第7話 『「殺すつもりだった」――最後の罠で、古代魔力が目を覚ます』
第7話 『「殺すつもりだった」――最後の罠で、古代魔力が目を覚ます』
翌朝、ギルドの掲示板には見慣れない依頼書が一枚貼り出されていた。禁足地帯にある古代遺跡の調査依頼で、報酬は銀貨五十枚と、Cランク冒険者なら受注可能と書かれている。シルフィは掲示板の前で首を傾げながら紙を読み、隣にいたレオンは腕を組んで依頼書の端を指でなぞった。
「古代遺跡の調査か……。報酬がかなり高いな」
「遺跡なら、植物の種類もたくさんありそうです」
「そこなのか?」
「はい。珍しい薬草が見つかるかもしれません」
シルフィは嬉しそうに羽を揺らした。昨日の夜に咲いた花の異変については、まだ本人にもよく分かっていないが、朝食のときに宿の主人から「庭の花が一晩で咲いた」と聞かされても、自分の魔力が原因だとは思っていなかった。二人は焼いた芋とチーズを朝食に食べ、シルフィは小さな水筒へ水を詰め、レオンは剣の刃を布で磨いてから出発した。
「気をつけてくださいね」
宿の主人が二人を見送った。シルフィは振り返って笑い、レオンも片手を上げる。その背中を見ながら、主人は「最近、あの二人が一緒にいると宿の空気まで明るくなるな」と呟いたが、本人たちは聞いていなかった。
その頃、ギルドの裏手ではガルドが二人の出発を見届けていた。黒い革鎧の胸には前日の酒の染みが残っていたが、彼は気にすることなく腕を組み、口元を歪めている。これまで何度もシルフィを追い落とそうとしてきたのに、彼女は倒れるどころか、レオンという仲間まで得てCランクへ上がった。
「もう放っておけない」
ガルドの横にいた男が顔をしかめた。
「どうするつもりだ?」
「決まっているだろう」
ガルドは依頼書の控えを握り潰した。
「殺す」
男の顔から血の気が引いた。
「本気か?」
「あいつが生きている限り、俺は笑い者だ。だったら、禁足地帯で魔物に食われたことにすればいい」
ガルドはそう言って笑った。依頼書に記された危険度はCランク相当だったが、それは偽りだった。古代遺跡の深層には、王国でも討伐記録のない古代ゴーレムが眠っている。ガルドはそのことを知っていたからこそ、二人をそこへ送り込んだ。
遺跡へ向かう道は険しかった。森を抜けると木々が急に途切れ、灰色の岩山が目の前に現れる。風は冷たく、古い石の匂いが漂っていたので、シルフィは外套の襟を少し上げ、レオンは足元の崩れた石を避けながら歩いた。
「ここ、本当に誰も来ないんですね」
「禁足地帯だからな」
「でも……」
シルフィは立ち止まった。
「この森、変な感じがします」
「何か分かるのか?」
「分からないんです。でも、知っているような気がします」
レオンは不思議そうに彼女を見る。シルフィ自身も理由が分からなかった。ただ、遺跡の奥から吹いてくる風には、故郷の森で嗅いだ土と樹木の匂いが混ざっていた。
二人は石造りの入口を抜け、薄暗い遺跡の中へ入った。壁には見たことのない文字が刻まれ、床には何百年も前のものと思われる陶器の破片が散らばっている。レオンが足元の破片を拾い上げると、表面に小さな葉の模様が刻まれていた。
「これ、シルフィの花飾りに似てないか?」
「本当ですね」
シルフィが指で模様をなぞった瞬間、壁の文字が一瞬だけ淡く光った。二人は同時に顔を上げたが、光はすぐに消えてしまう。
「今、光ったよな?」
「はい……」
シルフィは胸元へ手を当てた。心臓の鼓動が少し速くなっている。けれど、怖いというより、遠い昔に誰かから名前を呼ばれたような不思議な感覚があった。
さらに奥へ進むと、広い地下空間へ出た。天井は高く、中央には巨大な石の像が立っている。最初はただの像だと思ったが、レオンが剣を抜いた瞬間、その二つの目に赤い光が灯った。
「シルフィ、下がれ!」
地面が揺れた。
巨大な腕が動き、石の身体がゆっくりとこちらを向く。身長は十メートルを超え、腕一本だけでもレオンの身体より太い。古代ゴーレムが一歩踏み出すたびに、床の砂埃が舞い、石壁から小さな欠片が落ちてきた。
「こんなの……Cランクの依頼じゃないぞ!」
レオンは盾を構えたが、足が止まった。剣を握る手に汗が滲み、喉が乾いていく。シルフィも動けなかったが、不思議なことにゴーレムは二人へ襲いかかろうとしなかった。
ゴーレムはシルフィの前まで歩いてくると、巨大な身体をゆっくりと沈めた。
そして、片膝をついた。
「……え?」
