第194話 二つの対応
塩と鉄の専売化を端に発した、宰相レベッカと商業庁長官ラウールの口論によって、御前会議の空気は極度に張り詰めていた。暖炉の中で薪がパチンと爆ぜる乾いた音だけが、息苦しいほどの静寂を際立たせている。
ミレーヌは、無機質なガラス玉のような瞳で長机に並ぶ幹部たちを見渡した。
「さて、本題にうつるわ」
氷のように冷ややかで平坦な声が響き、幹部たちの背筋がわずかに伸びる。
「我が国も順調に領土を増やし、この大陸で残る勢力は五カ国となっていた。けれど、先日ズタリア王朝が自ら傘下に入り属国化したので、残る敵はあと四カ国ね。本日は、その国々の征服についての話よ」
ミレーヌの言葉に、向かいに座る宰相のレベッカが手元の資料から視線を上げて応じた。彼女の金糸のような髪が、窓から差し込む冬の光を反射して冷たく輝いている。
「陛下。現状、我が国と直接領地を接しているのは、北のギルディン都市連邦と、西のイの国の二か国です。二方面同時進行で攻略を進められるのでしょうか?」
現在、クライナイン王国の軍事力はかつてない規模に膨れ上がっていた。ジャック大将の立案のもと、降伏した兵や志願兵を組み込み、各国に治安維持のために配備したのち、残りは四つの軍に再編されている。ミレーヌが直接率いる直轄軍、そしてジャック、ゲオルク、アルノーの三将がそれぞれ指揮する軍。各九万という途方もない兵力を有する四つの軍団は、多方面への同時侵攻を十分に可能とする強固な構成であった。
「今回は、北のギルディン都市連邦の攻略から始めるわ」
ミレーヌは、大陸地図の北方を指し示した。百程度の都市国家が連合する巨大な防衛国家。一つ一つの都市を陥落させていくのは骨の折れる作業だ。
「誰か、この攻略に志願する者はいるかしら?」
長机に短い沈黙が降りた直後、手を挙げて発言した者がいた。
「俺がやる」
ゲオルクである。ミレーヌは表情一つ変えなかったが、内心で少しだけ驚いていた。
ギルディン都市連邦の広大さと複雑な防衛網を鑑みれば、凡将なら平定までに八年、機動力と奇襲に長けたゲオルクであっても、少なくとも三年はかかるだろう大仕事である。その長期間、ゲオルクという強力な手札を北方の盤面に固定してしまうのは、今後の覇道推進の速度を考えれば少々痛手だ。
(アルノーに任せるつもりだったのだけれど……)
だが、ミレーヌは自身の描いた最適解に固執はしない。現場の指揮官が自ら望んだモチベーションの高さは、時に計算上の効率を凌駕する結果を生むからだ。
「……いいわ。許可する。物資の手配はレベッカと調整しなさい」
「了解だ」
ゲオルクが満足げに顎鬚を撫でるのを一瞥し、ミレーヌは次の標的へと視線を移した。
「続いて、西のイの国だけど……こちらは、まずは軍門に降るように使者を派遣するわ」
その指示に、ジャックが疑問を呈した。
「直接、軍を派遣して制圧なさらないのですか?」
「イの国は軍を持たない特異な国よ。そんな相手に、わざわざ九万もの大軍を動かして莫大な戦費と兵站のコストをかけるなんて無駄の極みじゃない。まずは使者を送って、無傷のまま傘下に編入できればそれに越したことはないわ」
ミレーヌの言葉に、ジャックは深く納得して頭を下げた。
「かしこまりました。確かに、無駄な血と金を使う必要はありませんな」
すると、先ほどまで屈辱に唇を噛み締めていた商業庁長官のラウールが、勢いよく身を乗り出した。
「陛下! その使者の大役、ぜひとも私にお任せいただきたく存じます!」
恰幅の良い体に纏った高級な絹の服から、微かに焦燥の汗の匂いが漂ってくる。塩と鉄の専売制で国に莫大な利益をもぎ取られ、面目を潰されたばかりだ。ここで外交的な大功を立て、ミレーヌの覚えを良くして失地を挽回しようという、商人特有の強欲な計算が透けて見えた。
(当初は、先月隷属したばかりの元ズタリア王朝伯爵、ジーモを使者として派遣する腹積もりだったのだけど……)
ミレーヌはスッと目を細めた。ジーモの極めて優秀な交渉手腕を試す絶好の機会だったが、必死にすがりついてくるラウールの熱意を利用しない手はない。
「陛下、お待ちください」
すかさずレベッカが、静謐な瞳で異議を唱えた。
「ラウール長官は国家の経済を司る商業庁長官です。使者として適切なのでしょうか?」
「陛下、私はイの国に数回行ったことがあり、適任だと自負しております!」
レベッカの指摘は組織の管轄を重んじる正論であったが、そもそも建国時に、ミレーヌは圧倒的軍事力で他国を滅ぼすことのみ想定しており、外交を専門とする部署が存在していない。
「ラウールに任せる。レベッカ、異存は?」
ミレーヌの絶対的な一言に、レベッカはそれ以上反論せず「承知いたしました」と静かに引いた。ミレーヌは、安堵の表情を浮かべかけたラウールに向かって、条件を突きつける。
「ただし、ラウール。単独で行くことは許さないわ。先日、私の配下に入ったジーモを副使として同行させなさい」
ラウールの顔に、一瞬だけ不満の色がよぎった。単独で交渉をまとめ上げ、手柄を独占したかったのだろう。しかし、玉座から見下ろすミレーヌの絶対零度の視線を前にして、逆らうことなどできるはずもない。
「……はっ。ありがたき幸せに存じます。必ずや、陛下の御期待に沿う結果を持ち帰ってご覧に入れます」
ラウールは深く頭を下げ、恭しく承諾の意を示した。
こうして、クライナイン王国に接している両国への対応は決まった。片や武力、片や交渉と今までと異なった対応をしたミレーヌの本心は、群臣にはおもんばかることができなかった。
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