第4話 『Fランクが持ち帰った素材にギルドが凍りつく』
第4話 『Fランクが持ち帰った素材にギルドが凍りつく』
翌朝、シルフィは宿の食堂で焼いた芋を半分に割って食べていた。昨日の洞窟から戻ったときは泥だらけだったため、宿の主人に湯を分けてもらい、白い外套と緑色のワンピースを洗って一晩干していたが、裾にはまだ茶色い染みが残っている。シルフィはその染みを気にしながらも、温かい芋を頬張り、昨日の出来事を何度も思い返していた。
「お姉ちゃん、昨日は大変だったんだね」
食堂の手伝いをしている少女が、シルフィの隣へ木杯を置いた。中には薄いミルクが入っていて、表面から湯気が立っている。シルフィは両手で杯を包み、冷えた指先を温めながら、洞窟で咲いた花のことを考えた。
「はい。でも、帰ってこられましたから大丈夫です」
「ゴブリンがいっぱい出たんでしょう?」
「たくさんいました」
「怖くなかった?」
シルフィは少し考えたあと、焼き芋の皮を丁寧に剥がした。
「怖かったです。でも、もっと怖かったのは、お腹が空いたことでした」
少女が吹き出し、シルフィもつられて笑った。昨夜はろくに食事を取れなかったので、焼き芋の甘さがいつもより強く感じられる。食べ終わったシルフィは、宿の主人に借りた小さな櫛で金色の髪を整え、花飾りを編み直してからギルドへ向かった。
朝の街には薄い雲がかかり、石畳には夜の雨がまだ残っていた。シルフィは濡れた道を避けながら歩き、背中の羽に水滴がつかないように外套を少し広げた。ギルドへ近づくにつれて人の声が増え、扉の向こうからはいつもの酒と焼いた肉の匂いが流れてきた。
「今日こそ、依頼を探しましょう」
シルフィは小さく呟いた。
ところが、ギルドの扉を開けた瞬間、受付嬢が大声を上げた。昨日提出された討伐証明の確認をしていた彼女は、書類を片手にしたまま立ち上がり、顔を真っ青にしてシルフィを指差している。
「シルフィさん!」
「はい?」
「昨日の洞窟で、何を倒したんですか?」
周囲の冒険者たちが一斉に振り返った。シルフィは驚いて羽を小さく震わせ、胸元の花飾りを触った。何か手続きを間違えたのかと思い、受付台へ近づいていく。
「ゴブリンを倒した……というより、眠っていたので、そのままにしてきました」
「ゴブリンだけじゃありません!」
受付嬢は震える手で、鑑定台の上に置かれていた素材を示した。そこには昨日シルフィが持ち帰った袋とは別に、巨大な黒い牙と青灰色の鱗が並べられている。どちらも普通のゴブリンの素材とは明らかに違い、近くにいるだけで肌がぴりぴりするような魔力を感じた。
「これは……何ですか?」
「洞窟の最深部で採取されたものです」
鑑定を担当していた職員が答えた。額には汗が浮かび、何度も鑑定用の魔石を布で拭っている。魔石に触れた瞬間、青白い光が強くなり、周囲にいた冒険者たちがざわついた。
「鑑定結果が出ました」
職員は一度深呼吸した。
「黒牙巨獣の牙……討伐難度、Bランク」
ギルド内の空気が変わった。
「Bランクだと?」
「待て、そんな魔物があの洞窟にいたのか?」
「じゃあ、あの洞窟は本来もっと危険だったってことか?」
シルフィは目を丸くして鑑定台を覗き込んだ。自分が昨日歩いた洞窟の奥に、そんな魔物がいたとは知らなかった。思い返してみれば、ゴブリンたちが一斉に逃げていった場所があったが、その先には大きな爪痕が残っていた。
「これ、私が拾ったものです」
「拾った?」
「はい。洞窟の奥に落ちていました」
職員がシルフィを見る。
「落ちていた……だけですか?」
「たぶん、そうだと思います」
その返事に、ギルドの奥から大きな笑い声が響いた。
「はははっ! そんなわけがあるか!」
ガルドだった。
彼は仲間を引き連れてギルドへ入ってきたところで、鑑定台の素材を見て足を止めていた。昨日、自分たちだけで逃げたことなど忘れたような顔で、シルフィの前まで歩いてくる。
「それは俺たちが弱らせていた魔物だ」
シルフィは黙ってガルドを見た。
「昨日の洞窟で、俺たちが何度も攻撃していたんだ。最後にお前が拾っただけだろ」
「でも、私は皆さんが攻撃しているところを見ていません」
「何?」
「私が洞窟の奥へ入ったとき、皆さんはもう外へ逃げていました」
周囲から小さなざわめきが起きた。ガルドの顔がわずかに引きつったが、すぐに腕を組み、シルフィを睨みつけた。
「じゃあ、たまたま倒せたんだ」
「そうなんでしょうか」
「そうに決まっている!」
ガルドは鑑定台を叩いた。
「妖精なんかにBランクの魔物を倒せるわけがない!」
机の上の魔石が跳ね、受付嬢が驚いて後ずさった。シルフィは肩をすくめたが、反論する代わりに自分の袖口を見た。洗ったはずなのに残っている泥の染みが気になり、指先で何度も擦っている。
「……そうなのかもしれません」
ガルドは勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「ほらみろ。本人だって分かってるじゃないか」
