第十四話
先日の一件からさらに数日が経った。
この間特に何か事件があるわけもなく、僕と京子さんとの日常は変わりなく続いていた。
もっとも、ぼくにとってはあくまで「表面的には」だが。
なにせいろいろと自覚してしまったのだ、それで今までと同じでいろというのが無理な相談だ。
それにいっそう拍車をかけるのが、白井京子その人だ。
今は8月の終わりでありまだまだ暑い日が続いている。
当然ながら薄着で露出の多い恰好なのだが、それにもかかわらず平然と彼女は近づいてくる。
――要するに、無防備なのだ。
勿論僕としてはうれしい限りなのだが、喜んでばかりもいられない。
当然と言えば当然のことだが、どうやら僕は男として意識されていないようなのだ。
まあ、今までの経緯を考えればさもあらん。
牙をむき出しにした狼には警戒心を抱いても、飼い慣らされて人畜無害なチワワには近寄るのが人間だ。
おかげで日々煩悩に苛まれている。
今だって向かいの席でメールの応対をしているけど、胸の谷間が思いっきり見えている。
(やばい、煩悩退散、煩悩退散)
「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時……」
「あれ、般若心経?」
(マズイ声に出てたみたいだ)
「ああ、うん。今度般若心経の成立過程に関してレポートを書かなきゃいけなくてね」
無論、そんな課題は存在しない。
「あー、そういえばまた講義取ってたんだもんね。私は1つだけだったけど」
「いやー、ほんと厄介な課題でねー」
なんとか誤魔化すことができてよかった。
「ねぇ、明日は空いてるって言ってたよね?」
京子さんが話題を変えた。
「うん、たしかに空いてるけど」
「よかった、それじゃちょっと付き合って?」
また「お願い」をされてしまった。
頻度は多くないが、僕はこの「お願い」に逆らえない。
向こうはそれに気づいていないようだけど……。
そうして次の日向かった先は、図書館だった。
結局丸1日かけて書庫や開架を探し回ってなんとかご要望の品を見つけ出すことができた。
いやもうほんと疲れたよ。――顔には出さないけど。
「ごめんね、やっぱり俊也君と一緒だと調べ物が早くて」
「いやいや、お役にたてて何よりだよ」
そう言いながら、図書館から2人並んで歩いて行く。
行先は、いつもと同じあの喫茶店。
「あら、京子じゃない」
不意に、京子さんを呼ぶ声が聞こえた。
声の方を見れば、チャラチャラした男の3人が立っていた。
男の顔を見た瞬間、京子さんの表情がひきつったのは気のせいじゃないと思う。
「京子さん、なかなか見つからないと思ったらこんなとこにいたんだ」
「ええ、まあ図書館にちょっと」
「ふーん、ケータイに連絡入れたんですけどね」
「まっ、いいや。それよりこれからご一緒しません?」
男は京子さんに話しかける。
どうやらこれから遊びにいこうという話らしい。
ナチュラルに僕の存在は無視されているんだけど、これはまあいつものことだ。
本来ならこういう手合いとは関わらずに逃げたいところ。
でも、京子さんがどうするか決めるまで動くに動けない。
京子さんは沈黙を保ったままだ。
そうしていると、しびれを切らしたのか男の方がせかすように口を開いた。
「白井さん、僕と一緒に行きましょう」
そう言って僕の方を一瞥すると、侮蔑するような笑みを浮かべて言葉を続けた。
「少なくとも、彼のようなキモオタと一緒にいるよりはよっぽど有意義なはずです」
……正論過ぎて何も言い返せない。
方ややや軽そうに見えるとはいえ超絶イケメン。
方やご紹介に預かりました通り押しも押されぬ被差別民族。
比べるまでもない。
反論しないこちらを見て気をよくしたのか、男は京子さんに近づくと嫌がる彼女の手をつかみ連れて行こうとする。
「……やめろよ」
地に響くような低い声で僕は言った
「ああ?」
男はこちらに振り向いた。
京子さんも含めて、全員僕が何を言ったのかわかっていないようだった。
「やめっろっつったんだよ」
そう言って僕は男と京子さんの間に割って入る。
「へえ、君と僕とじゃどちらがいいかわかりきってるだろ。君は京子さんと釣り合わない」
(釣り合う? 釣り合わない? こちとら、んなことぁ百も承知だよ)
心の中で悪態をつきつつも、口には出さずそこから動かない。
その間に京子さんが手を振りほどいたようだ。
「少なくとも」
「うん?」
僕は男と向かい合いつつも、皮肉を込めて口を開いた。
「少なくとも、嫌がる女性を無理やりどうこうという趣味は、誰かさんと違ってありませんがねえ」
「なっ、誰が無理やり――」
「だまらっしゃい!!」
僕は大声で叫ぶことで男の反論を封じる。
この程度で黙るとは、顔だけで存外底は浅いのかもしれない。
「相手のしぐさ一つで好悪すら判別できないのか? もしかして女性は全員自分に気があるとでも思ってる? とんだ勘違い野郎だ」
大げさに手を広げ、これでもかという風に男を煽る。
そうしながら、京子さんに少しずつ距離を取らせる。
絶対ではないが、これでひとまず安全圏だろう。
「まあ、男同士で言い合っても始まらない。ここは本人に選んでもらいましょう」
「望むところだ。もっとも、最初から結果は見えてるけどね」
だからその自信がどこから来るのか教えてほしい。
ある程度誘導したとはいえ、僕の提案に乗ってきたのは幸いだ。
「それじゃ、白井さん。僕と一緒に――」
「俊也君、早くいきましょう」
男を放置して京子さんはさっさと歩いて行く。
しっかりと僕の手を繋いで。
釣り合う、釣り合わないはわかってる。
でも今は、例えただの友人としてでも、彼女の隣に入れる幸せをかみしめようと思う。




