第8話 『「助けてくれ!」――虐げるほど強くなる力、その正体』
第8話 『「助けてくれ!」――虐げるほど強くなる力、その正体』
古代遺跡の地下で、ガルドは何度も後ずさっていた。背中が冷たい石壁にぶつかり、逃げ道がないことを知ると、額から流れた汗が頬を伝って顎から落ちた。目の前には十メートルを超える古代ゴーレムが立ち、その足元では砕けた石と土埃が積み重なっている。
「来るな……」
ガルドは剣を握っていたが、刃先は小刻みに震えていた。さっきまでシルフィを殺そうとしていた男と同じ人物とは思えないほど、声も身体も縮こまっている。仲間たちはすでに武器を捨て、壁際で息を殺していた。
「頼む!」
ガルドが叫んだ。
「俺が悪かった!」
シルフィは何も言わず、彼を見つめた。花飾りを編み込んだ金色の髪には遺跡の埃がつき、白い外套の裾も泥で汚れている。それでも彼女の背中では蝶のような羽がゆっくりと動き、身体から溢れ出す緑色の魔力が周囲の空気を震わせていた。
「助けてくれ!」
ガルドが床へ手をついた。
「お願いだ!」
その姿を見ながら、シルフィの中で今までの出来事が次々につながっていった。最初にギルドへ入った日、「羽虫」と笑われたこと、薬草採取しかできないと言われたこと、ゴブリンの囮にされたこと、洞窟へ置き去りにされたこと、報酬を奪われたこと、そして今、レオンが傷つけられたことまで、ひとつずつ鮮明に蘇ってくる。
そのたびに胸の奥で何かが大きくなっていた。最初は小さな火種のようだった力が、いつの間にか身体の隅々まで満ちている。シルフィは自分の手を見つめたが、指先から漏れる緑色の光を見ても、もう以前ほど驚かなかった。
「……これが、私の力」
シルフィの脳裏に、ギルドマスターのヴァルドが古代文献を読んでいた姿が浮かんだ。あのときヴァルドが口にした言葉は、今なら意味が分かる。
――理不尽に耐えし器は、受けた苦痛を森の力へ変える。
ただ耐えていたと思っていた。言い返さず、怒鳴らず、誰かを傷つけ返すこともしなかった。けれど、その時間は決して消えていたわけではなかった。
「笑われたことも……」
シルフィが静かに呟く。
「見下されたことも……」
緑色の光が強くなる。
「囮にされたことも、報酬を奪われたことも……」
古代ゴーレムの足元から新しい根が伸び、床を覆っていく。
「レオンさんを傷つけられたことも……」
ゴーレムが一歩前へ出た。
ガルドは震えながら顔を上げた。
「待て……」
シルフィは彼の目を見た。
「全部、私の力になっていたんですね」
その声を聞いて、遺跡の入口からヴァルドが姿を現した。彼はギルドの職員数人を連れており、荒れ果てた遺跡を見渡すと、額に手を当てた。途中で古代魔力の異常な反応を感じ取り、急いで追ってきたのだ。
「シルフィ!」
「ヴァルドさん……」
ヴァルドは彼女の姿を見て言葉を失った。以前とは比べものにならないほど濃い魔力がシルフィの身体を包み、古代ゴーレムまで彼女を守るように立っている。
「やはり、そうだったのか」
ヴァルドは持ってきた古代文献を開いた。埃まみれのページをめくりながら、震える指で一節を示す。
「君は耐えるたびに強くなっていたんだ」
シルフィは文献へ目を落とした。
「耐えるたびに……?」
「そうだ。古代森霊は、受けた理不尽をそのまま力へ変える。怒りを誰かへぶつける必要はない。自分の中で受け止めたものが、森の魔力として蓄積されるんだ」
ヴァルドはガルドへ視線を向けた。
「そして、おそらく彼女が力を蓄える速度を最も速めたのは……」
ガルドの顔が引きつった。
「俺……なのか?」
シルフィは少しだけ首を傾けた。
「そういうことになりますね」
その言葉を聞いた瞬間、ガルドの口が開いたままになった。自分が何度も彼女を見下し、追い詰め、踏みつけてきた行為が、すべて彼女の力を増やしていた。最初に会ったときは手のひらほどの小さな妖精だったのに、今では自分が剣を振るうことすらできないほどの力を持っている。
「俺たちが……」
ガルドの声が震えた。
「お前を強くした?」
「はい」
シルフィは微笑んだ。
