第426話 【魔神蚩尤降臨!】絶対的絶望の灰色の霧と怒濤の神威!限界突破の攻防と撤退戦の中央で放たれる王の決意!
荒野の空間がガラスのようにひび割れ、そこから溢れ出した圧倒的な圧迫感が、全戦場の空気を一瞬で凍りつかせた。
現れたのは、古代の伝説に謳われる破滅の魔神——蚩尤。
巨躯を誇る怪異な人形の獣身。あらゆる攻撃を跳ね返す金剛不懐の頑強な頭と額を持ち、禍々しい角を生やした巨大な牛の頭部。眼前に蠢くものを逃さず捉える四つの眼。そして、その背からは不気味に蠢く六つの腕が生え揃い、足元は凶悪な鳥の蹄と鋭利な鉤爪で大地を深く踏み荒らしている。
そしてその六つの腕には、それぞれ伝説の神兵——剣、戈、矛、戟、酋矛、夷矛が強固に握られていた。
戈は凶悪なピッケル状の長柄武器。
矛は両刃の剣のような穂先を持つ鋭利な槍。
戟は矛の横に戈に似た横刃を備えた複合作業の神兵。
酋矛は長大なリーチを誇る特別な矛。
夷矛は酋矛よりさらに長く、戦場全体をなぎ払う規格外の超長矛。
さらに蚩尤の背後には、地響きとともに夸父、雷公、そして電母という悪名高き古代の神々が威風堂々と立ち並んでいた。
「ハッ……!」
降臨した蚩尤は、巨腕の一本に握られた矛を一切の予備動作なく振り抜いた。
ドガァァァンッ!!
真空を裂く凄まじい衝撃波が走り、風伯と一進一退の死闘を繰り広げていた雷神トールのライゾウを、問答無用で真っ二つに薙ぎ払い、遥か彼方へと吹き飛ばす。
「蚩尤様、感謝いたします……!」
風伯が深々と頭を下げる中、切り飛ばされたライゾウの身体は一瞬で雷光となって繋がり、超高速で傷口を再生させた。
「くっ……! ようやく敵の大物のお出ましってわけか……!」
雷光を撒き散らしながら息を荒らげるライゾウ。だが蚩尤の攻勢は留まることを知らない。
蚩尤は次の瞬間、恐るべき神速の空間跳躍を見せ、雨師と激戦を繰り広げていたアンナの眼前に突如として現れた。そして六つの腕の一つが握る超長矛・夷矛のズッシリとした重厚な石突きを、容赦なくアンナの胸元へ叩き込む。
ゴカァッ!!
「くぁっ……!?」
衝撃波とともに吹き飛ばされたアンナだったが、間一髪で空中転移を発動し、俺のすぐ隣の空間へと退避して降り立った。
「蚩尤様……!」
雨師が敬意を込めて叫ぶ。そこへ、仲間を傷つけられた激怒とともに悪魔ベリトのヴァンス伯爵が跳躍した。
「調子に乗るなよ、古代の化物め!『キラーインフェルノ』ッ!」
あらゆるものを焼き尽くす極大の漆黒の炎が蚩尤を呑み込もうと襲いかかる。しかし、蚩尤は微動だにせず、ただ無造作に戟を一閃させた。
極大の黒炎が、まるでただの煙のように一瞬で一刀両断され、四散して消失する。
「な……ッ!?」
愕然とするヴァンスを見下ろし、蚩尤は地底から響くような不気味な重音で嘲笑ってみせた。
「さて……折角ここまで出向いて貰ったのだ。手ぶらで帰すわけにもいくまい。我が下僕に素晴らしいお土産をあげよう。風伯、雨師よ、例の魔法を放て」
「御意!」
雨師が右手をかざすと、その手元から溢れ出る大量の神気が混じった水流が、空中に巨大で緻密な魔術陣を描き出す。そこへ風伯がすかさず神気を混じえた暴風を送り込んだ。
二人の古代神の力が合わさった瞬間、魔法陣の中心から凄まじい神気を含んだドス黒い灰色の霧が爆発的に立ち込め始めた。
濃密な灰色の霧は瞬く間に戦場全体を覆い尽くし、一瞬で周囲視界を完全に奪い去る。
「何だ……!? 前がまったく見えん……!」
俺が視界を奪われて警戒を強めたその時、思考内に直接ユイからの緊急念話が飛び込んできた。
(ヒロト様、危険です! この霧、単なる視界妨害ではありません! 魔力探知すら完全に遮断されますし、全般的にこちらの魔力行使の効率が著しく悪化しています……!)
