第26話
最近、なんだか黎の様子が少しおかしい気がする――。
季節が流れて秋になった、茹だる様だったあの暑さもさすがになりを潜めて外で肌を出して歩くことは躊躇する頃合いとなったある日。
「ただいま~」
「お帰り、今日も早かったね」
黎がアトリエに行くと出掛けていってから大体一時間今日は早めのご帰宅となったらしい。
作品制作に出掛けてすぐ帰ってくる事は前からあったがこの前も同じようにすぐ帰ってきていて今回で二回連続、これはちょっと珍しい。
「うーん、ここ最近気が乗らなくって」
「ここ最近……」
言われてみれば最近は作品制作の為にアトリエに行く頻度自体が減っている様な気がするような、そうでもない様な?
「調子悪いの? 大丈夫?」
心配になって尋ねてみるけれど、黎はたいして気にした様子も無く手を振って。
「大丈夫、大丈夫。たまたたそう言う気分ってだけだから。それよりおなか空いたーご飯作って~」
「人が心配してるって言うのに」
当人はあっけらかんとしていて気にしている気配すらない、まぁ黎が気分屋なのは今に始まったことではないし気にするだけ疲れるだけかもしれない。
チラリと時計を確認すると十二時十四分、確かにお昼にはちょうど良い時間だ。
「はいはい分かりましたよ、ちょっと待っててくださいな」
よっこいしょと立ち上がり冷蔵庫の中を物色、卵の賞味期限が近い昼食はオムライスに決定だ。
使いかけのにんじんとジャガイモ、冷凍グリーンピースにあとウインナーも取り出して台所に並べエプロンを羽織りキュッと腰紐を縛って気合いを入れていると、黎がにょっと肩からのぞき込んできた。
頬が触れそうな程近く黎の顔がある、ちょっと前まではそれだけでドギマギしたりしたものだが、ここ数ヶ月でそれも克服した、もうこの程度で照れたりしない。
「ちょっと危ないよー」
なんて平然と注意をする余裕まである、自らの成長を実感してちょっぴり優越感に浸っていると黎は亜香里の手元見たまま。
「ねぇ、今日はこのまま見てて良い?」
と、そんなことを言ってきた。何時もなら適当に相手したら満足してすぐどっかへ行くのだけれど、こんなことを言ってくるのは初めてだった。
不思議に思うがまぁ黎の事だから今日はそう言う気分だったってだけの話だろう、深く考える様な事でも無い。
「それじゃあ見てても良いけど、さすがに危ないから見るならもうっちょっと離れたところで見てて」
「んっ、分かった」
そう言って黎は素直に亜香里から一歩距離を取ると横に立って様子を見守り始めた。
あんまりにもじっと見つめている物だから逆になんだかこっちも緊張してくるがいつまでも気にしてたって仕方ない、亜香里はさっくり切り替えて料理に集中することにした。
まず手始めににんじんとジャガイモを大体グリーンピースと同じくらいのサイズに角切りにしてバーターと一緒に熱したフライパンに投入して軽く炒める。
バターが行き渡ったら凍ったままのグリーンピースを投入し軽く炒め最後に輪切りにしたウィンナーを入れて全体に火が通ったら今度はご飯だ。
ご飯と具材を炒めながら手早く混ぜてケチャップで味を付けて最後に塩こしょうで整えればチキンライス(チキン入ってないけど)のできあがり。
そうこうしている間も黎は横に立ったまま興味深そうに、亜香里が料理をしているところを興味深そうにじっと眺めていた。
そういえば弟や妹が小さかった頃こうして料理している所を横から見てたっけな、なんて懐かしい記憶が呼び覚まされるが亜香里はすぐにキッと瞳を鋭く光らせて集中モードに移行する、なんせここからはスピード勝負だ思い出に浸ってる時間なんぞない。
チキンライスをお皿に形を整えながら盛り付けて次はいよいよ卵、普段なら節約して薄焼きにしてしまうけれど今日は卵を使い切ってしまいたいから贅沢にふわふわオムライスに挑戦する予定だ。
卵を三つ割り手早く混ぜ強火に掛けたフライパンへ一気に流し入れる。
適度にかき混ぜながら半熟になるタイミングで火から上げ、フライパンを持つ手首を軽く叩いて卵をくるんと丸めオムレツの形に整えすかさずチキンライスの上へ。
チキンライスに添えられたオムレツの端にペティナイフを切っ先を向ける。
