第9話 『「今度は私が守ります」――王都を襲う災厄級ドラゴン』
第9話 『「今度は私が守ります」――王都を襲う災厄級ドラゴン』
ガルドたちの処分が決まった翌朝、王都には珍しく雲の少ない青空が広がっていた。シルフィは宿の食堂で焼きたてのパンを小さくちぎり、蜂蜜をつけながらレオンと朝食を取っていたが、窓の外から聞こえた鐘の音に手を止めた。いつもの時刻を知らせる鐘とは違い、低く長い音が何度も鳴り響き、食堂にいた客たちが一斉に顔を上げた。
「この鐘……何でしょう?」
「警報だ」
レオンが立ち上がった。椅子が床を擦り、食堂の店主も鍋の火を消して外へ駆け出す。通りからは人の叫び声が重なり、馬車の車輪が石畳を激しく叩く音まで聞こえてきた。
「ドラゴンだ!」
「西門にドラゴンが出たぞ!」
「逃げろ!」
シルフィはパンを皿へ戻した。甘い蜂蜜の匂いがまだ鼻に残っていたが、街の空気には焦げた木材と煙の臭いが混ざり始めている。レオンは剣を腰へ差し直し、シルフィのほうを振り返った。
「俺は避難誘導へ行く」
「私も行きます」
「シルフィは……」
「大丈夫です」
シルフィは花飾りを整え、白い外套の留め具を締めた。以前なら、レオンの隣を歩くだけでも自分が足手まといにならないか気にしていたかもしれないが、今は違う。自分の中にある力がどれほど大きくなったのか、シルフィ自身にも分かっていた。
王都西門では、すでに戦いが始まっていた。空を覆うほど巨大な黒いドラゴンが翼を広げ、口から赤い炎を吐き出すたびに城壁の一部が崩れていく。騎士団が隊列を組んで弓を放ち、魔法使いたちが一斉に攻撃魔法を放っていたが、ドラゴンの鱗には傷一つつかなかった。
「撃て!」
「魔法隊、次の詠唱へ!」
「盾隊は下がるな!」
怒号が飛び交う中、Sランク冒険者たちまで戦場へ駆けつけた。巨大な斧を振り回す戦士がドラゴンの脚へ斬りかかり、魔法使いが雷撃を叩き込む。しかし、ドラゴンは翼を一度振っただけで冒険者たちを吹き飛ばした。
「効いていない!」
「こんな奴、どうやって倒すんだ!」
その直後、ドラゴンが再び口を開いた。赤い光が喉の奥で膨らみ、次の瞬間、灼熱の炎が街へ向かって放たれる。建物の屋根が燃え上がり、窓ガラスが一斉に割れた。
「逃げてください!」
レオンは叫びながら走った。泣いている子どもの手を取り、足をくじいた老人を背負い、燃え始めた店から住民を外へ連れ出していく。通りには倒れた看板や割れた食器が散らばり、焼けたパンの匂いと煙が鼻を刺した。
「こっちです!」
「騎士団の避難所はどこだ?」
「中央広場です!」
「分かった、急げ!」
レオンは汗で髪を額に貼りつかせながら走った。剣を抜く暇もなく、ただ一人でも多くの人間を安全な場所へ移すことだけを考えていた。
一方、シルフィは崩れかけた建物の屋根へ上がり、空を見上げていた。ドラゴンを倒すことだけなら、おそらく今の自分には難しくない。これまで蓄積された古代魔力を一気に解放すれば、あの巨体を地面へ叩き落とすこともできるだろう。
けれど、その力がどれほど大きいのかは自分自身が一番よく知っている。古代遺跡では力を解放しただけで床が割れ、壁が揺れ、ゴーレムさえ動き出した。もし今ここで同じように攻撃魔法を放てば、ドラゴンだけではなく王都の建物や、逃げ遅れた人たちまで巻き込んでしまう。
「倒すだけでは、駄目なんですね」
シルフィは自分の手を見た。小さな手のひらに緑色の光が集まっている。これまでの自分なら、力があるなら敵を倒せばいいと考えただろう。
しかし今は違った。
力があるからこそ、どう使うのかを決めなければならない。
「守ります」
シルフィは空を見上げた。
「今度は、私が守ります」
シルフィが両手を広げた瞬間、王都の地面から緑色の光が走った。石畳の隙間から草が伸び、街路樹の根が一斉に動き始める。広場に植えられていた小さな木が急激に成長し、太い枝を伸ばして建物を支えた。
「な、何だ?」
「木が……!」
「魔法なのか?」
住民たちが驚いて立ち止まる。シルフィの魔力は街の地下を流れ、王都全体を包み込むように広がっていった。建物の壁には緑色の蔦が走り、石造りの道路の下から巨大な根が伸びて、街を一つの巨大な森のように包み始める。
