第5話 『「お前と組んだら笑われる」――それでも隣に立った青年』
第5話 『「お前と組んだら笑われる」――それでも隣に立った青年』
翌朝、シルフィは宿の窓辺で白い外套を干していた。昨日の鑑定騒ぎでギルドから帰ったあと、泥の跡が残っていた袖をもう一度洗い直したため、今朝になっても布はまだ少し湿っている。シルフィは小さな木の椅子に乗り、外套の裾を指でつまんで風が通るように広げながら、今日はどんな依頼を受けようかと考えていた。
「薬草採取がいいでしょうか。それとも、街の外へ行く依頼があるでしょうか」
机の上には宿の主人が朝食に出してくれた黒パンと、少しだけ塩を入れた卵焼きが残っていた。シルフィは卵焼きを一切れ口へ運び、ふわりとした温かさを味わってから、昨夜もらった銀貨を小さな袋へ入れた。生活費を稼ぐためには働かなければならないし、昨日のような危険な依頼ばかりでは困るが、冒険者として少しずつ仕事を覚えていきたいと思っていた。
ところが、ギルドへ向かう途中から様子がおかしかった。いつもなら挨拶を返してくれる受付嬢が、シルフィの姿を見ると一瞬だけ目を合わせ、それから別の書類へ視線を落とした。掲示板の前にいた冒険者たちも、シルフィが近づくと何か小声で話し、ひとりが肩をすくめて離れていった。
「おはようございます」
シルフィが声をかけても、返事はなかった。昨日までなら笑い声の中に混ざっていた「羽虫」という言葉さえ聞こえないので、かえって不思議だった。シルフィは首を傾げながら掲示板の依頼書を眺めたが、どの依頼にも一人では受けられない条件がついている。
そこへガルドがやってきた。黒い革鎧の肩にはまだ朝露が残っていたが、本人はそれを気にする様子もなく、仲間を引き連れてシルフィの横を通り過ぎる。昨日の鑑定騒ぎで恥をかかされたことを引きずっているのか、その口元は固く結ばれていた。
「シルフィ」
呼ばれて振り返ると、ガルドは腕を組んでいた。周囲にいる冒険者たちも、何が始まるのかとちらちらこちらを見ている。
「お前、まだ冒険者を続けるつもりか?」
「はい。せっかく登録しましたから」
「そうか」
ガルドは鼻で笑った。
「なら、せいぜい一人でやれ」
「一人で?」
「ああ。誰もお前とは組まない」
シルフィは瞬きをした。昨日の素材鑑定のあとなら、一緒に仕事をしたい人が現れるかもしれないと思っていたので、思っていた答えと反対だった。
「どうしてですか?」
「聞いてないのか?」
ガルドは周囲を見回し、わざと聞こえるように声を張った。
「シルフィと組んだら笑われるぞ」
何人かの冒険者が気まずそうに顔を伏せた。ガルドはさらに続ける。
「こいつはFランクだ。たまたま魔物を倒しただけの、正体も分からない妖精だぞ。そんな奴と組んでみろ。次の日から『妖精のお守り役』って呼ばれるぞ」
「……」
「お前らだって、そんな恥ずかしい思いはしたくないだろ?」
返事はなかったが、それだけで十分だった。何人かは目を逸らし、別の者はガルドに合わせるように笑った。シルフィは掲示板の端をつまんでいた指をゆっくり離し、花飾りの位置を直した。
「そうですか」
それだけ言って、依頼書を一枚取り上げた。だが、その依頼書には「二名以上のパーティ」と書かれている。シルフィはしばらく紙を見つめ、それから元の場所へ戻した。
「では、一人でできる依頼を探します」
ガルドが笑う。
「精々頑張れよ、羽虫」
その日から、シルフィの周りには見えない壁ができた。
誰かに声をかけようとしても、ガルドの視線を感じると相手は首を横に振った。受付嬢も悪気があるわけではないのだろうが、依頼を紹介するときには必ず「一人で受けられるものは少ないですよ」と申し訳なさそうに言う。シルフィは小さな身体を受付台へ乗せるようにして依頼書を確認し、結局、採取や掃除のような簡単な仕事ばかりを選ぶことになった。
昼になると、シルフィはギルド裏の木箱に腰を下ろして、朝の黒パンの残りを食べていた。パンはすっかり冷めて硬くなっていたが、シルフィは水で少し湿らせながら噛んでいる。近くでは冒険者たちが肉料理を囲み、焼いた香草の匂いと笑い声が流れてくるので、シルフィはパンを小さくちぎることに集中した。
「おい」
突然、頭上から声がした。
顔を上げると、ひとりの青年が立っていた。茶色の髪は少し伸びていて、古い革鎧の胸当てには何度も修理した跡がある。腰の剣も新品ではなく、鞘には細かな傷がいくつもついていた。
「何か食べてるのか?」
「はい。黒パンです」
「……それだけ?」
「朝の残りです」
青年は何とも言えない顔をして、自分の袋から包みを取り出した。中には二つの小さな肉入りパンが入っている。
「一つ食うか?」
「いいんですか?」
「ああ。俺は朝に二つ食ったから」
シルフィは両手でパンを受け取った。まだ少し温かく、焼いた肉と玉ねぎの匂いがした。
「ありがとうございます」
「気にするな」
青年は木箱の隣へ腰を下ろした。