緊張の一瞬、亜香里は口の中に溜まった唾を飲み込んで一息にオムレツの端から端までを切り裂くと切込みからペロンとめくれて大輪のタンポポが花開いた。
「おお~」
黎からも感嘆と拍手が湧いて、亜香里はふふんと得意げに鼻を鳴らした。
このタイプのオムライスは難しくて亜香里でさえ失敗することが多いのだが今回は上手くいった、会心の出来と言ってもいい。
「はいっ出来ましたよ。黎は先に食べちゃってよ、私も自分の分が出来たらすぐに行くから」
上機嫌で黎に完成したオムライスを渡しすぐに自分の分に取りかかる、今度はオムレツに火が通り過ぎて綺麗に開けなかったが、まぁ及第点。
出来上がった自分用のオムライスを持って行くと黎がオムライスに手を付けず座卓の前で待ってくれていた。
「先に食べててくれて良かったのに」
「こう言うのは全員揃ってからじゃないとさ」
常識が無いように見えて黎は案外こういう所はしっかりしている、それは育ちの良さから来る物なのかどうなのか。
亜香里が席に着き何時ものように二人で手を合わせ頂きますをして、黎が美味しいと言ってくれ亜香里もまんざらでもなくて。
そんないつも通りの朝食の時間が過ぎていって食べ終わった食器を下げて、さあ皿洗いでもしてしまおうかと亜香里が袖をまくったその時。
「……よければわたしがやろうか?」
絶対何かの聞き間違いだと思った、まさかそんなこと言われるなんて考えてもいなかったから。
「亜香里? どうかした」
「ハッ!」
もう一度声を掛けられて亜香里の意識が戻る、あまりの想定外に脳がエラーを起こしてフリーズしてしまった。
「あっごめん黎、今なにか言った? ぼーっとしてて聞いてなかったみたい」
「いやだから、よかったらわたしがやってもいいかと思って、皿洗い」
聞き間違いではなかった、まさかあの面倒くさがりな黎がそんなことを言ってくるだなんて今までそんなこと一度だって無かったのに。
一体どうして急にそんなことを? と反射的に聞きたい衝動に駆られるがぐっと堪える。
「分かった、それじゃあお願い」
こういうときは余計なことを言わず素直にお願いするのが一番だ。
折角やる気になってくれているのにあれこれ言って腰を折ってはやる気を削いでしまうことになりかねない、その辺は弟や妹の相手をしていてよく分かっている。
それにしても黎が家事の手伝いを申し出てくるなんて、やばい感動してちょっと泣きそうかもしれない。
子供の成長を喜ぶお母さんってこんな気持ちなのかなぁとそんなことを亜香里が考えていたその時である。
パリィィンともう聞いただけで食器が割れたなと確信できる音がして振り返ってみれば、黎の足下に割れた皿の破片が散らばっていた。
「ごめん、手が滑って」
「あっまってまってまって、手で拾おうとしない! 今ちりとり持ってくるからちょっとそこ動かないで」
亜香里はちょっとした掃除用に買ってあるちりとりと箒を使って割れた皿の欠片達を手早く片付け、こんなこともあろうかと取っておいた紙袋に入れて、最後に見えない破片が無いように掃除機を掛ける。
「はいこれで終わり、大丈夫怪我とかしてない?」
「うん、それは大丈夫だけど」
言われたとおりその場で動かず待っていた黎を改めて見るとその手は泡だらけで洗剤の使いすぎだろう事が見て取れた、大方それが原因で食器がすっぽ抜けたんだろう。
「……ごめん」
珍しくシュンとしている様子の黎はまるで怒られたハスキー犬みたいで、本人には悪いが少しきゅんとした。
「いいってやっちゃったもんは仕方ないし、黎に怪我が無かったならそれでいいよ」
こういうとき、失敗を責めてはいけないことも弟と妹から学んでいる。
ただ結局その後は心配なので食器を洗う黎を亜香里が最後まで監督することになった。
端から見ていても黎が手慣れていないことは明らかで正直何度もええい! 私がやる! と言いたくなったがそこは堪えハラハラしながらもどうにか最後まで見届けた。
子供の事を見守るお母さんってこんな気持ちなんだろうなと、亜香里は密かに自分を育ててくれた母を思い感謝した。
その頃はまだただの気まぐれだろうと思って対して気にもしていなかった、だけど今思えば異変はあの頃から始まっていたのかもしれない。