レオンが呆然とする。
シルフィは恐る恐る近づいた。ゴーレムの石の手が床へ置かれ、その指先から緑色の光が広がる。すると壁一面に刻まれていた古代文字が次々と輝き始めた。
「読めます」
シルフィは驚いた。
「文字が……分かります」
壁に刻まれていたのは、森を守る一族についての記録だった。かつてこの遺跡には、森の精霊と契約した妖精たちが暮らし、古代魔法によって王国の北部一帯を守っていた。そして、その一族の血を引く者だけが遺跡の守護者を従わせることができる。
「私の一族が……ここを守っていた?」
シルフィが手を伸ばすと、ゴーレムの額にある紋章が光った。次の瞬間、遠い記憶のような映像が彼女の頭へ流れ込んでくる。巨大な樹の下で暮らす妖精たち、薬草を摘む子どもたち、花を編んで髪へ飾る女性たち、そして遺跡を守るために魔法を使う一族の姿だった。
「お母さん……?」
知らないはずの光景なのに、その言葉だけが口から出た。
だが、その時間は長く続かなかった。背後から複数の足音が響き、ガルドたちが遺跡へ入ってきたからだ。ガルドは剣を抜き、シルフィたちを見つけると、口元を大きく歪めた。
「見つけたぞ」
レオンが振り返る。
「ガルド……!」
「ここまで来てくれて助かったぜ」
「まさか、この依頼……」
レオンの顔が変わった。依頼の危険度が偽られていたことに、ようやく気づいたのである。ガルドは笑いながら剣を構えた。
「その通りだ」
「俺たちを殺すつもりだったのか!」
「そうだ」
ガルドは迷いなく答えた。
「お前らがここで死ねば、魔物にやられた。それだけで済む」
「ふざけるな!」
レオンが剣を抜いた。ガルドの仲間たちも一斉に武器を構え、狭い遺跡の中で金属音が響く。シルフィは一歩下がったが、背中にはゴーレムがいるため逃げ道はなかった。
「シルフィ、俺の後ろへ!」
「でも……」
「早く!」
ガルドが斬りかかった。
レオンが受け止めたが、力負けして壁へ叩きつけられる。鈍い音が響き、レオンが床へ膝をついた。シルフィが駆け寄ろうとすると、別の男が前へ回り込んで道を塞いだ。
「邪魔するな、羽虫!」
ガルドが剣を振り上げた。
「ここで死ね!」
シルフィの目の前で、レオンの手から剣が落ちた。頬には赤い傷が走り、古い革鎧の肩が裂けている。シルフィはそれを見つめたまま、しばらく動かなかった。
今までなら、耐えた。
馬鹿にされても、報酬を奪われても、追い出されても、自分が我慢すればいいと思っていた。けれど、目の前で大切な人が傷つけられた瞬間、胸の奥に押し込めていたものが、堰を切ったように膨れ上がった。
「……もう」
シルフィはゆっくり立ち上がった。
羽が大きく広がる。
「もう、我慢しません」
次の瞬間、遺跡全体が震えた。
床から巨大な木の根が突き出し、壁を走る古代文字が一斉に光り始める。天井から石が落ち、ガルドたちが慌てて後退した。
「な、何だこれは!」
シルフィの身体から溢れ出した緑色の魔力が、遺跡中を満たしていく。これまで受けてきた嘲笑、侮辱、裏切り、奪われた報酬、何度も飲み込んできた言葉の一つ一つが、すべて魔力へ変わっていた。
古代ゴーレムが立ち上がった。
その巨体が、ゆっくりとガルドへ向く。
「待て……」
ガルドの声が震えた。
「俺たちは……ただの妖精だと思って……」
シルフィは何も言わなかった。
ただ、静かにガルドを見ていた。
その瞳には、もう以前のように怯えて視線を逸らす姿はなかった。
「私を弱いと思っていたんですね」
ガルドが一歩下がった。
「だったら、教えてあげます」
古代ゴーレムが拳を握った。
遺跡の床が大きく割れ、巨大な魔力が地底から噴き上がる。ガルドは初めて理解した。自分たちが笑い、踏みにじり、奪い続けた小さな妖精は、そのたびに倒れていたのではない。
すべてを力へ変えていたのだ。
「嘘だ……」
ガルドの口から声が漏れた。
「こんな……こんな化け物みたいな力が……」
シルフィは傷ついたレオンのもとへ駆け寄った。彼の肩へそっと手を置くと、緑色の光が傷口を包み込んでいく。
「レオンさん、大丈夫ですか?」
「ああ……」
レオンは痛みに顔をしかめながらも笑った。
「でも、今のシルフィのほうが……ずっと怖いな」
「そうですか?」
「ああ。でも……頼もしい」
シルフィは小さく笑った。
そして振り返る。
巨大なゴーレムが、主を守るようにガルドたちの前へ立っていた。もう誰も、彼女を「羽虫」と呼ぶ者はいなかった。




