第389話 【覚醒する至高の悪魔ベリト!】狂乱の阿鼻叫喚と折れた聖剣!災厄コントン打倒へ立ち上がる最強陣営の逆襲劇!
目の前で繰り広げられる阿鼻叫喚の地獄絵図を前に、覚醒勇者ハーミアは何が起こったのかすら理解できず、完全に茫然自失となっていた。
つい数分前まで肩を並べて戦っていたはずのオーダン軍の兵士たちと、敵対していたはずの樹海帝国軍の兵士たち。彼らが敵味方の区別すら失い、自分以外のあらゆる存在を「殺すべき敵」として認識し、血生臭い悲鳴と狂笑を上げながら互いの肉を貪り食うように殺し合いを繰り広げている。
「なんなの……これ……。みんな、どうして急に殺し合っているの……!?」
時折、血走った目で正気を失った兵士がハーミアに向かって刃を振りかざして襲いかかってくるが、彼女は手元に残された根元からへし折れた聖剣エクスカリバーの柄を使い、半ば無意識の動作で弾き返すのが精一杯だった。思考は完全に停止し、己の無力さに打ちひしがれるしかない。
そんなハーミアを一瞬で斬り払い、無残に蹴り飛ばした悪魔キマリスのオニバル将軍。そして鋭い爪で腹部を穿った魔神パズズのバズ。
二人の圧倒的な絶対者は、手加減して放置された自分(勇者ハーミア)など眼中にすらないかのように完全に無視し、禍々しく重苦しい神気が渦巻く戦場の中心へと向かって静かに歩みを進めていた。
「オ、オニバル将軍ッ! バズ殿! 待ってください……一体どこへ行くつもりなのですか!?」
ハーミアが傷ついた身体を必死に起こし、叫ぶように問いかける。
オニバルは八本脚の魔馬スレイプニルの上で、振り返りもせずに重厚な声を返した。
「四大凶獣の一角——『渾沌』が出現した」
「あの禍々しい気配の源、邪悪なる『渾沌』を抑えに行くのだ」
バズもその四枚の翼をゆっくりと羽ばたかせながら、冷徹に言葉を繋ぐ。
「『渾沌』は狡猾にも、死んだオーダンの直属軍の中に深く潜んでいたのだな」
オニバルが眉一つ動かさずに語る事実に、ハーミアは息を呑んだ。だが、打ち砕かれた正義感を必死に奮い立たせ、叫ぶ。
「私も……私も一緒に行きます! 災厄を討ち払うのが勇者の使命です!」
「止めておけ。身の程を知れ」
バズは嘲笑うでもなく、純粋な事実としてハーミアに言い放った。
「勇者ごときの不完全な神力で、完全なる亜神たる『渾沌』を止めることなど万に一つもあり得ん。足手まといになるだけだ」
「悪魔となった俺と、魔神であるバズに任せておけ。お前はそこで己の無力を噛み締めているがいい」
オニバルの冷ややかな言葉がハーミアの胸を突き刺す。
そこへ、全速力で空を飛翔し、戦場からの脱出を図っていたヴァルキリーのスクルドたちが急降下してきた。
「オニバル将軍! バズ殿! この先に凶獣『渾沌』が現れました! 兵たちが狂気に呑み込まれています!」
「知っている。心配はいらん、ここは俺たちに任せて貴様らは引け」
オニバルが短く答えると、ヴァルキリーのヒルドがボロボロのハーミアの元へ舞い降り、肩を掴んだ。
「ハーミア! まだ意識はあるか! 正気なのか!?」
「ええ……私は、正気よ……ッ」
「なら今のうちに急いで逃げろ! あの『渾沌』が撒き散らす凶悪な精神汚染に巻き込まれたら、いくら勇者といえどタダでは済まないぞ!」
「ダメよ……正義を掲げる者が、災厄を前にして逃げるなんて絶対にできない……!」