「たぶん、そうです」
ガルドは頭を抱えた。自分たちは彼女を弱いと思っていたからこそ、好き勝手に扱った。ところが、その行為を重ねるほど彼女は強くなり、最後には自分たちでは到底届かない場所へ立ってしまった。
「そんな……」
ガルドは膝をついた。
「俺が……俺があんなことをしなければ……」
レオンが傷ついた肩を押さえながら立ち上がった。シルフィがすぐに近寄り、彼の身体を支える。
「無理しないでください」
「大丈夫だ」
「服が破れています」
「これくらいなら平気だ」
シルフィは鞄から布を取り出し、レオンの肩へ巻いた。薬草の匂いがする小さな布だった。
「前に採った薬草を乾かしておいてよかったです」
「こんなところで役に立つとはな」
二人が話している間にも、ヴァルドはガルドたちの罪を確認していた。ギルド職員が押収した依頼書には、危険度を偽装した記録が残っている。さらに、これまでシルフィたちから奪った報酬についても、複数の証言と帳簿が見つかった。
「ガルド」
ヴァルドの声が低くなる。
「お前は今回だけではないな」
ガルドは答えなかった。
「新人冒険者への脅迫、依頼書の改ざん、報酬の横領。そして今回の殺害計画。全部、ギルドの記録と証言で確認できる」
「……」
「もう逃げられないぞ」
ガルドは拳を握った。しかし、今度は怒鳴ることも剣を抜くこともできなかった。目の前にいるシルフィを見れば見るほど、自分が何をしてきたのかがはっきりしていく。
シルフィはゴーレムへ近づいた。巨大な守護者は彼女を見ると静かに膝をつく。シルフィが手を触れると、その石の身体から緑色の光が消えていった。
「もう大丈夫です」
ゴーレムは動きを止めた。
「この人たちを傷つけないでください」
レオンが驚いてシルフィを見る。
「許すのか?」
「いいえ」
シルフィは首を横に振った。
「許すつもりはありません」
その言葉には、以前のような遠慮がなかった。相手を傷つけ返すのではなく、自分が受けたものをなかったことにもせず、正しく責任を取らせる。それが今のシルフィの選んだ方法だった。
数日後、ガルドたちは王都の冒険者ギルドへ連行された。中央ホールには多くの冒険者が集まり、受付台の上には改ざんされた依頼書、横領の記録、脅迫を受けた新人たちの証言が並べられていた。いつもなら昼食時のざわめきが響いている場所なのに、その日は誰も食べ物を買いに行かず、ガルドの処分を見守っていた。
「冒険者ガルド」
ヴァルドが宣告した。
「冒険者資格を剥奪する」
ガルドの肩が落ちた。
「さらに、これまで横領した報酬の返還と、今回の依頼によって生じた損害について賠償を命じる」
仲間たちにもそれぞれ処分が下された。ガルドの財産の大半は賠償に充てられ、彼は今後、冒険者として活動することを禁じられることになった。
かつてガルドが新人たちを見下していたギルド中央で、彼は頭を下げた。床には何度も磨かれた木目があり、受付台の隅には朝から置かれていた冷めたパンが一つ残っている。ガルドはそのパンを見ることさえできず、拳を床についた。
「……すまなかった」
シルフィは少し離れた場所から彼を見ていた。
「謝る相手は、私だけではありませんよ」
ガルドが顔を上げる。
「……分かっている」
「あなたが脅した人たち、報酬を奪った人たち、傷つけた人たちに、全部向き合ってください」
ガルドは答えられなかった。
今までなら、力で黙らせれば終わった。怒鳴れば誰かが引き下がり、剣を抜けば新人たちは逃げていった。けれど、今回は違う。帳簿も依頼書も証言も残っており、何より、シルフィはもう彼を恐れていなかった。
その横でレオンが小さく笑った。
「シルフィ、帰ろう」
「はい」
「今日の夕食、何にする?」
「……お肉がいいです」
「やっぱり?」
「今日は頑張りましたから」
シルフィは花飾りを整え、羽を広げた。
ギルドの扉を出ると、夕暮れの風が二人の頬を撫でた。街角の花壇には、以前なら咲いていなかった小さな花がいくつも咲いている。シルフィはその花を見て少しだけ笑い、レオンと並んで歩き出した。




