第15話
「うん、まぁこんな感じかな」
最後の一筆を入れて仕上がった絵を眺めながら、亜香里は頷いて見せた。
絵を完成させた達成感と開放感に自然と気分が高揚する、だけど浸ってられるのは少しの間だけだ。
こうやって絵を眺めていると、あそこはやっぱりもう少し暗めの色にするべきだったかな? あっちは少しバランスがおかしいような。
ああすれば良かったこうすれば良かったと、たらればがポンポンと浮かんでついつい手を加えたくなる。
どうして完成してから気がつくのかなと毎度思うが、もうこれは毎度の事なのできっとどうしようもないことなんだろう。
これ以上見ていたら止まらなくなりそうなのでいったん書き上げた絵から目をそらして片付けを始める、どのみち絵の具が乾かない事にはこれ以上手の加えようがない。
これが終わったら先生に講評お願いしに行こうと亜香里が考えていた時。
「斉藤さん完成したの?」
そう声を掛けてきたのは百六十ちょっとの亜香里とさほど変わらないほど小柄な、一見すると少年の様にさえ見える童顔な男性だった。
彼は油絵科に所属する三年生で亜香里からすれば二年先輩、名前は道長大介という。
こんななりで大介なんて両親も大それた名前を付けてくれたもんだよね、というのは大学見学の際案内スタッフをしていた道長が自己紹介の時に言っていた自虐ネタだ。
見学の時から人当たりの良かった彼は、入学した後も時折こうして声を掛けてくれる。
「たった今できたところなんです。道長さんはこれからですか? 場所開けますよ」
「ああいやいや、俺もちょうど帰ろうかと思ってた所だから。それにしてももう二作目か、まだ入学して半年も経ってないのに佐藤さんは筆が速いね、これあっちにある河川敷?」
「はい、前見たとき菜の花が綺麗に咲いていたので」
「確かに春先ごろは特に綺麗だよねあそこ、川沿い一面鮮やかな黄色がバァーってさ。通学の時とかつい見ちゃうもん俺」
「ですよね。でもこうして完成させてみるとダメですね、もっと綺麗に書いてあげられれば良かったんですけど」
「そうかな? よく書けてると思うけど、俺は好きだよ佐藤さんの描く絵、なんというか良い意味で素朴な感じがしてさ」
そうですか? なんて言いながらこそばゆくてついえへへと笑みが零れる、社交辞令だとしても自分の書いた絵を褒められるのはやっぱり嬉しい。
「前から思ってたけど佐藤さんってゴッホが好きだよね」
「えっ、まぁはい実は。分かっちゃいますか?」
「分かるよ、絵の具の乗せ方とか構図とかなんとなく似てるなって、好きな絵とかはあるの?」
「私的には『アルルの跳ね橋』が好きで」
「へぇまた渋いね。ゴッホと言えばひまわりとか自画像辺りが有名所だけど」
「好きなんです風景画。当時の空気感とかそこに居る人達の息づかいとか、作者がその景色を見て感じた物を自分も感じられる気がして。特にアルルの跳ね橋は空の青が綺麗で」
「なるほど、だからよく風景画を書いてるんだね。他のは描いたりしないの? 例えば人物画とか難しいけど結構楽しいよ」
「えっと、実を言うとあんまり人物画は得意じゃないんです」
昔から絵を描くのが好きだった、でも人物画だけはどうにもしっくりきたことがない。
学校の授業で描いたときはよく似てると褒められたりもした、でも亜香里にとってそれは似顔絵以上でも以下でもない中途半端なものでしかなかった。
人物画にしても似顔絵にしても自分の描いたものはただ似ているというだけで絵としての魅力という物をまるで感じない、これならスマホで写真を撮った方がずっと綺麗だし楽だとさえ思えてしまう。
だから亜香里は人物画を描くのが苦手だ描いていて楽しく無い、以前黎のアトリエでやったように手慰み程度に描くことはあっても作品として描こうとはあまり思わない。
「ふーんそっか、でも苦手だからって書かないのは作品の幅を狭めちゃうかもしれないよ。斉藤さんはまだ一年なんだし思い切って色々描いてみても良いんじゃない? ――なんて、ごめんちょと説教臭かったかな?」
やや強引に話を絞めながら道長が照れくさそうに笑う、そうしていると彼は本当に少年の様でうっかり年上の先輩であることを忘れそうになる。
「いえいえそんなことはないですよ。ご指導ご鞭撻の程ありがとうございました先輩、精進いたします」
亜香里がちょっとふざけた調子で大仰に言うと、道長もそれに併せてわざとらしく腕を組み「うむ、励めよ後輩」とこれまた大仰に頷いて見せる、ノリの良い先輩だ。
「それじゃ俺はこの辺で。片付けの邪魔してごめんね」
「いいえ、そんなことは全然……あの」
立ち去ろうとしていた道長を引き留め、少し逡巡した後に亜香里は思いきって尋ねた。
「道長さんは絵を描くのは好きですか?」
そう聞くと道長は不思議そうな顔をした、それはそうだろうと聞いた亜香里自身も思う、突然こんなことを聞かれたら自分だってきっと同じ顔をする。
ただそれでも道長は大して怪訝に思う様子もなく質問に答えてくれた。
「ああ好きだよ。というかじゃなきゃ美大には来ないって」
「ですよね、普通そうですよね」
「まぁ皆が皆そうじゃないかもしれないけどね、それがどうかしたの? 何か悩みがあるなら聞くよ?」
割と本気で心配された様子で聞かれて、亜香里は慌てて顔の前で手をぶんぶん振った。
「いやいや悩みなんてそんな大それた物じゃないんです、なんとなく気になっただけで。気にしないでください」
「そっか、それなら良いけど。でももし何かあったなら思いきって話した方が良いかもしれないよ、俺じゃなくても良いからさ」
それじゃと道長は小さく手を振って今も絵を描いている生徒達の間を縫うようにして共同アトリエを後にしていった、亜香里も改めて画材を片付けて帰るための準備を始める。
別に彫刻が好きな訳でもないからさ。
どうして黎はあんなことを言ったんだろう?
それが分かったからって何かあるわけでもないはずなのに、亜香里にはどうしてもあの時の言葉が気になってしょうがなかった。