(風魔法で一気に吹き飛ばせないのか!?)
(駄目です! 暴風魔法を叩きつけましたが、この霧は空間そのものに定着していて微動だにしません!)
直後、スクルドたちヴァルキリーのメンバーからも悲痛な念話が届く。
(きゃぁぁっ! ヒロト様、見えない位置から攻撃をけています……っ!)
(敵はこちらの位置を正確に把握しているようです……くっ!)
こちらからは完全に目隠しをされた状態だが、敵はこの濃霧の中でも完全にこちらの動きを視認できているらしい。あまりにも圧倒的な不利だ。
「スラオ! 暴食のスキルで、この気味の悪い霧を全部吸い込めないか!?」
隣に控える亜神バアルゼブルのスラオに叫ぶが、スラオは悔しそうに歯を食いしばって首を振った。
「申し訳ございません、ヒロト様……! 試みましたが、この霧は神気と特殊な概念が結合しており、私の『暴食』でも消化しきれず吸い込めませんでした……!」
むむ……そうか。ならばこの場でダラダラと戦い続けるのは危険すぎる。
俺は即座に戦線にいる全員へ念話を発信し、急ぎ状況確認を行った。
この最悪の濃霧の中でまともに敵の奇襲に対抗できているのは、ライゾウただ一人だった。相手が霧の中から突如現れようとも、光の速度という領域で瞬間的に対処して見せているのだ。
しかし、他のメンバーは多かれ少なかれ、目に見えぬ死角からの猛攻を受けて負傷を重ねている。
「ダメだ、これ以上は持たない……! 取敢えず全軍送還する!」
俺は念話で全員に向けて撤退の指示を叩き込んだ。
すると、即座に世界樹の精霊王であるレイから念話が入る。
(ヒロト様! 避難先は、私の本体がある世界樹の広場前へ一括送還するのが最善です! あそこなら私の展開する最強の結界が護ってくれます!)
「分かった、世界樹前へ送還する!」
俺は速やかに広域転移術式を起動し、負傷した仲間たちを次々と世界樹の前へと退避させていった。
だが、その転移の隙を蚩尤が見逃すはずもなかった。
シュバッ!!
灰色の濃霧を極限の速度で突き破り、凶悪な威圧感を纏った蚩尤の矛が、一直線に俺の胸元を目指して飛来したのだ。
「ヒロト様っ!!」
スラオが瞬間的に割り込み、持てる全力を叩きつけて矛の軌道を必死に受け流そうとする。
しかし、死角からの不意打ちかつ神威を纏った一撃を完璧に殺しきることは不可能だった。僅かに軌道を逸らされたものの、心臓を目掛け貫こうとしていた矛は、俺の左肩を深々と深く突き抜けた。
ズガッ!!
「ぐあぁぁぁっ……!? 痛ぁぁっ!」
激痛が走り、俺は右手で血が噴き出す左肩を強く押さえて膝をつく。
すかさず遠隔からレイの強力な回復魔法が光となって降り注ぎ、傷口を肉体ごと急速に塞いでいく。だが、敵の追撃の手は緩まない。
「逃がさんぞ、人間ども!」
「神罰を受けよ!」
雷公の放つ苛烈な紫電の雷撃が、雨師の繰り出す極大の水流が、そして風伯の放つ無数の鋭利な風刃が、濃霧を切り裂いて殺到してくる。
スラオが大悪魔としての全魔力を展開し、身体を張ってそれらを辛うじて防ぎ止めるが、回避しきれない斬撃や衝撃によって、スラオも俺も少しずつ身体を傷つけられていく。
「くっ……しつこい奴らめ……!」
その度に、レイの温かな回復魔法の光が俺たちの全身を包み込み、なんとか命を繋ぎ止めていた。
濃霧に包まれた絶対絶望の戦場の中、俺たちは生存をかけたギリギリの撤退戦を繰り広げていた。




