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異界の窯焚き ~窯業作業者は、二つの世界を還す~  作者: もしものべりすと


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第四章 子爵領の窯、王都の風

城下までは、馬車で三日の道のりだった。


 颯太は、リーラに別れを告げ、ガランの肩を叩いて、領主の使いの馬車に乗った。リーラは泣かなかった。代わりに、彼女は颯太の最初の青の鉢を、両手でしっかりと抱えていた。鉢は、彼女の家の戸口の棚に置かれることになっていた。


 馬車の振動は、思っていたよりも荒かった。轍の深い街道を、車輪は不規則に跳ねた。颯太は、自分の腰を覆う毛織物の毛布の下で、祖父の手帳を握りしめていた。窓の外では、低い丘陵が、午後の遅い陽にゆっくりと暮れていった。


 子爵領の主邑、ヴィエルセンの街は、丘の中腹に建つ石組みの城下町だった。


 城壁は高くはないが、石が古かった。城壁の根元には、年月を経た苔と、苔の上に積もった鳩の糞と、その上にまた苔とが、層になっていた。颯太の鼻に、街の匂いが届いた。鍛冶屋の煙、家畜の糞、人の汗、それから、井戸水の匂いに混じった、わずかな腐敗の気配。


 領主館は、街の中心の小さな広場に面していた。


 石造りの三階建てで、玄関の柱頭にひとつだけ、子爵家の紋章が彫られていた。子爵エディン・カラル・ヴィエルセンは、五十がらみの痩せた男だった。額が広く、目尻に深い皺が刻まれている。体つきには戦士の名残があったが、いまの彼の生業は、明らかに地方行政官のそれだった。


 子爵は、颯太を最初の対面で長く立たせなかった。


「キリュウ・ソータ」


 子爵は、颯太の名を、丁寧に発音した。それから、革張りの椅子の正面に置かれた小さな木の腰掛けを示した。颯太は、頭を下げて、そこに座った。


「儂が見たいのは、お前の手だ」


 子爵は、そう言った。


「お前の手と、お前の窯だ。儂は、お前の作った鉢を、まだ手にしていない。だが、煙の匂いを嗅いだ。儂の鼻は、もうあの匂いを忘れていた」


 子爵は、子供の頃、父親に連れられて、燠村よりさらに北の山中の窯場を訪ねたことがあると、続けて語った。父親はそこで、奇跡のような色の壺を一個、買ってきた。けれどその壺は、家督相続の混乱の中で、いつのまにか屋敷から消えた。子爵自身、長くその色のことを忘れて生きてきた。


「儂は、お前にこの街の南側の、廃墟になった工房を貸そう」


 子爵は、淡々と続けた。


「窯の修復に必要な石工と、石灰、薪、土。すべてを儂が用意する。職人を雇う費用も、しばらくは儂が出す。だが、見返りに、ひとつだけ条件がある」


 颯太は、無言で子爵の目を見返した。


「お前の窯から最初に出る三十個を、儂のものにする」


 颯太は、しばらく考えた。


 器の所有権の話だった。彼の前職の感覚で言えば、それは妥当な、そしてむしろ寛大な契約だった。けれども、彼の頭の中では、その三十個のひとつが、いずれリーラの家の戸口に届けられるべきだ、という別の声も鳴っていた。


「最初の三十個のうち、一個は」


 颯太は、口を開いた。


「燠村の、リーラという娘の家に、贈らせてください」


 子爵の片方の眉が、わずかに上がった。


 しばらくの間、子爵は颯太を眺めていた。やがて、唇の端を、ほんのわずかに緩めた。


「お前さんは、商人の交渉ではなく、職人の交渉をするな」


 子爵はそう言って、頷いた。


「いいだろう。一個は、その娘に。だが、儂が選ぶ」


 颯太は、頭を下げた。




 工房の修復には、三月かかった。


 石工長のオルバスは、髪の半分が白く、首から腰までびっしりと古傷の入った男だった。最初、颯太の指図を、オルバスは半信半疑で聞いていた。半信半疑のまま、それでも彼は石を積み上げた。三月の間に、半信半疑は、半分の信に、それから八分の信に変わった。


 颯太がオルバスに最初に頼んだのは、登り窯の築造ではなく、耐火煉瓦の試作だった。


 粘土に、砂と、長石風の鉱石と、わずかな白い土を混ぜる。これを薄い直方体に成形して、低温でゆっくりと焼く。一度焼いたものを砕いて、骨材として、新しい粘土に再び混ぜる。これを繰り返すことで、窯の内側に積む煉瓦は、千度を超える熱に耐え、かつ、薪の火を均一に伝える。颯太の前職の現場では、規格品を発注すれば数日で届いたものを、彼はここで一から作り出した。


