第25話
しばらく水族館で過ごしたあと近くのファミレスで少し早めの夕食を食べた。
何が食べたいか聞くとやっぱり黎は何でも良いというのでチーズINハンバーグを二人分。
夕食を食べ終えらた後は来た道を辿りながら家に帰るだけ、その頃には辺りはすっかり暗くなっている。
電車にのって最寄り駅まで戻り商店街を抜けて河川敷まで戻ってくると、二人はどちらともなくまた手を繋いだ。
黎の手にはめられたシロツメクサの指輪はさすがに少しくたびれてしまっていて、時間の経過と今日の終わりを感じさせてうら寂しさを感じずにはいられない。
そんなことを思っていたからだろうか、帰路を歩く二人の歩調は、心なしか行きよりもゆっくりなものになっていた。
夜になって人気のない河川敷をゆっくりと何かを惜しむみたい歩く二人だったがふとその足が止まる。
土手の下で静かに流れる川、その一角でぼんやりと緑色の光が浮かぶ。
光はゆっくりと明滅し、付いたり消えたりを繰り返すその様子は何か会話をしている様にも見える。
蛍だ。そう呟いたのは果たしてどっちだったろうか?
ゲンジだかヘイケだか遠目では区別は付かないけれどこんなところで蛍が見れるなんて知らなかった、この辺の人達は皆知っているのだろうか? 少なくとも大学でそんな話を聞いたことはない。
もしかしたらこのことを知ってるのは私達ふたりだけだったりして、そう思うと夏の夜に浮かぶその光がなんだか特別なもののように思えてくる。
どれくらいの間ふたりでその光を眺めていただろうか? その内どちらともなく二人は歩き出して行きよりも長い時間を掛けて寮へと戻った。
帰った後は化粧を落としたりお風呂に入ったりしていたらすぐに寝る時間になった。
夏休みだし普段ならもう少し夜更かしもするけれど今日は出かけて体力を使ったからなのか、心地いい疲労感で既に薄らと眠気が襲ってきている。
軽くあくびをかみ殺しながら亜香里がベットで横になると、当たり前みたいに黎が潜り込んできた。
「ちょっと、黎?」
「大丈夫、今日はこれ以上は何もしないから」
「こっこれ以上ってなにさ! これ以上って!」
「さぁ? 何のことだと思ったの?」
いたずらっぽくそう言われてしまうと、これ以上を具体的に想像してしまった亜香里はもう何も言えなくなった。
少し前から黎がこうしてベットに潜り込んでくる様になった、夏だって言うのに暑苦しいが熱中症対策で夜もエアコンだけは付けてるのでなんとか許容できている。
「それにしたって黎だって暑くないの?」
「大丈夫、亜香里は温かいから」
「微妙に会話になってないよ、もう」
最初こそ心臓が飛び出るんじゃないかってくらいドキドキして寝るどころじゃなかったけれど、ようやく最近ちょっとなれてきた。
それに何より今は強烈な眠気で今にも意識が飛びそうだった、どうやら思っていた以上に疲れていたらしい。
でも、それはきっと今日がすっごく楽しかったからだよね。
亜香里は自然とそう思うことが出来た。
暑い日差しの中、川風を感じながらたわいない事を話しながらのんびり歩いた、くたびれてきていたシロツメクサの指輪は黎が捨てたくないというから水を張った小皿に活けておいた、きっと明日にはいくらか息を吹き返してくれているはずだ。
ブティックで多分一人だったら一生買うことも無かったと思うワンピースを買ってしまった、今後あれに袖を通す勇気がまた持てるかは分からないけれど今はクローゼットへ大事にしまってある。
最後には水族館でクラゲを見た、写真を撮っていたら軽く創作意欲が湧いてきてスケッチもした、今度描く絵の題材はあのクラゲにしよう。
どれもこれも特別大した事をしたわけでもないけれど、でもそのどれもが何時もより少しだけ特別でただ楽しかった。
「――亜香里は凄いね」
「んーどうした? また藪から棒に」
まどろみの中へ誘うような黎の静かな声に亜香里は寝ぼけ声でそう答える。
「ご飯が美味しいって気づけた、お酒に酔っ払ったり、今日だって楽しいって思えた。初めて会ったときだって……いつも亜香里はわたしが知らないわたしを見つけてくれる」
大げさだよ、私は別に何もしてないって。
そう返事をしたつもりだったけれど、それが言葉になっていたどうかは眠りの国に片足突っ込んだ亜香里には判断が付かなかった。
「ねぇ亜香里、聞いたよね? 私に出会うまでどうやって生きてきたのって?」
何の話だろうと思った、でもそう言えば水族館でそんなことを言ったような言ってないような――?
「実はわたしもね自分が今までどうやって生きてきたのか、何を考えて生きてきたのかあんまり思い出せないんだ、不思議だよね」
フフってくすぐったいみたいに黎が笑った声が聞こえた気がする、でもその頃には亜香里の意識はもう殆ど眠りに落ちようとしていた。
「おやすみ、亜香里」
一瞬暖かくて柔らかい感触が額に触れて、それを最後に亜香里の意識は完全に沈んでいった。
明日もその先もこんな日々がずっと続くんだと思ってた、少なくとも彼女が大学を卒業してこの部屋を出て行くその日が来るまでは。
無意識に何の根拠もなくそう信じてたまるで当たり前の事みたいに、だけど――。
そんな保証なんて最初からどこにも無かったんだと気がついたのは今よりもう少し後のことだった。