しかし、そのやり取りを離れた場所から見ていた男が一人いた。
ギルドマスター・ヴァルドである。
ヴァルドは黒い外套を羽織り、手にした古い帳面を閉じた。普段なら多少の騒ぎ程度では受付まで出てこない彼だったが、鑑定台から漏れている魔力の異常に気づいていた。
「その素材をもう一度鑑定しろ」
「マスター?」
「素材ではない。魔力残滓を調べるんだ」
職員は慌てて鑑定用の水晶を取り出した。透明だった水晶の内部に青い光が走り、次第に緑色へ変わっていく。さらに細かな金色の粒が現れ、水晶の中を渦を巻くように動き始めた。
「これは……」
ヴァルドが鑑定台へ近づいた。
「どうしたんですか?」
シルフィが尋ねると、ヴァルドは答えず、水晶に手を近づけた。指先が触れる寸前、強い魔力反応が走り、彼は思わず手を引いた。
「……この魔力、古代種のものか?」
その言葉に、ギルド内が静まり返った。
古代種。
それは現在ではほとんど確認されていない、古い時代の魔力を持つ存在を指す言葉だった。ヴァルドはギルドマスターとして多くの魔物や冒険者を見てきたが、目の前の小さな妖精から感じる魔力は、そのどれとも違っている。
「シルフィ」
「はい」
「昨日、洞窟の中で何があった?」
シルフィは腕を組んで考えた。ゴブリンに追われたこと、ガルドたちに置き去りにされたこと、花が咲いたこと、そして全員が眠ったことを順番に思い出す。
「えっと……私が逃げていたら、地面から根っこが出てきました」
「根?」
「はい。それから、たくさんのお花が咲いて……ゴブリンが眠ってしまいました」
ヴァルドは黙り込んだ。
「他には?」
「分かりません。私が何かしたのかもしれませんけど、どうやったのかは分からないんです」
「自分で魔法を使った覚えは?」
「ありません」
シルフィは首を横に振った。
ヴァルドは彼女の手を見た。小さな指には泥が残り、爪の間にも黒い土が入っている。戦士の手ではない。魔術師の手でもない。それなのに、目の前の少女から発せられる魔力だけは、ギルドにいる誰よりも深かった。
「……妙だな」
ヴァルドは小さく呟いた。
そのとき、鑑定担当の職員が別の素材を持ってきた。
「マスター、こちらも確認してください」
「何だ?」
「黒牙巨獣の牙に残っていた魔力です」
水晶に牙を近づけると、緑色の光が一気に膨らんだ。シルフィの羽も同時に淡く光り、彼女自身が驚いて一歩下がる。
「わ、私ですか?」
「……やはり」
ヴァルドの目が細くなる。
「この素材には、シルフィの魔力が残っている」
ギルド内が再び騒がしくなった。
「じゃあ、本当にシルフィが?」
「Bランクの魔物を?」
「Fランクの妖精が?」
ガルドだけは納得しなかった。彼は顔を赤くして机を拳で叩き、周囲の視線を睨み返す。
「くだらない!」
「ガルドさん」
ヴァルドが低い声で呼ぶ。
「今は鑑定中だ」
「俺たちが弱らせていたんだ!」
「その証拠は?」
「……」
ガルドの口が止まった。
ヴァルドは冷静に続ける。
「お前たちが提出した討伐記録には、Bランク魔物との交戦記録がない」
「それは……」
「それどころか、昨日の依頼書にはゴブリン討伐しか記録されていない」
ガルドの顔から笑みが消えた。
シルフィは二人のやり取りを見ながら、胸元の花飾りを整えていた。何が正しいのか、まだ彼女自身にも分からない。自分が強いのか、それとも本当に運が良かっただけなのか、判断する材料がなかった。
「シルフィ」
ヴァルドが声をかける。
「はい」
「君は、昨日のことを本当に何も知らないのか?」
「はい」
シルフィは少し考えてから答えた。
「でも、私が知らない力があるのなら、これから勉強したいです」
ヴァルドは目を細めた。
自分を馬鹿にした冒険者にも、命を囮にした男にも、シルフィは怒鳴り返さない。けれど、ただ何も考えていないわけでもない。彼女は自分の分からないことを知ろうとしている。
「……面白い子だ」
ヴァルドがそう呟いた直後、シルフィの胸の奥で小さな熱が生まれた。
昨日、ガルドに「運が良かっただけ」と言われたときにも感じたものだった。胸の奥から広がった熱は腕を通り、背中へ抜け、蝶の羽をほんの一瞬だけ淡く光らせる。
シルフィは気づかなかった。
けれど、ヴァルドは見逃さなかった。
「今の魔力……」
ヴァルドが目を凝らす。
シルフィが侮辱を受け、それを飲み込んだ瞬間、魔力がまた増えていた。
ガルドはそれを知らない。
彼はただ、目の前の小さな妖精が自分より注目を集めていることに腹を立て、拳を強く握りしめていた。
「……絶対に認めない」
その低い声を聞きながら、シルフィは受付嬢から渡された銀貨を小さな袋へしまった。今日は宿に帰る前に、焼きたてのパンと温かいスープを買おうと思った。そんなささやかな予定を胸に抱えながら、彼女はまだ知らなかった。
自分を見下す人間が増えるほど、自分の中に眠る古代の力が、さらに大きく育っていくことを。