折れた聖剣を握り締め、震える足で立ち上がろうとするハーミアを見て、人魚のヴァルキリーであるスコグルは溜め息を吐いた。
「そう……覚悟があるなら引き止めはしないわ。だが、少しでも正気が保てないと感じたら即座に逃げなさい。……私たちはもう限界よ」
スクルドたち四大ヴァルキリーはそう言い残すと、翼を強く打って大空へと飛び立った。これ以上『渾沌』の領域に留まれば、自分たちの上位精神耐性すら突破されて発狂させられると熟知しているからだ。彼女たちは全速力で『渾沌』の影響範囲から遠く離れていく。
そもそも今回の戦いは、オーダン侯爵軍が樹海帝国のステラド地域へ侵攻を開始したことから始まった。
樹海帝国軍は、親の仇を討たんとするヴァルキリーたちの力も借りて見事にオーダン侯爵を追い詰め、その首を挙げた。
しかし、その勝利の絶頂の瞬間、オーダンの陰に潜んでいた極悪の凶獣『渾沌』が戦場へと降臨したのだ。
戦場は一瞬にして混迷と地獄の坩堝へと叩き落とされた。
狂気にとらわれた兵士たちは敵味方の概念を完全に喪失し、血反吐を撒き散らしながら周りの者たちと無差別に殺し合う。
正気を保てるわずかな強者たちだけが、青ざめた顔で悲痛な思いで戦場を後にしていた。
その光景を後方から苦々しく見つめていた吸血鬼真祖のヴァンス伯爵は、溢れ出る怒りに激しく舌打ちをした。
「ちっ……撤退がわずかに遅れた俺の眷属たちが、完全に狂いやがった……ッ!」
血管を浮かび上がらせたヴァンスは、凶悪な眼光で狂乱の渦を見据える。
「クソが……ッ! 狂った眷属たちも含めて、全員まとめて一度強制送還する! ヴァール! ヴァイラ! 送還後、正気を失った眷属たちを全力で制圧しろ!」
側に控えていた二人の高級吸血鬼が即座に膝をつく。
「「承知いたしました、ヴァンス様!」」
「全眷属、影の領域へ送還ッ!!」
ヴァンスが手を掲げると、闇の波動が広がり、戦場で狂乱していた吸血鬼たちが一瞬にして影へと吸い込まれ、姿を消した。
眷属たちを戦場から離脱させたヴァンスは、溢れ出る怒りで身体を震わせた。
「『渾沌』の野郎……! 俺の大事な眷属たちで遊んでくれたな……ッ! 只で置くと思うなよ! ……だが、今の吸血鬼真祖という種族のままでは、完全なる亜神を殺し切ることはできんか。長年親しんだ吸血鬼の身体には名残惜しさもあるが……背に腹は代えられん。——進化だッ!!」
ヴァンスの決断と共に、彼の肉体がドロドロとした純粋な濃密な闇へと変化していく!
周囲の空気が一変し、息もできないほどの禍々しい至高の邪気が辺り一帯へ爆発的に漂った。
闇は渦を巻き、天を突くほどの悪魔のシルエットを形作っていく。
闇が弾け飛んだ時、そこに光臨したのは、至高の悪魔——悪魔ベリトへと進化を果たしたヴァンスであった!
悪魔ベリトとなったヴァンスは、眩いばかりの真紅の豪奢な礼装に身を包み、背中からは圧倒的な存在感を放つ二対四枚の漆黒のドラゴンの翼を羽ばたかせている。そしてその下には、紅蓮の炎を纏った漆黒の魔馬・赤いスレイプニルが咆哮を上げて鎮座していた。
「——『渾沌』を殺しに行くぞッ!!」
ヴァンスが悪魔の権能を解放して叫ぶと、赤いスレイプニルは前脚を上げていななき、空間を切り裂いて大空へと力強く飛翔した。
至高の悪魔となったヴァンスの逆襲が、今まさに始まろうとしていた。




