第33話
最初に向かったのは寮から五分ほど歩いた場所にある河川敷、夏にはここで黎にシロツメクサの指輪を付くったてあげた、今の季節はもうどこにも咲いていないけれど来年になって暖かくなればまた顔を出すだろう。
そこを抜けると今度は商店街、そこにある肉屋でコロッケを買った。
揚げたてのコロッケはやっぱり美味しかった、最近あまりまともな食事をしていなかったから余計そう思えたのかもしれない。
うろ覚えの道を辿って何度か道に迷い掛けながらあの小さな神社にも行って、前来た時と同じようにお参りもした。
あの時、黎から何をお願いしたのかと聞かれて秘密と答えたけれど白状すれば正直なにもお願いなんてしていなかったのだ。
黎は一体何をお願いしてるんだろうとかそんなことばっかり考えてお参りする余裕なんてなかったらから。
もしあの時、黎とずっと一緒にいられますようにってお願いしていたらそれは叶ってただろうか? 今頃そんな事を考えたところで意味はないけれど。
商店街を抜ければ駅が見えてくる、さすがにショッピングモールは当てもなく散歩で行くには遠すぎるけれどそれでも思いを馳せるくらいは出来る。
ブティックで服を選んで貰って、そのあと水族館へ行った。色とりどりにライトアップされたクラゲに二人で綺麗だねって話をした。
他にも沢山、歩いていれば黎とのと思い出はそこかしこに転がっている。
楽しかったな、そんな言葉が自然と浮かぶ。
ねぇ? 黎は違ったの? 私と一緒に過ごした時間は思い出は何も言わずに出て行っても構わないって思えるようなその程度のものでしかなかったの?
歩いていた足を止めてそう一人問い掛けて見るけれど誰も答えてはくれない、誰も足を止める事なく亜香里の横をすり抜けていく。
亜香里だけが、ただ一人立ち尽くしていた。
歩くのにも疲れて大学の近くにまで帰ってくると見知った人と鉢合わせた。
「あれ? 斉藤さん」
いつの間にか足下を見て歩いていた亜香里が顔を上げるとそこには普段なにかと話をする先輩の顔が合った。
「道長さん、こんにちは」
「うん、こんにちは。斉藤さんもお出かけ?」
「ええ、まぁはい、ちょっと散歩に」
「そっか、俺はこれから画材でも見に行こうかなって、そろそろ絵の具も切れそうだし」
気さくな先輩は何時もの様に屈託なく話しかけてくれるのだけど、申し訳ないが今の亜香里にはそれが少し鬱陶しくて適当な事を言ってその場を後にしようとするが。
「あっちょっと待って」
呼び止められて仕方なく足を止める、わざわざ呼び止め他のだから何か用事があるんだろうそれが終わったらさっさと離れよう。
「会った時にすぐ渡せるようにってバックに入れてたんだけど正解だったね、これ斉藤さんのでしょう?」
そう言って道長がリュックサックを胸の前に回してからジッパーを取り出したのは一冊のスケッチブック、亜香里がアトリエに忘れてきたと思っていたあのスケッチブックだ。
どうしてこれを? という疑問が当然湧いてくるが聞くよりも早く道長がそれに答えた。
「俺さっきまでアトリエにいてさ。でっこれが倉庫に落ちたのを見つけて、もしかしてと思って。ああ、大丈夫中身を見たりなんてしてないから安心して」
別に気にしてはいなかったけれど道長なりの気遣いなんだろう、感謝を伝えて差し出されたスケッチブックを受け取ろうとするが亜香里が手に取ってもなぜか道長の手は離れなかった。
「……あのさ、余計なお世話だって分かった上で言うんだけど……何かあったの? 最近なんだか元気がない気がするけど」
道長はちょっと躊躇うように言葉を詰まらせながらもそう言った、その声は気遣いに溢れていてなんだか逆に申し訳なく思えてくる。
「別に、たいしたことじゃないです」
「だったら俺に話してみない? たいしたことじゃないなら別に問題ないでしょう?」
道長のその声はどこか頑なな気配を感じさせた。
普段気さくで気の良い先輩で良く話しかけてくれる道長だけど、きっと亜香里よりもずっと大人な道長は人の事情に無理に踏み込んでくるようなことは今までなかったのに。
いったい自分は今、周りからどんな風に見えてるんだろう? まるで他人事みたいにそんなことが少し気になったけど、今抱えてることを話す必要はない。
勝手に傷ついて勝手に落ち込んでる、しょせんそんな身勝手な悩みでしかないんだから。
気に掛けてくれた道長には悪いけれどこの場はこのままおいとまさせてもらおう『心配してありがとうございます、でも大丈夫ですから』そう言えば全て丸く収まる。
「……実は、この前話した人と喧嘩してしまって」
あれ? 何を言ってる?
「いや喧嘩じゃないですね、少なくともその人はそう思ってないと思うから」
違う違うそうじゃないでしょう、心配しないでってそう言えばいいだけなのに。
「ただその人が遠くに行くことになって、そのことを私は聞いてなくて、それがショックで。そんな大事なことを一言も言ってくれないくらいその人とって私はどうでも良い存在だったのかなって……」
まるでお化けにとりつかれた見たいに口は言葉を紡ぎ続けた、こんなこと言うつもりなかったのに。
気がついたら目元に涙まで溜まり始めて亜香里は慌ててそれを拭った、ただでさえ醜態を晒してるって言うのにこれ以上は格好悪すぎる。
「……あのさ、こんな時に言うことじゃないかもしれないけど……俺、斉藤さんのこと――」
何かを言いかけて、それを止めて、逡巡するような気配がして、そして最後に道長は小さく苦笑を浮かべて。
「……斉藤さんの好きな人って春夏冬さん?」
不意打ちだったその言葉に誤魔化すのも忘れて思わず道長の顔を見る。
「さっきスケッチブックの中身見てないって言ったけど、ごめんアレ嘘」
そう言うと道長はまるでいたずらが見つかった子供みたいな、バツが悪くてちょっと申し訳なさそうな顔をした。
「……ねぇ斉藤さん? 前に人物画は苦手だって言ってたでしょう、でも多分そんなことないよ、だってこんなにも伝わっちゃうんだからさ」
スケッチブックを掴んでいた道長の手がそっと放されて、彼は歩き出し亜香里のすぐ隣を横切っていく。
「それじゃあまた。後悔だけはしないようにね」
最後にそう言い残して道長は去って行き一人残された亜香里の手には一冊のスケッチブックだけが残った。




