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美術大学に入学したら天才女子彫刻家のお世話をすることになりました  作者: 川平直
私が――

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第36話

 三三三×二四二ミリの四号キャンパスを見つめて亜香里は「よしっ!」と満足げな声を上げて足元に置いた水筒を手に取った。


 絵の具の付いた筆を脇に置き席を立って完成した作品を眺め、うんうんと満足げにうなずいてちびりとお茶を一口。


 大分イメージどおりに掛けた、あーでもやっぱりこっちはもう少し明るめの赤色で、こっちはもう少し淡い感じにしてたもっと良くなったかも、こっちは――。


 完成したはずの絵を見つめながら毎度の事のようにあーすればこうすればと思いを馳せる。


 いつになったら頭の中にある大傑作をそのまま出力できるようになるのだろうか、もしかしたらそんな日は一生来ないのかもしれないけれど。


 そんなとりとめもないことを考えながらもう一度お茶を飲もうとするが水筒の中はすでに空っぽだった。時間を確認してみれば時計は午後の三時を回ろうとしている。


 作品も完成して切りもいいし、今日はこの辺でやめておこうと亜香里は決めた。


 画材を片付け作品制作に取り組むほかの学生たちの間を縫うようにして、油絵科共用アトリエ奥にある物置へと向かい完成した絵を所定の位置に置く。


 画材を片付けがてら物陰に隠れすっかりカラフルに汚れてしまった作業用のツナギを勢いよく脱いで、人が来る前に着替えを引っ張り出して手早く着替える。


 別にもう着替えをする必要もないのだけれど、習慣になってしまって寮へ帰るときは着替えてから出ないと落ち着かなくなってしまった。


 着替えた私服姿でもう一度生徒の間を縫って出入口からアトリエの外に出た瞬間、湿気とほのかな熱を帯びた粘っこいそよ風に顔を撫でる。


 季節は七月も半ば黎がフランスに旅立ってから半年が過ぎた。

 

 大学二年生の生活にもすっかり慣れた、と言っても学年が上がっただけで変わった事なんて特にないのだから慣れるも何もあまりないのだけれど。


 寮の部屋は今も亜香里が一人で使っている、今年は新入生が比較的少なかったらしく相部屋を使用する必要がなかったらしい。


 学校側としてはあまり嬉しくない話だろうが亜香里としてはラッキーな出来事だ、本音を言えばあの部屋で黎以外の誰かと生活する事をあまり想像したくない。


 とは言え来年になってしまえばさすがにそうは言ってられないだろうしその時は大人しく受け入れるつもりではいるのだけれど、出来ればそうならないで欲しいと願わずにはいられない。


「! 道長さんお久しぶりです」


 寮へと帰る道すがら見慣れた先輩の姿が見えたので声を掛けると、彼は変わらない少年の様な笑顔を浮かべて応えてくれた。


「おー久しぶり。アトリエからの帰り?」


「はい。そう言う道長さんは?」


「俺はこれからアトリエに向かうとこ、就職活動の息抜きに絵の続きを描きたくて」


「就職活動かー、私もそろそろ考えなくちゃですかね?」


「さすがに二年の内からそこまで深刻にならなくても良いと思うけど。まぁ考える事くらいはしておいてもいいんじゃないかな、早い内に色々決まってれば後が楽だし」


「やっぱりそうですよね。あ~どうしよ、やりたい事っていってもなぁ」


「まぁまぁさっきも言ったけどそこまで深刻にならなくても良いじゃないかな? むしろそう言うこと気にせず思う存分やりたい事が出来るのも今だけかもしれないし。それじゃもう俺は行くよ、またね斉藤さん」