 オルバスは、最初の焼き上がりの煉瓦を片手で持ち、もう片方の手で叩いて音を確かめた。


「乾いた、高い音だ」


 オルバスは、低い声で唸った。


「俺は、こいつを城壁の補修に使いたい。だが、お前の窯のために、まずはこいつを積む」


 オルバスは、それからは、何も疑わなかった。


 街の中央広場の井戸端で、女たちが洗濯をしながら、新しい工房の煙の匂いについて噂をした。隣の谷から運ばれてきた青の鉢の話は、もうこの城下に届いていた。市場では、見栄えのする土産物を求める旅商人が、子爵家の侍従に頭を下げに来ていた。颯太の名は、まだその誰の口にも乗っていなかった。乗っていない、ということが、颯太には奇妙に心地よかった。


 工房の前を通る教会の若い司祭は、最初、煙の匂いに眉をひそめていた。彼は颯太の前で堂々と聖印を結び、煙の中に異教の神の気配を嗅ぎつけたとでも言いたげだった。けれど、二月もすると、司祭は工房の戸口の脇に、小さな素焼きの聖水盤を欲しがるようになった。颯太は黙ってひとつ作って、寄進した。司祭はそれ以来、煙の匂いに眉をひそめなくなった。


 子爵領の町には、町なりの秩序があった。


 颯太は、その秩序の縁に、薄く線を引くように、自分の場所を作っていた。




 工房に、若者が集まり始めた。


 最初は、街の貧しい家の三男坊たち。次に、近隣の村から、口づてに噂を聞きつけた少年たち。颯太は、彼らに何かを「教えた」覚えはなかった。ただ、自分の手の動きを、隠さなかった。彼らは見ていた。見て、真似た。真似て、失敗した。失敗した時、颯太は怒鳴らなかった。怒鳴る代わりに、もう一度、自分の手を、彼らの目の前で動かした。


「火を見ろ」


 彼が、若い者たちに口にする言葉は、ほぼそれひとつだった。


「色が、違う」


 四人いた弟子のうち、一人は、街の旧家から落ちぶれた家系の少年だった。マルディ。十六歳。痩せていて、目だけが大きい。粘土の精製に、誰よりも丁寧な手を持っていた。もう一人、ターナという十八歳の少女は、孤児院の出身だった。腕が太く、土練りに向いていた。三人目のクェン、四人目のホブス。誰一人、生まれの良い者はいなかった。颯太は、その編成を、自分でも気に入っていた。


 工房の中で、颯太は、誰よりも先に来て、誰よりも遅く帰った。


 彼は誰にも、自分の前世の話をしなかった。


 話す気もなかった。


 話して聞かせるほど、誇れる前世ではなかった。


 夜更け、四人の弟子が交代で残るようになった。火を絶やさないためだった。颯太はその当番表を、勝手に作って勝手に運用する若者たちの動きを、戸口の影から眺めていた。マルディが日誌をつけ始めた。粘土の含水率、薪の太さ、煙の色、外気温。彼の前職の生産日報と、ほぼ同じ書式を、誰にも教わらず、彼らは自分たちで再発明した。颯太は、そのことを、彼らに言わなかった。


 ある夕方、子爵が予告もなく工房を訪れた。


 子爵は、若い弟子たちが土を練っているのを、しばらく黙って見ていた。それから、颯太の隣に立って、低く呟いた。


「儂は、かつて戦場で、男たちを動かす術を学んだ」


 子爵は、肘を作業台にもたせかけた。


「怒鳴る術、報いる術、罰する術。そのどれも、お前の工房では使われていない。それなのに、ここでは、若い者が自分から動く。儂は、これを羨ましいと思う」


 颯太は、軽く頭を下げた。


「私は、ただ、自分の手が動くのを、隠していないだけです」


「それが、術だ」


 子爵は、そう言って、笑いとも頷きともつかない短い息を吐いた。


 その夕方、颯太は、自分の前職の上司の顔を、ふと一度だけ思い出した。怒鳴る術と、報いる術と、罰する術。蓮見が使っていたのは、そのうちのどれだったか。颯太は、そのことを、深くは追わなかった。追う気にも、もうなれなかった。




 雨の多い季節の終わりに、街に、ひとりの旅人が訪れた。


 その朝、颯太は工房の裏手の窯場で、新しい登り窯の煙突の高さを測っていた。煙突は、子爵領で初めての本格的な五段式の登り窯のものだった。煙の流れを、上の段ほど絞っていく構造で、各段ごとに焼成温度を変えられる。颯太の前職でも、これほどの規模の登り窯は、もう国内には数えるほどしかなかった。


