第18話
すがめた目をゆっくり開き霞んでいた視界がクリアになると、そこにあったのは小さな神社だった。
いや、これは神社と言っていいものだろうか?
軽く屈まないとくぐれない様な鳥居を抜けた先には見下ろせる程小さな社、その前には申し訳程度の賽銭箱が置かれ、子供でも乗り越えられそうな石柵に囲われた境内は四畳くらいの広さしかない。
裏路地の奥、四方を建物に囲われた場所にぽつんと佇む小さな小さな神社。
ミスマッチに思えるその佇まいはむしろ強い神秘性を醸し出している様な気さえして、何か独特な雰囲気を放っている。
「不思議、どうしてこんなことになったんだろう? 元々この神社があってその周りに建物を建てたのかな?」
「さぁわたしには分からないけど、でも人は来てるみたいだね、お金入ってる」
大して興味もなさそうに賽銭箱を覗く黎につられて亜香里も中を覗いてみると、五円玉や十円玉が思いのほか沢山入っていた。
よくよく見れば神社自体もそれなりに綺麗で人が管理している気配を感じさせる、こんな場所にあるが案外地元の人達には愛されてるのかもしれない。
「ねぇせっかくだし私達もお参りしていこうよ」
「いいけど、お賽銭ないよ」
「それくらい私が出してあげます」
「あっそう、ありがと」
小銭入れから五円玉を黎に渡した後、自分の五円玉を取り出し賽銭箱に放り入れる。
二礼二拍手一礼、あれ? 最後も二礼だったかな? まあいいや少しくらい神様も多めに見てくれるだろう。
「亜香里は何をお願いしたの?」
しばらくなむなむとお祈りをして顔を上げると、先にお祈りを終えていた黎がそう聞いてくる。
「それは秘密、黎こそ何かお願いしたの」
「わたしは亜香里のお願いが叶いますようにって」
さらりとそんなことを言われて胸がきゅんとする、我ながらチョロすぎてちょっと悔しい。
「ありがとう……でもいいの? そんな事にお願い使っちゃって」
「別にいいよ、私は神様に叶えて欲しいお願いなんて思いつかなかったし、それじゃあそろそろ行こっか」
踵を返した黎に促されて亜香里もその後に続こうとするが途中で「あっ!」と思い立ってその足を止めた。
「ちょっと待って、写真撮りたい」
亜香里は思い出したように携帯を取り出してさっきまで二人でお参りをしていた神社へ向ける。
なるべく神社全体と周囲を囲む建物も一緒に写るように斜角を気にしながら何枚か写真を撮って確認する、うんっ良い感じ良い感じ。
「写真なんて撮ってどうするの?」
「この神社ってなんだか雰囲気良いでしょう、こう創作意欲が湧いて来ちゃって、ここを次に描く作品の題材にしようと思って」
「ふーん、亜香里は本当に絵を描くことが好きなんだね」
「うん、大好き!」
つい反射でそう答えてしまってすぐ亜香里の頬は熱くなった。
別に変な事を言ったわけでは無いのだけれど、我ながら屈託の無いその返事はなんだか子供っぽく聞こえて恥ずかしい。
照れくさくてもだえる亜香里を見て黎がふふっと目を細めながら小さく笑う。
まるで微笑ましい物でも見ている様なその笑い方に亜香里はますます恥ずかしくなってくるがその時、黎がポロリと呟いた。
「そっか……羨ましいな」
それは亜香里に聞かせようと思った言葉じゃなかったんだろう、ふと心の中に浮かんできて溢れてしまった様な。
だからこそきっとそれは偽りの無い本心で、亜香里にはその何気ない一言がひどく気になった。
「ねぇ黎、もしかして彫刻を作るのそんなに好きじゃ無いの?」
亜香里が聞くと黎はそんなこと聞かれるとも思っていなかった様なきょとんとした顔をした。
「うん? どうしたのさ藪から棒に」
「前にさ、別に彫刻が好きな訳じゃ無いって言ってたでしょう?」
「えっ、言ったけそんなこと?」
「言ってたのっ!」
「覚えてないなぁ」
また黎はそんなことを言う。
黎にとってあの時の言葉は大した意味は無くて、取るに足りない一言に過ぎなかったんだろう。
でも、亜香里にとってはそうじゃなかった。
「あれを聞いたとき思ったの、もしかして黎は彫刻を作ることが嫌なのかなって。だとしたら……少し寂しいなって」
