第195話 プロトタイプ
御前会議から一か月が経過した。女王の執務室でミレーヌ・グラッセは黒檀の机で書類に目を通していた。
対面に立つのは、宰相のレベッカ・リカールだ。彼女は淀みない口調で、新たに接収した広大な領土に対する内政案を読み上げている。
「陛下。旧体制下で放置されていた平民たちに対しても、貴族の子女のように教育機関を設け、広く教育を施してはいかがでしょうか。識字率の向上は、国家全体の生産性を引き上げる基盤となります」
レベッカの進言は、国力を底上げするための極めて真っ当な提案だった。しかし、ミレーヌは書類から視線を上げることなく、冷徹な声で即答した。
「読み書きと算術のみよ」
想定外の極端な限定に、完璧な実務で主君を支えるレベッカでさえ、わずかに眉をひそめた。
「読み書きと算術のみ、ですか……歴史や芸術、哲学などは教えなくてよろしいので?」
「不要よ」
ミレーヌは、凍てつくような視線をレベッカに突き刺した。
(人民に高度な教育を施すメリットなど、統治者側には一切ないわ)
ミレーヌは、為政者としての冷酷な損得勘定を瞬時に弾き出す。平民に歴史を学ばせれば、前世における暴動や革命の事例から『王権がどうやって倒されるか』という反逆のルーツを知ってしまう。芸術や哲学に触れさせれば、自己の存在意義や『自分自身の権利や自由』という、統治には全く不要な幻想を抱き始める。
余計な知恵をつけた人民ほど、組織にとって扱いづらいものはない。
「私たちが民に求めるのは、国が定めた法律や施政者の告知を正確に読んで理解し、言われた通りに計算して納税する能力だけよ。最低限の教育のみを与え、従順で扱いやすい国民を育てる。これが我が国の教育の大原則よ」
温度を感じさせない声で言い切る主君の言葉に、レベッカは背筋を正し「承知いたしました」と即答した。
「ただし」と、ミレーヌは言葉を継ぐ。
「例外は作るわ。全国から特に優秀な子供だけを選抜し、徹底的なエリート教育を施す機関を王都に設立しなさい。彼らには高度な知識を与え、私に絶対の忠誠を誓う優秀な官僚として組み込むのよ。それと、軍の内部にも、戦術理解や知能の優れた兵士を集めたエリート機関を設けなさい」
統治システムを回すための『手足』と、それを管理する『頭脳』を完全に分断する。ミレーヌの合理的で冷酷な設計図に、レベッカは深く頷いた。
「手配いたします。……ところで陛下、以前ご指示のあった『後込め銃』の件ですが」
「どうなってるの?」
「先日、試作品がようやく完成いたしました。これより実用試験に移るとの報告が上がっております」
その報告に、ミレーヌは満足げに微かな笑みを浮かべた。戦場のあり方を一変させる兵器の実用化が、目前に迫っていた。
◆◇◆◇
王都郊外の軍司令部。冷たい鉄と微かな硝煙の匂いが染み付いた一室で、大将ジャック・レルネは重厚な木箱の蓋を開けた。
彼が呼び出したのは、ミレーヌ直轄軍の補佐役を務めるクロヴィス少将と、アルノーの副官であるエディ・ベケ少佐の二人だ。ギルディン都市連邦の攻略に志願したゲオルクはすでに出征しており、彼の元に配属された元ヴィスタ帝国特務部隊のアダリーもまた帯同しているため呼ばれていない。
「これが、技術開発庁と王宮研究所が総力を挙げて完成させた、新型の『後込め銃』の試作品だ」
ジャックが木箱の中から鈍い光を放つ鉄の筒を取り出すと、クロヴィスとエディの視線が釘付けになった。ジャックが手元のレバーを操作すると、カチャリという硬質な金属音とともに銃身の後部が開き、薬室が露わになる。
銃口からではなく、後方から直接弾薬を装填できるという、従来のマスケット銃の常識を覆す構造だった。
「この試作品を数丁ずつ、お前たちの軍団に預ける。各自の部隊で実際に使ってみて、命中精度、装填速度、機構の不具合など、あらゆる問題点を洗い出して私に報告してほしい」
ジャックが太い声で命じると、クロヴィスとエディは居住まいを正し、力強く声を揃えた。
「「かしこまりました!」」
二人の将校が試作品の入った木箱を恭しく抱え、足早に部屋を退出していった。その後ろ姿を見送りながら、ジャックは豊かに蓄えた顎鬚をゆっくりと撫でた。
(最初は、直属の部下たちだけで試し撃ちを行おうと考えていたがな)
ジャックは机に残されたもう一丁の試作品を手に取り、その冷たい金属の感触を指先で確かめた。直轄軍やアルノー軍といった、異なる運用思想を持つ各軍団で実地試験を実施することで、より多様な見地からの意見や改良点が収集できる。結果として、この革新的な武器がより早く、より完璧な使い勝手へと仕上がるはずだと期待していた。
(装填時の隙という銃最大の弱点を克服したこの後込め銃が、全軍に大量配備された日には……)
ジャックの脳裏に、敵の大軍が圧倒的な弾幕の前にすり潰されていく光景が浮かんだ。
新兵器の運用法を誰よりも深く理解する彼は確信していた。この銃が、大陸の戦争の仕組みを根底から作り変えてしまうことを。
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