ドラゴンが吠えた。
その口から炎が噴き出す。
灼熱の火球が王都へ向かって飛んできた。
「シルフィ!」
レオンが叫ぶ。
次の瞬間、街全体を包む巨大な結界が光った。炎が結界へぶつかり、轟音とともに弾ける。熱風が通りを駆け抜けたが、建物は崩れず、人々のいる場所にも炎は届かなかった。
「止まった……?」
「結界が炎を防いでいるぞ!」
住民たちが顔を上げる。
ドラゴンは怒ったように翼を広げ、再び炎を吐き出した。一発目よりも大きな炎が結界を覆い、空まで赤く染める。シルフィの金色の髪が熱風で激しく揺れたが、彼女は両手を広げたまま動かなかった。
「まだです」
二発目の炎も結界にぶつかって消えた。
ドラゴンが三度目に息を吸い込む。今度は口の奥だけでなく、胸の辺りまで赤く輝いている。
「来ます!」
レオンが叫んだ。
三発目の炎が王都へ降り注いだ。
轟音とともに結界が大きく揺れた。シルフィの身体にも衝撃が伝わり、足元の屋根瓦が何枚も割れる。それでも結界は崩れなかった。
「……大丈夫です」
シルフィは息を整えた。
「この街は、壊させません」
シルフィの羽が大きく開いた。
次の瞬間、身体がふわりと宙へ浮かぶ。
「シルフィ!」
レオンが見上げた。
シルフィはそのまま空へ舞い上がった。金色の髪が風になびき、花飾りが光を受けて輝く。ドラゴンが咆哮し、空気を震わせるが、シルフィは怯まずに両手を前へ伸ばした。
「森の力を、ここへ」
王都の大地が震えた。
地下深くに張り巡らされた根が一斉に動き始める。石畳を押し上げ、建物の間を縫い、王都の外へまで伸びていった。そして大地の中心から、巨大な樹木が一気に姿を現した。
「何だ、あれは……!」
騎士たちが空を見上げる。
巨大な樹木はドラゴンよりも高く伸び、太い枝を空へ広げた。その枝がドラゴンの翼へ絡みつき、さらに別の枝が胴体へ巻きついていく。
「グオオオオオッ!」
ドラゴンが暴れた。
しかし、枝は切れない。
一本、また一本と巨大な樹木の根がドラゴンの身体へ絡みつき、その巨体を地面へ引き下ろしていく。ドラゴンが炎を吐こうと口を開けると、そこへまで蔓が伸び、炎を押さえ込んだ。
「今です!」
シルフィは空中で手を握った。
これまで受けてきたすべての理不尽が、巨大な魔力となって集まっていく。笑われた日も、見下された日も、囮にされた日も、報酬を奪われた日も、レオンを傷つけられた日も、もう自分を苦しめる記憶ではなかった。
全部、自分をここまで連れてきた力だった。
「これで……終わりです!」
シルフィが手を振り下ろした。
巨大な樹木が一斉に締め上げる。
ドラゴンの身体が地面へ叩きつけられ、大地が大きく揺れた。土煙が上がり、街の人々が腕で顔を覆う。やがて煙が晴れると、巨大なドラゴンは地面へ伏したまま動かなくなっていた。
静かになった。
誰も声を出さなかった。
シルフィはゆっくりと地上へ降りた。着地した足元には小さな花が咲いている。レオンが駆け寄ってきたが、シルフィは少しふらつきながらも笑った。
「レオンさん」
「大丈夫か?」
「はい。でも、お腹が空きました」
「……こんなときまで?」
「朝のパン、途中で食べるのをやめましたから」
レオンは一瞬きょとんとしたあと、声を上げて笑った。
「そうだったな」
周囲でも少しずつ笑い声が戻ってきた。泣いていた子どもが母親へ抱きつき、怪我をした騎士が仲間に肩を貸されながら立ち上がる。焼けた建物は残っているものの、王都そのものは守られていた。
シルフィは空を見上げた。
そこには、さっきまで王都を覆っていた巨大なドラゴンの姿はない。
代わりに、青い空が広がっている。
かつてギルドで「戦えない羽虫」と笑われた小さな妖精は、今、その羽で空を飛びながら、何千人もの命を守った。しかも彼女は、自分の力を誇示するためではなく、誰かを守るために使った。
「シルフィ!」
遠くから住民の声が飛んだ。
「ありがとう!」
「助かったぞ!」
「妖精のお嬢ちゃん、ありがとう!」
シルフィは驚いたように目を丸くした。
そして花飾りをそっと触りながら、照れたように笑った。
「……どういたしまして」
その声は、焼け焦げた街に少しずつ戻ってくる人々の声に混ざっていった。




