外へ引きずり出している。だが一方で、モディの死体に関しては外では発見されていない。つまり、いまだ客間の中に置かれたままの可能性が高いということだ。


「ふぅー……っ」


 扉の前に立ち、大きく息を吐く。これは仕事だ。気が進まずとも、必要ならやらねばならない。覚悟を決めたリンタロウは扉を開け中に――は入らず、部屋の外から様子を確認する。窓は開いたまま、ソファにも床にも()()()()いない。

 ブラックドッグがいないことを確認したリンタロウは扉を閉じると、しばしその場にうずくまった。




 これで残るは二階のみとなった。二階にあるのは夫婦の寝室と、それからアトリエだ。

 階段に足を掛けた。そのまま見上げた先はやはり薄暗く、どこにブラックドッグが潜んでいてもおかしくはない。

 ただ、ここまで襲ってこなかったということは、奴も簡単には動けない状態にあるようだ。リンタロウが負わせた傷は決して浅くはない。体を休める必要があるのか、あるいは再びの襲撃に慎重になっているのか。どちらにしても、追う側に分がある状況だ。リンタロウは覚悟を決め、歩を進めた。


 踊り場を過ぎて階段を登りきると、目の前には庭が見える窓があった。右手には扉、中はアトリエのはずだ。リンタロウは扉に手を掛け、そのまま立ち止まった。

 気付いてしまったのだ。胸の内に、奇妙な高揚感を覚えていることに。そしてその正体についてもリンタロウは自覚していた。


 期待しているのだ。この中に、レシオール・モディの遺作が残されていることを。

 この依頼を受けたばかりの頃は、そんなことなどどうでもいいはずだった。だが晩年の彼を知り、彼の愛執の結晶ともいえる終の棲家を巡った今、彼がどんな作品(もの)を遺したのか、興味がないと言えば噓になる。

 これではフィーゼのことを責められないと、リンタロウは自嘲した。モディの遺作を一番に見ることができる。それは今のリンタロウにとって、少なからず名誉なことだった。


 扉を開ける。部屋の真ん中には画板を立てかける空のイーゼルと、それを囲むようにして画材の数々が置かれていた。絵筆にパレット、棚には色を作るのに使用する様々な顔料が並ぶ。

 モディの作品は描きかけのものすら残されていないように見えた。棚の中も少しだけ探してみたが、それらしいものは見当たらない。肩を落としたリンタロウは、探すべきものが別にあったことを思い出し苦笑した。彼の仕事はブラックドッグの討伐であって、家捜しはその後、別の者達がすることだ。


 我ながら何をやっているのか。アトリエを出ようと振り返ったそのとき、リンタロウは背後の壁に掛けられていたものに気が付いた。


 目を奪われる、というのとは違った。リンタロウが言葉を失ったのは、息を呑むほどの傑作を目にしたからではない。耐え難い悲しみと孤独。晩年のモディのテーマとされていたそれらが、その絵のどこにもなかったからだ。

 代わりに描かれていたのは、それらとは全く逆のものだった。






 確かめなければならない。アトリエを出たリンタロウは、焦りを胸に寝室の扉の前に立った。

 この時点でリンタロウは、中の状況におおよその察しが付いていた。扉一枚では封じ込められていない濃厚な気配が漂っていたからだ。それでも確かめねばならなかった。リンタロウがアトリエで目にしたもの、この事件の前提が覆る真実を。

 

 扉を勢いよく開けると、最初にリンタロウを出迎えたのは強烈な腐臭だった。鼻を覆うと同時に確信する。この館で死んだ人間は三人ではない。ここに、もうひとりがいる。


 寝室にはベッドが二つ並んでいた。モディとその妻のもの。ここもやはり、彼の想い出通りに再現されていた。だが想い出と決定的に違うのは、ベッドに横たわっているのが()()()()()だということだ。


「この人が…………この人がレシオール・モディか……!」


 向かって左のベッドは空だった。逆に言えば、右のベッドは埋まっていたのだ。ブランケットを胸の辺りまで被り、仰向けに横たわる誰か。リンタロウはモディの顔を知らなかったが、そうでなくても判別は難しかった。それほどまでに腐敗が進んでいる。だが状況からして、彼がこの館の主とみて間違いなかった。


 アトリエで目にしたものと、あるはずのない四つ目の死体、そして侵入者に苛烈に襲い掛かるブラックドッグ。この家で起こった出来事のすべてが、リンタロウの中で繋がっていく。


 そして――真実を知ったリンタロウの背後、廊下に伸びる彼の影から、漆黒の番犬が姿を現した。


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