「あっはい! 暑い中引き留めてすいませんでした、お話参考にします!」


 最後にそう言うと道長は後ろ手を振って共同アトリエの方へ去って行った。


 あの日、道長が何を言いかけたのかそれが分からないほど亜香里だって間抜けではない。


 ただ道長本人が何も言わず今まで通り接してくれているのなら亜香里の方が妙な気をつかうのは違うきがする、そんなもの単なる自意識過剰だ。


 去って行く先輩の背中に頭を下げて亜香里は止めていた足を動かし寮へと向かって歩き出した。


 大学に隣接されたパッと見は綺麗なマンションに見える寮の三階角部屋、今は亜香里が一人で暮らす家。


 エレベーターで三階へ向かい自分の部屋へ視線を向けた瞬間、ピタリと亜香里の足が止まった。


 部屋の扉に寄りかかるように謎の人影が座り込んでいたからだ。


 いや違う、謎の人影なんかじゃない。


 遠目からでもそれが誰なのか分かった、それは――。


「あっ! お帰り、亜香里」


 少し低い、秋風のような声が名前を呼ばれて胸が詰まるようだった。まだ半年くらいしか経っていないのになんだかとても懐かしくて。


「いったい何をしてたのさ、危うく蒸し焼きになって死ぬかと思った」


「何してたって絵を描いてたに決まってるでしょう美大生なんだから。れいこそ、どうしてここにいるの? 帰ってくるなら一言くらい……連絡……してくれったって」


 あーあ帰ってきたときは笑顔で迎えるつもりだったのに、言葉が涙で詰まって上手く出てこない。


 だってあまりにも突然だったから、嬉しいやらびっくりやらでもう情緒がぐちゃぐちゃだった。


 悔しくて唸るように泣くことしか出来なくなった亜香里の頭を黎が優しく撫でごめんと謝った。


「次からちゃんと連絡する、だからそろそろ部屋に入らない? さすがに暑い」


「…………うん」


 折角の再会を軽く流されて不服だが黎の言うことももっともだ。


 溢れた涙を拭ってバックから鍵を取り出して鍵を開けると、黎は相変わらず靴をそろえることもせず部屋に入っいく。


「わぁー変わってないなぁ」


「当たり前でしょまだ半年くらいしか経ってないんだから、そんなに劇的に変わる分けないじゃん」


 部屋に入るなりエアコンの電源を入れる黎に済ました調子でそう言う亜香里自身も実は郷愁を感じずにはいられなかった。


 この部屋に黎がいる、その事実が懐かしくて愛おしい。


「というか黎もひどいよ、向こうに行ってから連絡もくれないしかと思ったらこんな風に急に帰ってきて」


「だからごめんって。こっちも結構忙しかったんだ、それでもようやく一段落したからこうして帰ってきたんだよ」


「そうかもしれないけどさぁ」


 会って早々泣かされた事とか今まで連絡一つよこさなかったこととか、いろいろな不満からついつい唇がとんがる亜香里だったが。


「亜香里」


 呼ばれて振り向いた瞬間軽いキスをされて何かを思う暇もなく。


「会いたかった」


 優しげな声でそんなことを言う。


 それだけで胸の内にあった不満が溶けてなくなってしまうのだからズルいと言うか、我が事ながら情けないというか。


 それから黎は向こうに行ってからの事を聞かせてくれた。

 

 向こうで彫刻家としての修業をしている事や、おじいちゃん知り合いへの挨拶回りが面倒臭かったこと、向こうでも個展を開いてそこそこ盛況だったが日本にいた頃と比べたらまだだまだなこと。


 さっき言っていた通りそれなりに忙しい半年間を過ごしていたらしいが、最近になってようやく生活が安定してきたのでこうして一時帰国する事が出来たのだという。


「亜香里の方はどうなの? 何か変わった事はあった?」


「私のほうは全然だよ、いつも通り。強いて言うならそろそろ進路の事というか将来のことを考えなきゃかなって思ってるけど」


「そっか――亜香里ってパスポート持ってたっけ?」


「へっ? 持ってないけど……」


 また急に話が飛んだなと訝りながらも正直に応えると黎は「そっか」といって徐に立ち上がり。


「それじゃあ早速手続きの準備をしよ、パスポートが取れたら教えてpapy(パピ)にチケット取って貰うから」


「えっ、ちょ、まってまって、なに? 今何の話ししてる?」


 何やら自分のあずかり知らぬところでとんでもない話が進んでる気がして戦々恐々とする亜香里だったが、そんな彼女に対して黎は何食わぬ顔をして。


「言ったでしょ、待っててって。ようやく部屋が契約出来たんだ、ここよりも広くて良いとこ」


「いやいやいやいやちょっと待って、私フランス語なんて分からないし、それに大学だってあるんだよ」


「だから今回は下見? いきなりは亜香里心配でしょ、papyにも紹介しておきたいし。言葉の方は……なんとなるよわたしがそうだったし」


「なんとかなるって、そう言う問題じゃなくて」


「それに向こうなら合法だしね」


「何がっ!? 何、私日本(こっち)じゃ非合法な事をやらされるの?」


 亜香里は問いただすが、黎ははぐらかすだけでまともに答えてはくれなかった。


 むちゃくちゃだ、いきなり帰ってきたと思ったらいきなりこんなこと言い出してマイペースにも程がある。


 だけど黎はなんだか楽しそうで、そんな彼女の姿を見ていると、なんと言うことだ亜香里までなんだか楽しい気分になってきてしまうのだ。


 結局この同居人に振り回されながら世話を焼く日々はまだまだ続くらしい、だけど別にそれが嫌じゃない。


 油絵は少しづつすこしづつ時間を掛けて丁寧に色を重ねていく、絵の具と一緒に描き手の想いを一緒に塗り込めながら一枚の絵を完成させていく。


 その課程はもしかしたら少し、人生に似ているのかもしれない。


 最初は真っ白で何もないキャンパスに人との出会いや思い出を重ねていって、その人だけの人生()を描き上げていく。


 なんてさすがに気取りすぎな様な気がするけれど、それでも少し考えてしまうのだ。


 私の人生()は黎と出会ってどう変わったのだろう、これからどんな思い出()を重ねてどんな人生()になっていくんだろう? 


 実際に書き出してみたらイメージと違ったなんて良くあることだし、望んだものになるかどうかなんてきっと誰にも分からない。


 だけど、それでもこれからの事を思うと少しワクワクする自分がいる。


 だって絵を描いている時、一番楽しいのはこうやって完成を想像しながらあれこれ考えている時なのだから。


fin

――あとがき――


「ごろごろ~ごろごろ~、あーあ女の子同士をイチャイチャさせてぇな~」


 という衝動一本で始まったこの作品、果たして皆様を楽しませることが出来たでしょうか? そうだったらいいな、そうだと言ってください。


 普段はカクヨムを中心に活動しております、下記URLから飛ぶことが出来ますので気が向いたらぜひ。


 あらためまして最後までこの物語を見届けていいただき本当に感謝しています、どうか別の作品でもあなたに出会えることを祈って。


 以上、ご拝読ありがとうございました。


 ↓カクヨム作者ページURL↓

 https://kakuyomu.jp/users/kawahiranao


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