第313話 【暗黒街の惨禍と無慈悲なる鉄槌】盗賊が蠢く潜伏地ミレース! 哀しき少女スリと危機感ゼロのハーミア!
俺たちは馬車から姿を消し、転移魔法で一瞬のうちに城の豪華なリビングへと戻ってきた。
ふかふかのソファに深々と腰を下ろすと、俺はすぐ側に控えていたキラーアントエンプレスのアンナへ視線を向けた。
「アンナ、眷属念話でミレースの状況報告を受け取れるようになったら教えてくれ」
「御意にございます、ヒロト様。小蟻たちが街中に散らばり、索敵網を構築中ですので、間もなく詳細な情報が入るかと存じます」
アンナが恭しく胸に手を当てて深く頭を下げる。そのやり取りを横で見ていた第一皇后のハクが、興味深そうに首をかしげた。
「ふ〜ん、今回のミレースの調査はスパの小蜘蛛じゃなくて、アンナに任せたのね」
「うん。バエル様の小蜘蛛と同じように、アンナの眷属である小蟻たちでも精密な情報収集ができるらしいんだ」
「すごーい! アンナちゃんの蟻さんたち、そんな細かい潜入捜査までできちゃうんだね!」
吸血鬼真祖のヒナが目を輝かせて歓声をあげる。すると、堕天使ルシファーのルシーが美貌を僅かに曇らせ、熟考するように顎に手を当てた。
「ヒロト、この樹海帝国内と同じように『闇の風』のヤグルが率いる諜報部隊もミレースへ送り込んだ方が良いかもしれないわね」
「そうだね。ミレースに限らず、南の王国全体で他の街も監視下に置いておいた方が安全だろうな。規模や要員の編成なんかは、堕天使サリエルのデステル伯爵に任せようと思う」
「了解したわ。私からデステルに伝えておくわね」
「助かるよ、頼むね」
ルシーとそんな会話を交わしていると、大悪魔バエルのスパが静かに前へ進み出てきた。
「ヒロト様、ミレース関連で一つ、至急お伝えすべき情報がございます」
「お、なんだいスパ?」
「ハーミア様に取り付けております監視用の小蜘蛛からの報告なのですが……ハーミア様たち一行が、たった今ミレースの街の中に入られた模様です」
「……はぁ!? 何やってんだあいつらは!?」
俺は思わず大声をあげて立ち上がりかけた。横にいたエルダーリッチで元勇者のユイが、呆れたように苦笑いを浮かべる。
「一行と言うと……ヴァルキリーのスクルドさんたちも一緒ってことよね?」
「はい。スクルド様、ヒルド様、スコグル様、そしてハーミア様の4名でございます」
龍脈の魔女ウィーラが優雅にコップの紅茶を口に含みながら、不思議そうに呟いた。
「む? ミレースの街にも、ヴァルキリーの生き残りの仲間が潜んでいるのじゃろうか?」
「そこまでの詳細情報は、まだ判明しておりません」
「そっか。取りあえず、実際の状況を念話で直接確認してみるとしようか」
俺は念波を繋ぐ準備をしながら、ミレースの街に視線を馳せた。
◇
暗黒街ミレース。
そこは、廃墟となった巨大な古代遺跡の残骸に、貧困と悪意がへばりついたような酷い街だった。崩れかけた石造りの建物の隙間を縫うように、暗くじめじめした路地がどこまでも伸びている。
その荒涼とした路地を、ヴァルキリーのスクルド、ヒルド、スコグル、そしてアマゾネスのハーミアの4人が歩いていた。
スクルドは南の王国の元国王親衛隊隊長であり、悲劇の死を遂げた第2王子の婚約者だ。有翼人から神聖なるヴァルキリーへと進化した彼女は、鋭い眼光で周囲を警戒しながら先頭を進む。
「まずは今夜の宿の確保だな。長旅の疲れもある、安全な拠点を押さえねば」
「スクルド様、この先へ進んだ区画に、元部下が営んでいる信頼できる隠れ宿がございます」
人魚からヴァルキリーへと進化したスコグルが頼もしく頷いた。
「うむ、助かる。案内を頼むぞ」
その時だった。
前方の曲がり角から、身なりの恐ろしく汚い一人の少女が、力なく下を向いたまま歩いてきた。
ボサボサに荒れた長い茶髪、泥にまみれた裸足。着ている服は破れかけたぼろ布同然で、脚をフラフラと揺らしながらヨロヨロとこちらへ向かってくる。
まるで焦点を結んでいない目が、ハーミアの身体へと一直線に向かっていた。
「(きゃっ!? ぶつかっちゃう……っ!)」
ハーミアは慌てて少女を避けようと右側へ体をかわした。しかし、少女も吸い寄せられるように右側へと同じ動作でかわしてきた。
どすっ、と軽い衝撃とともに二人の身体がぶつかり合う。
「ご、ごめんなさい……っ」
少女は掠れた声で小さく謝ると、すぐさま頭を下げてその場を立ち去ろうとした。
だが、数歩進んだところで少女の足がピタリと止まる。少女の手首を、スコグルが鉄の万力のような力でガシッと掴んでいたのだ。少女はギロリと殺気立った目でスコグルを睨みつける。
「ハーミア、不用心すぎるわよ」
後方から歩いてきたヒルドが、深く溜め息をつきながら言った。
「え? な、なにがですか……!?」
目を丸くするハーミアの前で、スコグルが掴んだ少女の右手首を強引に捻り上げた。
少女の泥だらけの右手に握られていたのは——ハーミアが腰にぶら下げていたはずの、ズッシリと金貨が詰まった革の財布だった。
「ひやぁぁぁっ!? わたしのお財布ーッ!? いつ間に盗られたんですかーっ!?」
「泥棒よ」
「……スリね。返しなさい」
スコグルは冷徹な声で吐き捨てると、少女の手首を激しく捻り上げて地面へ力任せに押さえつけた。悲鳴をあげる隙もなく財布を奪い取る。
ふと気づけば、荒廃した路地のあちこちから、血走った目をした住民たちがワラワラと立ち止まり、こちらを遠巻きに観察していた。物陰や屋根の上からも、不穏な視線が集まり、みるみるうちに薄暗い人だかりが出来上がっていく。
「はぁ……ハーミア、あんた本当にバカなの? ここは暗黒街ミレースよ。隙さえあれば、いつでも他人のお金や命を奪おうと狙うケダモノばかりがいるの」
ヒルドが冷ややかな視線でハーミアを嘲笑する。
スコグルは奪い返した財布をハーミアへ投げ渡すと、地面に這いつくばる少女の丸まった脇腹を、容赦なくドスッとブーツの先で蹴り飛ばした。
「ガハッ……くぅぅぅっ……!」
少女は絶叫にもならない呻き声を漏らし、左手で固く脇腹を押さえてうずくまった。だが、スコグルは少女の右手首を掴んだまま、一向に離そうとしない。
「スコグル! やめて、もう離してあげて! スリはいけないことだけど、こんなに小さくてかわいそうな女の子にそんな酷い暴力を振るうなんて……可哀想だよ!」
ハーミアが顔を蒼白にして叫び、少女を庇おうと手を差し伸べた。
しかし、スコグルはハーミアの手を冷たく振り払うと、フッと鼻で笑って蔑みの眼差しを向けた。
「はははッ! とんだ大甘ちゃんね。頭がおめでたいんじゃないの?」
「ハーミア……あんた、本当に本物のバカなの?」
ヒルドもまた、心底呆れ果てた蔑視の表情をハーミアに向け、鼻で笑うのだった。




