第188話 激務の女王
王都クーロンヌ・ダルジャンに、本格的な秋の到来を告げる冷たい風が吹き込み始めていた。十月。ヴィスタ帝国を名実ともに滅亡させたミレーヌは、息をつく間もなく王都へと帰還していた。
執務室には、特有のインクの匂いと、絶え間なく持ち込まれる羊皮紙の山が築かれている。大同盟を組んだ五カ国をすべて飲み込んだ今、クライナイン王国の領土は以前の数倍に膨れ上がっていた。
それに伴い、処理すべき政務の量は殺人的なものとなっている。
(さすがに、私一人で回せる量ではないわね)
ミレーヌは、優雅にアールグレイを傾けながら、薄氷を思わせる瞳で書類の山を見据えた。彼女はすぐさま、旧バニア皇国領の総督として赴任していたレベッカを解任し、王都へ呼び寄せる手配を整えた。
同時に頭を悩ませたのは、軍の再編である。降伏した各国の兵を編入した結果、クライナイン王国の専業兵士の数は、開戦前の実に四倍以上に膨れ上がっていた。
「本来なら、ジャックに丸投げするところだけど……」
ミレーヌは、小さくため息をつく。軍の要であるジャックは、サデーナ騎士団領やフェラスレツ大公国の戦後処理を終え、現在帰国の途についている最中だった。彼が戻るまで待つような悠長な時間はない。
ミレーヌは自らペンを取り、大まかな軍の編成案を一気に書き上げた。数万単位の軍を各征服地に駐留させ、その圧倒的な武力を背景に、強制的な領地接収を進める。
先の戦いで手痛い敗北を喫しているため、目立った反抗は少ないはずだ。それでも、既得権益にしがみつき歯向かう愚か者は必ず現れる。
(例外なく、皆殺しね)
ミレーヌの指示書には、一切の慈悲が存在しなかった。その冷徹な決定により、わずかな反抗の火種は、血の海とともに瞬時に消し飛ばされることとなる。
◆◇◆◇
三週間後の十月下旬。王都に帰還したレベッカが、休む間もなく執務室へと姿を現した。
「お呼びにより、帰還いたしました」
「遅かったわね、レベッカ。休む暇はないわよ」
「承知しております。すでに道中で各国の基礎資料には目を通しました」
感情を排した声で応じるレベッカの姿に、ミレーヌは微かに口角を上げる。そこからは、主従による息の詰まるような二人三脚の統治機構整備が始まった。
ミレーヌがまずレベッカに命じたのは、新領土の権力腐敗を防ぐための新たなシステムだ。征服した各国の主要都市には、行政官、裁判官、そして治安維持担当の三名を1セットとして派遣する。
「行政と治安維持は、私が作ったこのマニュアル通りに運営させなさい。個人の裁量など不要よ。そして裁判官には、明文化された法律に基づいた判決のみを徹底させるの」
「権力を三つに分け、互いに牽制させるのですね」
「ええ。それに加えて、情報庁の密偵を使って彼らを監視させるわ。遠隔地特有の土着化や不正の温存を防ぐため、数年ごとに配置転換も義務付ける」
それは、前世で嫌というほど見てきた、組織の硬直化と癒着を防ぐための、現代的な合理性に基づいたトップダウンの管理体制であった。
さらに、ミレーヌは旧体制の残滓を一掃するため、新たな領土を含めた全国民に対し、「密告」を強く奨励した。
結果は、凄惨にして劇的だった。
わずか一ヶ月程度の間に、収賄、そして反乱を企てた罪で、実に四千人余りが捕縛され、即刻死刑となった。だが、その凄惨な報告を受けたミレーヌは、普段と変わらぬ静かな所作で、ただ淡々と次の書類に決済のサインを書き込んでいた。
◆◇◆◇
粛清の嵐が吹き荒れる一方で、ミレーヌは民衆の心を掴む「飴」を用意することも忘れなかった。
各国の旧貴族や王家が私物化していた銀山、金山、鉄、銅、錫などの鉱山は、すべて国営化し、国家の莫大な収益源とする。そして、征服地の税率をクライナイン王国と同一の、極めて低い水準にまで一気に引き下げたのだ。
搾取され続けてきた他国の民衆にとって、この減税はミレーヌを救世主として崇めるのに十分すぎる理由となった。
異なる貨幣が乱立する経済の統一も急務であるはずだが、ミレーヌは予め手を打っていた。
「カイン、宿題ご苦労様」
「はい! ありがとうございます!」
目の下に濃い隈を作り、今にも倒れそうな顔色をした青年書記官は、それでも達成感に満ちた声で答えた。ミレーヌが王都を出発する五ヶ月前。彼女は財務庁長官のカインに対し、六カ国をすべて征服したと仮定した際の「適正な貨幣流通量」の計算と、それに伴う新紙幣の印刷を命じていたのだ。
気弱な青年書記官は、寝る間を惜しんでその途方もない計算を見事に完遂していた。
カインの緻密な計算に基づき、市場への紙幣供給と、旧体制の高額金貨の交換が円滑に進められた。少額決済用の銀貨や銅貨は、市場のパニックを防ぐため当面は旧硬貨の流通も認めるが、税の支払いは『新紙幣』か『クライナインの新硬貨』にのみ限定させた。これにより、嫌でも市場の貨幣は新体制のものへと置き換わっていく
流通量の適正化を誤れば、恐ろしいインフレやデフレを引き起こし、国家は内側から崩壊する。しかし、広大な新領土の物価は、カインの綿密な計算によって大きな混乱もなく見事に安定を保っていた。
◆◇◆◇
冬の足音が近づく十二月。
ミレーヌの人事登用は、もはや自国民という枠組みすらも越えようとしていた。国籍や出自を問わず、能力のある異国人を積極的に中枢へと登用し始めたのだ。
「レベッカ。宰相府の直轄に『人材登用局』を新設しなさい。局長には、元ラスカ王国宰相のジルド・スピリトを据えるわ」
その指示に、レベッカはわずかに目を見開いた。
「ジルド・スピリトといえば、最後まで自国の王に理詰めで諫言し続けた、あの現実主義の忠臣ですか。確かに能力は申し分ありませんが、敵国の元宰相をそこまで重用してよろしいのでしょうか?」
「能力さえあれば過去はどうでもいいわ。彼は使える駒よ。それに、異国の旧高官を登用することは、我々が実力主義であることの何よりのアピールになるでしょ?」
恐怖による粛清という「鞭」と、減税と能力主義の登用という「飴」。
ミレーヌの感情の抜け落ちた蒼い瞳が描く冷徹な計算式により、かつて六つに分かれていた大陸の国々は、短期間のうちに「クライナイン王国」という一つの巨大なシステムとして、それなりの形を成し始めていた。
暖炉の火が、静かに執務室を暖めている。
ミレーヌは窓の外、雪が舞い始めた王都の景色を見下ろした。
カッツー王国の討伐令から始まった、血と硝煙に塗れた怒涛の一年が、今、静かに暮れようとしていた。
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