 測量の途中、街の北門の方から、数頭の馬の蹄の音が立った。颯太はその音を、ただの旅商の到着だと思った。違ったのは、子爵家の侍従が、汗だくで工房まで走ってきたことだった。


「キリュウ殿」


 侍従は、息を切らしながら頭を下げた。


「至急、御館まで」


 颯太は、煙突の上の梯子から、ゆっくりと地面に降りた。


 降りた足元の砂利に、気がつくと、わずかに自分の靴跡のかたちで、土が凹んでいた。


 濡れた長旅の外套を脱ぐと、その下から現れたのは、まだ二十歳に満たないと見える、背の高い少女だった。亜麻色とも金色ともつかない髪を、後ろで一つに束ねていた。瞳は、薄い水色。顔つきには、貴族の育ちを隠しきれない上品さと、それから、ひとつ何かを見ぬいてやろうとする、強い意思の光があった。


 旅人は、子爵には事前の連絡を入れていなかった。


 従者をひとりだけ連れていた。従者は、随員というよりは、護衛のようにも見えた。


 子爵は、彼女の顔を見るなり、低く跪いた。


 颯太は、何が起きているのか、その場では分からなかった。


 彼に、その正体が伝えられたのは、その日の夕方だった。子爵自らが、工房の戸口を叩いて、颯太を館に連れ戻した。館の客間の前で、子爵は颯太の耳元に小さく囁いた。


「王女殿下だ。第二王女、フィリス・ヴィエンナ・アルスティア。炎神メリオラの巫女でもあらせられる」


 颯太は、その情報を、いま受け取った形のまま、客間の中に持ち込んだ。


 客間の窓際に、その王女は座っていた。


 颯太の作った青の鉢が、彼女の前のテーブルに置かれていた。


 子爵が、最初の三十個のうちの一個を、王都へ献上品として送っていたのだった。


 王女は、颯太の足音に気づいて、ゆっくりと顔を上げた。


 水色の瞳が、颯太を見た。


 颯太は、その瞳の中に、自分でも理由のつかない種類の親しみを、ほんの一瞬だけ感じた。誰かに似ている、というのではない。むしろ、自分が長く忘れていた何かを、目の前の他人が代わりに覚えていてくれた、というような感覚だった。


「お顔を上げてください」


 彼女は、低く、それでいて澄んだ声で言った。


「あなたが、この鉢を作った方ですね」


 颯太は、頭を下げたまま頷いた。


 王女は、鉢の縁に、長く白い指を一本だけ触れさせた。


「私は、この色を知っています」


 彼女は、静かに続けた。


「古い書物の挿絵で、ただ一度だけ、見ました。文献の名は、『継ぎ手の灰』。失われたとされている書です」


 颯太は、頭を上げた。


 王女の水色の瞳には、薄く、涙が滲んでいた。


 彼女は、それを拭わなかった。


「キリュウ・ソータ」


 王女は、彼の名を、子爵から教わったままの発音で、丁寧に呼んだ。


「あなたを、王都へお招きしたいのです。ですが、命令としてではなく、お願いとして」


 颯太は、自分の唇が、少し乾いているのに気づいた。


 彼は、答える前に、もう一度、自分の手のひらを、無意識に握り直した。


 手のひらは、まだ、土の感触を覚えていた。


「殿下」


 ようやく出した自分の声が、思いのほか落ち着いて聞こえたことに、彼自身が驚いた。


「私は、職人です。職人は、招かれた窯の前でしか、答えを出せません」


 王女の唇が、わずかに動いた。


 そこに浮かんだのは、貴人らしい儀礼の微笑ではなかった。もっと素朴な、ほんの一瞬、年相応の少女に戻ったような笑みだった。


「では、王都に窯を用意します」


 彼女は、即答した。


「あなたの手が、答えを出せる場所を、私が用意します」


 颯太は、頭を下げた。


 下げながら、不思議と、心拍がいくらか落ち着いていた。命令ではなく、お願いとして、と王女は言った。前職の彼が知っていた指示の仕方とは、まるで違う組み立てだった。命令ではないという形で命令する人々のなかで、十二年、彼は擦り減ってきた。お願いとしてされたお願いが、これほどしっかり背中を支えてくれるとは、彼は知らなかった。


 窓の外で、雨季の最後の細い雨が、石畳を黒く濡らしていた。


 颯太の右手の小指の根元の、十一歳の夏の火傷の跡が、なぜかその時、わずかに、痒んだ。


 彼は、それを撫でなかった。


 撫でずに、ただ、王女の方へ、もう一度頭を下げた。

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