「俺、レオンっていうんだ」
「シルフィです」
「知ってる」
「えっ」
「昨日、Bランクの素材を持って帰った妖精だろ?」
シルフィは肉入りパンを食べながら、少し困った顔をした。
「でも、運が良かっただけだそうです」
レオンは黙ってシルフィを見た。彼女は本当にそう思っているのか、それともそう思わされているのか、判断できなかった。やがてレオンは小さく息を吐き、自分の剣を抜いて刃の傷を眺めた。
「俺も、似たようなもんだ」
「似たようなもの?」
「前のパーティを追い出された」
「どうしてですか?」
「剣の腕が足りないってさ。まあ、実際に負けたから何も言えないけどな」
レオンは苦笑した。
「それで、今は一人です」
シルフィは食べかけのパンを膝に置いた。
「それなら……」
言いかけて、少しだけ迷う。
「私と組みませんか?」
レオンが目を丸くした。
「俺と?」
「はい。私も一人なんです」
「いいのか? 俺、強くないぞ」
「私も、強いのかどうか分かりません」
二人は顔を見合わせた。
先に笑ったのはレオンだった。
「じゃあ、ちょうどいいな」
「はい」
「二人とも分からない者同士だ」
その言葉が妙におかしくて、シルフィも笑った。昨日までギルドの中で感じていた重たい空気が、ほんの少しだけ軽くなった。
翌朝、二人はさっそく薬草採取の依頼を受けた。目的地は街から歩いて一時間ほどの森で、依頼内容は傷薬に使う青葉草を三十束集めるというものだった。シルフィは花柄の入った薄緑色のワンピースに白い外套を羽織り、レオンはいつもの古い革鎧を身につけていた。
「この森なら、たぶん簡単ですよ」
「本当に?」
「はい。木の匂いが故郷と似ています」
森へ入ると、湿った土と樹皮の匂いが鼻をくすぐった。シルフィは地面にしゃがみ込み、落ち葉を指先でそっと動かすと、その下から小さな青い葉を見つけた。
「ここです」
「俺には雑草にしか見えない」
「葉っぱの裏を見てください。銀色の線があるでしょう?」
「本当だ」
レオンは感心したようにしゃがみ込み、シルフィから教わった通りに一本ずつ採取した。シルフィは必要な部分だけを切り取り、根を傷つけないように土を戻す。
「こうしておけば、来年も生えます」
「なるほどな」
レオンは真面目に頷いた。
「シルフィ、詳しいな」
「森で暮らしていましたから」
二人は採取を続けた。途中でレオンが木の根につまずいて転び、シルフィが大笑いしたり、レオンが見つけた食べられる木の実を二人で味見したりもした。薬草採取だけの地味な依頼だったが、二人にとっては初めて肩の力を抜いて楽しめる仕事だった。
夕方、二人がギルドへ戻ると、ガルドが仲間と食事をしていた。大皿には焼いた鶏肉が山盛りになり、香ばしい匂いが広間いっぱいに広がっている。シルフィとレオンが採取袋を受付へ提出すると、ガルドは鼻で笑った。
「なんだ、その落ちこぼれ同士の組み合わせは」
レオンの手が止まった。
「……何だと?」
「薬草拾いがお似合いだな」
レオンが一歩前へ出た。
「お前、シルフィに――」
シルフィがそっとレオンの袖をつまんだ。
「レオンさん」
「でも、こいつは!」
「いいんです」
レオンが振り返る。
シルフィは笑っていた。けれど、その指は外套の端をぎゅっと握っている。
「私たちは私たちですから」
レオンはしばらく黙っていたが、やがて肩の力を抜いた。
「……そうだな」
シルフィは受付から報酬を受け取り、銀貨を二人分に分けた。今日の仕事はそれだけだったのに、不思議と昨日までとは違う一日だった。帰り道には夕焼けが街の屋根を赤く染め、レオンが「明日はもう少し難しい依頼を探そう」と言うと、シルフィは嬉しそうに羽を揺らした。
「はい。二人なら、きっとできます」
その夜、宿へ戻ったシルフィは温かい野菜スープと焼きたてのパンを食べた。昨日まで一人で噛んでいた硬い黒パンとは違い、今夜のパンは柔らかく、バターの香りが口の中に広がった。シルフィは食事を終えてから窓を開け、夜風に当たりながら昼間の出来事を思い返した。
「今日は、楽しかったな」
胸の奥が、また温かくなった。
ガルドに笑われたときと同じ感覚だったが、今回は少し違っていた。嫌な言葉を受けても、それを誰かへ返すことなく飲み込んだ瞬間、古代魔力が静かに膨らんだのである。
シルフィはその変化に気づかない。
ただ、窓辺に置いた花飾りを眺めながら、小さく笑った。
「明日も、レオンさんと一緒に行けるといいな」
その頃、宿へ帰るレオンもまた、古い革鎧を壁に掛けながら今日のことを思い出していた。誰かに見下されても怒鳴り返さず、それでも自分たちの歩く道を選んだ小さな妖精の姿が、なぜか頭から離れなかった。
「……悪くない相棒かもな」
そして翌朝、シルフィの羽は昨日よりわずかに大きく光っていた。まだ誰も知らない。理不尽に耐えるたびに増大する古代魔力が、今度は「隣に立ってくれる仲間」を得たことで、これまでとは違う形で育ち始めていることを。




