第355話 【いざ戦乱の最前線へ!】不気味なほどの平穏と違和感……皇帝ヒロト、莫大な威容を秘めて城塞都市フロインへ降臨!
ガタゴトと車輪が木の軋み声をあげる中、俺たちは迷宮都市ラビリスを後にし、次なる目的地である最前線の城塞都市フロインへと馬車を走らせていた。
何の前線かと言えば、崩壊した南の王国の覇権を巡る泥沼の戦争の真っ只中だ。
かつて南の王国を支配していた王家が滅亡して以来、この広大な領土は三つの勢力に分かれて激しい覇権争いを繰り広げている。
西を牛耳る「モリー公爵」、中央に君臨する「オダーン侯爵」、そして東の国境を固める「タキーダ辺境伯」。
現在、まさにこのモリー公爵とオダーン侯爵の双方の大軍勢が真っ向から対峙しているのが、このフロインの地域なのだ。
そしてフロインは、モリー公爵軍の本陣が駐留する西側有数の巨大な拠点都市であった。
今回の遠征メンバーは、樹海帝国皇帝である俺、ヒロト。
俺のすぐ隣に座る、精霊王にして世界樹の分身体であるレイ。
圧倒的な気品を漂わせるダークハイエルフのグレイア。
元・龍脈の魔女であるウィーラ。
勇者にして人間からエルダーリッチへと進化したユイ。
亜神ペナンガルのビー。
そして、身の回りの世話役として密かに随行しているキラーアントエンプレスのアンナ。
さらに、俺の身体には心強い眷属たちが共にいる。左目にはあらゆる真実を見抜く神眼のアイ。左腰には万物を切断する神刀のムラマサ。そして俺の体表には、透明な鎧のように纏う亜神バアルゼブルにして大悪魔ベルゼブブのスラオが同化している。
馬車の御者席には、豪快に手綱を握るウィーラが陣取っていた。
豪奢な馬車の室内席には、俺、レイ、ユイ、グレイア、ビーが揺られている。
アンナは俺たちの影の中か、はたまた馬車の天井裏あたりに気配を消して潜んでいるはずだ。
流石に今回は戦争の血臭漂う最前線ということもあり、戦闘能力を持たない純粋なメイドのブラリリは危険を考慮して留守番させている。
「はぁぁ……。のどかな街道の景色を見続けるのも、いい加減飽きてきちゃったわね……」
ユイが豪奢なシートに背もたれを預け、大きなため息をつきながら窓の外の木々を眺めた。
俺たちが南の王国に入り込んでからというもの、各都市の間を移動するのに何日もかけて馬車の旅を続けている。
俺の転移魔術は、一度行ったことのある場所にしか発動できないという制約があるため、どうしても初訪問の土地へは自力で移動するしかないのだ。
グレイアかユイに空を飛んでもらって現地へ先行してもらい、着いた後に転移で俺たちを呼び寄せるという手もあったのだが、たまにはのんびりと異世界の風情を味わうのも悪くないと思って馬車移動を選んだ。
……だが、最初は珍しかった他国の田園風景や森林も、何日も同じような光景が続けば流石に見飽きてくるのも事実だった。
御者席からひょっこり顔を覗かせたウィーラが、白髪を揺らしながら楽しそうに笑う。
「まあまあ、そう不貞腐れるな。ゆったりと風を感じ、のんびりと景色を眺めながら馬車に揺られるのもまた風流というものじゃぞ?」
ウィーラはかつて龍脈を守るため、何百年もの間、龍脈の源流から離れることができず拘束されていた過去がある。だからこそ、こうして自由に外の空気を吸って移動できるだけでも心の底から楽しいのだろう。
グレイアが美しい銀髪を揺らし、苦笑いを浮かべた。
「ふむ……長年囚われていたウィーラには申し訳ないが、私もそろそろ体が鈍って退屈になってきたよ」
「羽を広げて飛んで行けば一瞬なのですが……やっぱり狭い馬車の中にじっと座っているのは身置きどころがなくて窮屈ですわね。どれ、私は少し周辺の空中偵察に行ってまいります!」
そう言うやいなや、亜神ペナンガルのビーは馬車の窓からすっと身を躍らせ、背中から透明な蜂の翅を生やすと、羽音も軽やかに青空へと舞い上がっていった。
「……ふぁ。それじゃあ、俺はちょっと寝るよ」
俺は長旅の疲労と揺れに誘われ、となりに座るグレイアの柔らかい太ももへと頭を預けた。
「ふふ、どうぞごゆっくりお休みくださいませ、ヒロト様」
グレイアの優しい声と、膝から伝わる心地よい温もり、そして規則的な馬車の振動が、俺をあっという間に深い睡魔の繭へと包み込んでいったのだった。
◇
「……ヒロト様。ヒロト様、お起きください。もうすぐフロインに着きますよ」
耳元で聞こえるグレイアの鈴を転がすような優しい声と、頭を撫でてくれる愛おしい手の感触で、俺はゆるやかに目を覚ました。
「ん……ふぅ……」
目を擦りながらゆっくりと上体を起こし、グレイアの膝から頭を離して窓の外へと視線を向ける。
地平線の向こうに、巨大な建造物の群れが見え始めていた。
それが、最前線の城塞都市フロインだった。
都市の周囲は、見上げるほど強固で分厚い石造りの城壁によって隙間なく囲まれている。
だが、俺の目を引いたのは都市そのものよりも、その手前の広大な草原に広がる光景だった。
モリー公爵軍と思われる巨大な陣営が構築されており、無数の簡易テントや軍用幕が地平線を埋め尽くすように立ち並んでいるのだ。
「……ん? これが戦争の最前線なのか? なんだか……随分とのんびりしているように見えるね」
俺が眉をひそめて呟くと、グレイアも窓枠に手をかけて怪訝そうに目を細めた。
「そうですわね。兵士たちが緊張感を持って警戒している様子すら見当たりません。武器の手入れをしている者もいれば、酒を飲んで談笑している者まで見受けられます」
御者席のウィーラも振り返り、不審そうに顎を触る。
「都市の門前を見よ。商人や旅人、果ては農民までが何のお咎めもなく自由に出入りしておるようじゃな。臨戦態勢の警戒網など微塵も感じられんぞ」
ユイも呆れたように肩をすくめた。
「覇権を賭けた最前線とはとても思えないね。殺気もピリッとした空気も全然伝わってこないわ」
グレイアが冷徹な分析を口にする。
「どちらかと言えば……本気で戦争をしに来ているのではなく、各領主が『一応、軍を出しました』というアピールのために軍勢を集結させ、ダラダラと足の引っ張り合いをしているだけのように見えますね」
「まあ、外から眺めていても拉致が明かないな。取敢えず都市の中に入ってみようか」
「そうですわね。中の様子を探ってみましょう」
これまでに訪れた南の王国の都市では、例外なく厳重な門番が立ち塞がり、厳しい身元確認と多額の入都市税を要求されるのが常だった。
しかし、このフロインの巨大な城門には、驚いたことに門番の姿すらなかった。
まるで『誰でもご自由にお入りください』と言わんばかりに門が開け放たれており、人々が何のお咎めもなく自由に行き交っている。
俺たちを乗せた馬車は、不気味なほどの拍子抜けと異様な違和感を抱えながら、静かにフロインの街の中へと足を踏み入れていった。




