第14話
朝、亜香里が玄関のポストを確認すると物珍しい手紙が一通届いてた。
古風にも赤い封蝋で閉じられた封筒には英語とも違う外国の文字が書かれていて、なんだかすごくおしゃれな気配がする。
「国際便かな? 初めて見た」
意味も無くひっくり返したりしながらその手紙をしげしげと眺める。
言うまでも無いことだが亜香里にははるばる海を越えて手紙が送られて来る様な心当たりはない、となればこれは黎へ当てたものだろう。
しかし当の本人と言えば時計はもう八時を回っているというのに起きる気配すら見せない。
「黎、これ。何か手紙が届いているよ」
「うー? にゃううにゃ」
謎の手紙を手に部屋へと戻り声を掛けるが寝ぼけ声で何やら人の言葉ではない返事を返される。
「あーもう、ムニャムニャ言ってないで起きなさいッ!」
亜香里が勢いよくくるまっていたタオルケットを引っぺがしてやるとワイシャツ一枚の姿で赤ん坊か何かの様に丸まって眠る黎の姿が露になる、結構あられもない姿をしているのにだらしなさより艶っぽさの方が前面に出るのだから美人は得だ。
「……あと五分ぅ」
「はぁぁ、まったくしょうがないんだから」
ベタベタな寝言にやれやれとため息を一つ付きながら亜香里は黎を起こすことを諦めて台所へ向かい朝食の準備に取りかかる。
今日の献立はハムエッグに余った野菜の切れ端を使ったスープと昨日炊いたご飯、友人からは目玉焼きにはトーストだろと突っ込まれるけれど亜香里は断然白米派だ。
まずはスープの準備、にんじんの皮に中途半端に残ったジャガイモ、キャベツの芯は硬いので細かく刻んで固形コンソメと一緒に水を張った鍋に入れ中火に掛け、その間に最近いい感じに育ってきた鉄フライパンに油を引いて加熱する。
フライパンが十分に暖まったらハムを乗せその上に卵を落として目玉焼きを作りながら沸騰してきた鍋の火を弱火に落とすとふわりと食欲をそそる香りが鼻孔をくすぐり、それに誘われるよう起き出した寝ぼすけがひょいっと亜香里の肩から手元をのぞき込んできた。
「おはよう、何作ってるの?」
頬と頬が触れそうな至近距離、囁かれる寝起き特有のトロンとした声に耳を撫でられて心臓がドキリと小さく跳ねる。
「ハムエッグと野菜スープ。もうすぐできるからその間に着替えてきたら?」
「ん~」
まだ寝ぼけてるのか返事になってない返事をしたかと思ったら耳元に軽いキスをされた。
「そうする」
そう言って黎がクローゼットの方へ歩いて行く音を聞ききながら、亜香里は驚きと緊張で強張っていた体の力を抜いた。
前から何の気なしにスキンシップを取るのが好きだったけれど、あの日以来その頻度も密度も増した様な気がする。
さっきみたいな体を密着させたり軽いキスなんてしょっちゅうだし、軽くないのも時々、その先だって偶に……。
別に嫌なわけじゃない、嫌なわけじゃないけれど――。
「これじゃあこっちの身が持たないよ」
いつか慣れる日が来るのかな? そんなことを考えながら熱くなってしまった顔を仰いで冷ましてから、亜香里はできあがった料理を手早く盛り付け部屋の中央にある座卓に並べると着替えを終えた黎がやってきて席に着いた。
格好はさっきとは別のワイシャツとジーンズという無難なコーディネート、というより黎はこれ以外の服を持っていない。
いつも同じ種類の服を数着着回して身につけるその代わり映えのなさは、今時漫画やアニメのキャラだってもう少し私服のバリエーションがあるだろと突っ込みたくなる。
どうして他の服を買わないのかと聞いたら、いちいちコーディネートを考えるのが面倒臭いと言われた、黎の辞書におしゃれという文字はない。
二人で座卓を挟んで座り手を合わせて頂きますをする、元々は亜香里しかやっていなかったが気づいたら黎も一緒に手を合わせるようになっていた。
黎がゆっくりとした動作でお椀をとってスープを一口啜り、ほうと息をつく。
「……美味しい」
その染み入るような一言に亜香里もホッと胸をなで下ろした。