「寂しい? どうして亜香里が寂しいの?」
「だってあれだけすごい作品を作れて、周りの人達からも評価されてみとめらて、それに彫刻を彫る黎はあんなに――」
――綺麗なのに。
最後の言葉は口に出すには恥ずかしくて胸の奥にある宝箱へしまう。
どうして黎の彫刻を好きじゃないと言う言葉があんなにも気になったのか、今ようやく解った。
あの日アトリエで見た彫刻を作る黎の姿は亜香里にとってとても綺麗で鮮烈で、忘れる事のできない大切な物だった。
だから彫刻を好きでは無いと言われたあの時、その大切な物を黎本人から否定されてしまったような気がして嫌だったのだ。
我ながら身勝手だなと思わず苦笑が漏れるが、でもこればっかりは亜香里自身にもどうする事もできない。
「……別に彫刻が嫌いな訳じゃ無いよ。でも好きかって言われたらそれも違うんだ」
言葉の意味がよく分からず、亜香里は怪訝な顔で首をひねる。
亜香里が絵を描くのは絵が好きだからだ。
絵が好きだからもっと上手くなりたいと思うし、上手くなりたいと思ったから浪人してまで美術大学にも入学した。
そんな亜香里には黎が好きでも嫌いでも無いのに彫刻を作り続けるその理由を想像することができない。
「……初めて会ったとき、亜香里が私になんて言ったか覚えてる」
「初めて会ったときって、えっと」
「まるで彫刻みたい、わたしを見て亜香里はそう言ったんだよ」
「えっ……あーそうだったっけ? 覚えてないなー」
「なんだ、亜香里だってわたしと同じじゃない」
「あはは、ごめん」
本当の事を言えば亜香里は覚えていた、覚えていたができることなら忘れていて欲しい恥ずか死エピソードなので忘れたふりをした。
だけど黎はその時の事をまるで懐かしい思い出みたいに言いながら、四方を建物に切り取られた空を見上げまぶしそうに目を細めた。
「あの時ね、なんて言えばいいかな……すごくしっくりきたんだ。亜香里にわたしが彫刻みたいだって言われて、ああその通りだなって長年胸に掛かってた霧が晴れたみたいな気分だった」
「いや、よく分かんないけど、さすがにそれはちょっと大げさすぎない?」
ただの失言でしかない一言になんだか壮大な意味を見いだされてしまっている様な気がして戦々恐々とする亜香里だったが、黎は見上げていた顔を降ろして静かに首を横に振る。
「大げさなんかじゃ無いよ。【余計なものを取り除いていくことにより、彫刻は完成していく】覚えてる?」
「ミケランジェロの言葉、だったっけ?」
「そっ、何の変哲もない石や木から余計な物をそぎ落としてそぎ落として、最後に残った物が彫刻になる、わたしもそれと同じなんだ」
「……えっと、つまりどういうこと?」
言葉の意味を掴みきれなくて亜香里が聞き返して黎はそれにさらりと答えた。
「わたしはね【希代の天才彫刻家、春夏冬黎】それ以外の余計な物を全部取り除いて産まれてきたの。皆は綺麗綺麗、凄い凄いって褒めてくれるけど、それはそれ以外の物を全部を取り除いて綺麗な物だけ残したから、だからわたしという人間は彫刻を作る以外の価値は何もない」
聞いたん瞬間、そんなことはないと亜香里は反射的に言いたくなった、でも言えなかった。
だって黎の表情には憂いも悲しみも無くて、そこに居たのはただただいつも通りの彼女だったから。
自分自身の事を悲観して自虐している訳じゃ無いただただ事実を口にしているだけ、それを誰かに否定して欲しいわけでもましてや励まして欲しいなんて微塵も思っていない、それが分かったから亜香里は口を噤むしかなかった。
「わたしが彫刻を作るのは好きとか嫌いとかじゃなくてただそれしか無いから、それが理由。どう? 亜香里はこれで納得してくれる?」
黎の問い掛けに亜香里は肯定するでも否定するでも無く曖昧にうつむいて目をそらして。
「……もしも、もしもだよ? 何かあって彫刻を作ることができなくなったら黎はどうするの?」
そう聞くと黎は少しだけ考えて。
「さあ? 死ぬんじゃないかなその時は」
さらりと当然の事みたいに黎はそう答えた。




