第31話
「おはよう」
未だに目を覚ます度にそう呟いてしまう。
ベットから体を起こして部屋のカーテンを開けると心地の良い日差しが部屋と亜香里を照らす。
季節は四月になり今日から亜香里も大学二年生、普段見慣れたはずの景色もどことなく新しくなったような気がする。
身だしなみを整えるのもほどほどに、亜香里は朝食の準備を始める献立は鮭の切り身の塩焼きに豆腐とネギの味噌汁、そして白米と納豆という日本の朝ご飯ど真ん中。
どれもそれほど手間が掛かる物でもないので何時ものように手際よく調理を進めていく亜香里だったが、途中でピタリとその手が止まる。
「あちゃー、またやっちゃった」
言いながら天を仰ぐ、鮭の切り身を手癖でつい二枚焼いてしまった、いったいこれで何度目だったろうか?
しょうがない一枚は身をほぐして瓶にでも詰めて保存することにして残りの作業をやっつける。
料理を座卓に並べ手を合わせて頂きますをする。
「うん、我ながら上出来上出来。まぁ焼いたりお味噌解いたりしただけで手間なんて掛かってないんだけど」
口から零れた自身の声を聞いて、最近一人言が増えたなー、なんてまるで他人事みたいに思っているうちに朝食を食べ終える。
後片付けをしたら身支度をして準備完了、亜香里は大学へ登校するため、玄関で靴を履いて扉を開き部屋の外に出て最後に――。
「いってきます」
そう言って扉を閉める、返辞がないと分かっているのに未だにそれを繰り返してしまうのは何かの未練だろうか?
そう言えば向こうとの時差ってどれくらいだったけ? 向こうはまだ夜だったりするのかな?
ぼんやりとそんなことを考えながら通い慣れた道をトコトコと一人歩いて行く。
ふと、脈絡もなくある考えが亜香里の頭を過る。
結局、黎にとって私はどんな存在だったんだろう。
私と黎の間には何かあったんだろうか? 未だにそれははっきりしない、確かな物を何も残さず彼女は旅立ってしまったから。
黎があの部屋を出て行ってもう四ヶ月、遠いフランスの地で今頃彼女は何をしているのだろうか?
「わたしね、Papyの所に行くことにしたから」
突然言われたその言葉を亜香里はすぐに飲み込むことが出来ず、十秒近く間を開けてからようやく口が言葉を紡ぐ。
「えっと、おじいちゃんの所へ遊びに行くって事? 里帰り的な」
ようやく出てきたその言葉は至極真っ当な物だったと思う、だけど食べていたサンドイッチはなぜだか殆ど味がしない。
「ううん、もう向こうに住もうと思ってる。papiのところで本格的に彫刻に専念しようかなって」
「で、でもそれって卒業してからの話でしょ? うち四年制だから黎も後一年は――」
「今年の内に準備を済ませて来年の一月中には向こうに行くつもり、手続きは面倒臭いけどまぁしょうがないよね」
「……どうして急にそんなこと言うの?」
「急って訳じゃない。少し前から考えてたしpapiからはずっと前から呼ばれてたし」
「前は行く気ないって言ってた」
「気が変わって、向こうに行ってみるのも良いかなって」
「…………私に一言くらい言ってくれたって」
「どうして?」
刺された、その一言に、心臓をブスリと。
とどめを刺された亜香里は、もう息をすることもできない。
ただ黙ってうつむくことしか出来なかった。