おしゃべりな方ではない黎は食事中も口数は決して多くないが、亜香里と一緒にご飯を食べる様になってからその一言だけは必ず口にする。
それ以上何かを言うわけではないけれど、食事前に手を合わせるのも含めて黎なりに亜香里へ感謝を示してるのかもしれない。
――そういえば。
「黎って何か嫌いな食べ物とかないの」
「別にないよ。どうして?」
「いや、そういえばそういう事言われたことが無いなって。嫌いなものがないなら好きなものは? 今度作ってあげる」
「好きなもの、も別に無いなー」
「え~嘘だぁ、何か一つくらいあるでしょう?」
「そんなこと言われても今までそんなこと考えた事も無かったし……強いて言うなら」
そう言って黎は亜香里の事を見ながら何の気なしといった顔で。
「亜香里の作ってくれるごはんなら何でも美味しい」
そんな事をしれっと簡単に言ってくるのだ、まったく突然言われる方の身にもなってみてほしい。
「それは……どうも、お粗末様です」
そんなことをごにょごにょ言ってスープを啜り、亜香里は簡単に撃墜されてしまうのだ。
それ以降は特に何か話すわけでもない静かな食卓が続き、やがて食事を食べ終えごちそうさまをしたところで亜香里はふとあの手紙の事を思い出した。
「そうだこれ、黎のでしょう?」
「ん? あぁPapyからか」
「ぱぴ?」
「おじいちゃんのこと」
黎のおじいちゃんと言われて、亜香里は思わずハッとした気分になる。
黎の祖父が著名なフランス人彫刻家であることは大学内では有名で、ファンだという同級生も何人か知っている。
彫刻にはそれほど明るくない亜香里ではあったが、そんな有名人から送られたと言うだけで黎が持っているその手紙がとても価値がある物に見えてくる。
だけど黎はそんな手紙を少し眺めた後、読まずにそのままポイッとゴミ箱へ捨ててしまった。
「えっ、いいの? せっかくおじいちゃんからの手紙なのに」
「いい、読まなくても内容分かるから。どうせまたこっちに来いって書いてある決まってる」
「来いって、フランスに?」
「そう。彫刻家として生きていくなら色々教えるからこっちに居を移せって、もううるさくってさ」
うんざりした様子で黎はそう言うが、亜香里としては彼女の祖父が言っていることは至極真っ当な事に思えた。
業界でも評価されている芸術家の側で教えを請えるなんて環境としては最高だろうし、打算的だが祖父が築いた人脈や実績は黎の芸術家としての活動を広げる事にも役立つだろう。
人によっては羨望の的だろうそんな環境を蹴るだなんて、ひょっとしておじいちゃんと仲が悪いのかな? なんて思っていたら。
「あっ一応言っておくくけど、パピと仲が悪い訳じゃないんだよ、彫刻の彫り方とか教えてもらった師匠みたいな人だし、むしろ仲は良い方なんじゃないかな?」
と、不仲説は聞くまでもなく黎の方から否定されてしまった。
でもそれなら、なおさらどうして行きたくないなんて言うのだろう? そう亜香里が疑問に思っていると黎が意外な、いやむしろ分かりきっていた理由を口にする。
「だって面倒臭いからさ」
あんまりに身も蓋もない理由に思わずカクンッと肩が傾ぐ。
「行くだけでもパスポートとか色々手続きあるのにその上向こうに住むだなんて事になったらさー、考えたくもない」
……こんなことを言われてると知ったら海を越えたフランスの地に居るというおじいちゃんは何を思うのだろう、泣くんじゃないだろうか?
「黎がそう言うなら私から何も言えないけどさ。でもちょっともったいない気がしちゃうな~」
「別にいいよ。彫刻が上手くなりたいとか芸術家として成功したいとか興味ないし」
「そうなの?」
「そうなの。別にわたしは彫刻が好きな訳でもないからさ」
「え? それって――」
どういうこと? そう聞く前に黎は席を立ってしまった。
一度タイミングを逃すとわざわざ話を蒸し返してまで聞く空気でもなくて、結局その真意を聞くことは出来ずじまいだった。




