最終話
ある日のことだ。
最近は喫茶店で話し込んでいると辺りは暗くなりはじめてしまう。
どちらが言い出したというのでもないが、そういう日は僕が彼女をアパートまで送っていくのが、いつしか当たり前となっていた。
夕焼けが街を真っ赤に染めていた。
こうしてみると、いつぞやの温泉旅行のときを思い出す。
それは彼女も一緒だったようで「あの時と同じだね」と嬉しそうに微笑んでいた。
それを呼び水にして、彼女に好きな相手がいるというあまりうれしくない事実を思い出す。
後からポッと出てきた僕に勝算はなさそうだ。
いっそ確認も込めて話題に出してみよう。
「そういえばさ、京子さんって好きな人がいるんだったよね」
「えっ、何よ急に」
彼女は酷く慌てたようだった。
もし僕が同じ立場でも困るとは思うが、そこまで慌てるほどのことではないと思っていたから少々こちらも困惑する。
「あっ、ごめんね。ただ、こうして僕と一緒にいるのを見たら相手に誤解されかねないかなと思って」
「あっ、なるほど」
「いや、今まで気づいてなかったの」という言葉がのど元まで出かけるが、ここでそれを言い出すと話が脇に逸れるので飲み込んでおく。
「うん、だから大丈夫か確認したくて」
「ああ、それは大丈夫だから。むしろ全然問題ないから」
「えっ、そうなの」
僕だったら他の男と親密な女の子なんて見たら誤解しそうだけど、世の中いろんな人がいるものだ。
「うん、別にここで手を繋いでも問題ないし。あ、そうだ腕で組んじゃう?」
「いや、さすがにそれはどうなんだ」
なんだろ、いろんな意味でその男の顔が見てみたい気がする。
そうこうしているうちに、彼女の住むアパートまでやってきてしまった。
いつもならここではいさよならと別れるのだが、今日はそうするつもりはない。
「あの、京子さん」
先程の会話から察するに、勝算は無いに等しい。
だが、このまま彼女が他の男のことを楽しそうに話すのを見るのは、正直堪えられそうにない。
もちろんこれは、これまで築いてきた関係を自分から壊す行為だ。
それでも僕は――せめて斃れるなら前を向いて斃れたい!!
「一つ、聞いてほしいことがあるんだ」
「えっと、ここで構わない?」
「うん」
心臓の鼓動が速くなり破り裂けそうだ。
いっそ、「やっぱり何でもない」って言ってしまおうか。
そうすれば今までと変わらない日常がやってくる。
……脳裏をよぎったそれは甘美な誘惑だったが、僕はそれを、無かったことにした。
「実はさ、好きな人ができたんだ」
「えっ、でも」
「うん、この間いないって言ったのも嘘じゃないんだよ。最近それに気づいたからね」
「そう」
さあ、言うぞ、言うんだ俊也。
「それで、その相手なんだけど――」
「やめて」
僕がいよいよそれを言おうという時になって、彼女は僕の言葉を遮った。
「なんで、どうして……どうして私にそんな話をするの」
「それは……」
「いいっ、聞きたくない!!」
「京子さん……」
「私には関係ない話でしょ!? どうしてわざわざ言うのよ。勝手に付き合うなりなんなりしたらいいでしょ」
そう言って、彼女は走り去ろうとする。
「待って」
寸でのところで、僕は彼女の腕をつかみ捕まえることに成功した。
「待って、お願いだから最後まで話を聞いて」
彼女の取り乱しようは意外だった。
てっきり、「ふぅん、そう」くらいであっさり振られる予定だったのに。
「やめて、聞かせないで。お願いだから」
彼女は激しく抵抗する。
腕だけでは無理だと思った僕は、思わず彼女を後ろから抱きしめた。
「あのね」
「僕が好きな人は、白井京子さんって言うんだ」
「えっ、それじゃあ」
「うん、貴女なんだ」
少しばかり予定と違ったけど、なんとか言い切った。
あとは振られるばかりだが、この流れだと平手打ちの一つや二つもらっても文句は言えないかな。
「う…そ……」
「嘘なんかじゃないさ、僕も気づくのに時間がかかったけど」
「それじゃあ、その」
「うん、もしよければ付き合ってくれないかな」
(まあ、たぶん無理なんだろうけど)
そう思っていると、彼女の足下に水滴が落ち始めた。
雨粒ではない。
それは、彼女の頬を伝って落ちる涙だった。
「えっと、そこまで嫌だった?」
マズイなあ、そこまで嫌がられるとは予想だにしなかったよ。
僕は内心頭を抱えたくなったが、どうやらその必要はないらしい。
「ちがうの…うれしい、の……」
「あれ?」
えっと、どういうことなんだろう。
ちょっと状況が呑み込めないかな。
「だって、だって、ずっと好きだったのよ」
「はぁっ!?」
いや知らなかったよ、初耳だよ!!
えっ、だって僕と初めて会ったころから好きな人いたし?
えっ、その時から?
混乱する僕を後目に、彼女の独白は続く。
「せっかくがんばって追っかけて、山口君に協力してもらって、なんとか接点を作って、なのに全然気づいてくれなくて……」
なんだかこう、申し訳ない気持ちになってきた。
「がんばってもだめで、もうあきらめようと思ったらそっちから告白するし、もうやっぱり変な人じゃない」
「ううっ、面目ない」
ほんとにほんとに申し訳ない。
「いいの、赦してあげるから」
「ありがとうございます」
ええ、ほんとに赦して下さるのならなんでもしますとも。
「その代わり、私ってかなり面倒な女よ?」
「ええと、その、それに関しては僕もなかなか引けを取らないかと」
「ふふっ、そうかもね」
「ええ」
「それじゃあ、もう返品は不可能よ」
「安心して、そもそも手放す気はないから」
「そうなの?」
「うん、そもそも君と共に在りたい。そう思ったから」
「それじゃあねえ」
「うん」
――chu
「ふふっ、大好きよ」
こうして僕らは愛しい人と共に歩きはじめたのだった。
“君と共に在りたい”
そう願ったのだから。




