第183話 椅子取りゲーム
九月。高く澄み渡る秋の空とは裏腹に、クムーラーナ共和国の首都ウエスカの評議会議事堂は、重苦しい空気に沈んでいた。
かつては七つの都市の代表が円卓を囲み、商業と交易の利益について声高に議論を交わしていた華やかな場所だ。だが、今やその円卓には、カリスト・ロドリーゴ・アティエンサ総督を含め、たった三人の男しか座っていない。
モトリル、セゴラ、アランペイグの三都市は、わずか二ヶ月の間に、アルノー・ルベ少将率いる軍の前に次々と陥落、あるいは降伏した。そして昨日、ついにレアル市までもが城門を開いたのだ。残る都市は、首都ウエスカ、パテルナ、シエーロの三都市のみとなった。
「レアルまでもが寝返るとは……。しかし、絶望するにはまだ早い」
カリスト総督は、苛立ちを隠すように大げさな身振りで立ち上がった。乾いた咳払いをして、残るパテルナとシエーロの代表に熱弁を振るう。
「我々三都市が固く結束し、城壁の守りを固めれば、クライナイン王国のわずかな軍勢など恐るるに足らず! 徹底抗戦あるのみだ!」
総督の言葉に、二人の代表も力強く頷いた。
「もちろんですとも、総督。我々の結束は鋼より固い」
「あの悪魔のようなアルノーの軍門に降るなど、あり得ませんな」
表面上は、悲壮な徹底抗戦の誓いが交わされた。だが、彼らの瞳の奥には、互いを出し抜こうとする醜い猜疑心が渦巻いている。
アルノーが以前発した「降伏を許し、地位を保全するのは先着三都市まで」という布告。アランペイグとレアルが降伏した今、残された生存への椅子は、たった『一つ』しかないのだ。
◆◇◆◇
その日の午後。アランペイグ市にあるアルノーの陣営に、三通の密書が届けられた。アルノーは、純白の手袋をはめた手でそれらの封を切り、冷ややかな目で文面に目を通す。
「予想通りですね」
アルノーが薄く微笑むと、副官のエディ・ベケ大尉が尋ねた。
「アルノー閣下、それは?」
「ウエスカ、パテルナ、シエーロ……残る三都市の代表から、それぞれ『我が都市は降伏したい』という涙ぐましい嘆願書ですよ。昼間は徹底抗戦を誓い合いながら、裏では我先に命乞いをする。実に滑稽な生き物です」
アルノーは、それらの密書を机の上に並べた。
「では、どうなさいますか? 三都市の降伏を受け入れますか?」
「いいえ。せっかくですから、彼ら自身に決めてもらいましょう」
アルノーは冷笑を浮かべ、指示を出した。
「エディ大尉。この三通の密書の内容を、大々的に公表してください。そして、こう宣言するのです。『残る降伏枠は一つ。一番先に私の元へたどり着いた代表の都市のみ、降伏を認める』と」
◆◇◆◇
アルノーの宣言は、瞬く間に三都市の代表たちを狂乱の底へと突き落とした。自分以外の代表も裏切りを企てていたという事実が暴露され、都市間の信頼は完全に崩壊した。
生き残るためには、誰よりも早くアルノーの元へ辿り着かなければならない。ウエスカに滞在していたパテルナとシエーロの代表は、すぐさま護衛の兵をかき集め、馬車を飛ばしてアランペイグへと向かった。
しかし、カリスト総督は違った。彼は自ら急いで出発するのではなく、最も確実な手段を選んだのだ。
「私以外の代表が、アルノーの元へ辿り着かなければよいだけのことだ」
カリストは、自都市の精鋭部隊を街道の要所に伏せさせた。
夜の闇の中、パテルナの代表を乗せた馬車が伏兵の矢を浴びて炎上する。シエーロの代表もまた、街道沿いの森で待ち伏せを受け、無残に命を落とした。
カリストは、二人の代表が確実に死亡したという報告を受けると、満面の笑みを浮かべた。
「これで、残る枠は私のものだ。私が生き残ったのだ」
競争相手を物理的に排除したカリストは、悠々自適な足取りで護衛を引き連れ、アランペイグにあるアルノーの陣営へと向かった。
◆◇◆◇
「お待ちしておりました、カリスト総督。遠路はるばるご苦労様です」
陣営の執務室で、アルノーは淹れたての紅茶を片手に、涼しい顔で総督を出迎えた。カリストは、勝利者の優越感に浸りながら仰々しく一礼する。
「他の代表たちは、不幸な事故で道中命を落としたようでしてな。一番乗りは私です。約束通り、ウエスカ市の降伏を認め、私の地位を保証していただけますな?」
「もちろんです。貴方の降伏は、しかと受け入れました」
アルノーの淀みない返答に、カリストは安堵の息を吐いた。だが、アルノーはカップをソーサーに戻すと、静かに立ち上がった。
「では、さっそくですが、貴方をご案内したい場所があります。少々お付き合いいただけますか?」
「案内? どこへですかな?」
「先日降伏した、レアル市です」
◆◇◆◇
秋晴れの空の下、レアル市の中央広場には、数千にのぼる市民たちが集められていた。彼らの顔には、深い悲しみと、行き場のない怒りが色濃く刻まれている。
広場に設けられた壇上に、アルノーが優雅な足取りで姿を現した。その後ろには、縄で後ろ手に縛られたカリスト総督が、屈強な兵士に引きずり出されてくる。
「な、何をする気だ、アルノー殿! 私の地位は保証すると言ったはずだぞ!」
カリストの焦燥に満ちた叫びを完全に無視し、アルノーは広場の市民たちに向けて、よく通る澄んだ声で宣言した。
「レアル市民の皆様。この男こそが、皆様の大切な家族や友人を、ヴァールの平原という死地へと無理やり追いやった張本人です。皆様の恨み、悲しみ……どうか、好きにしてください」
レアル市は、先のヴァール平原の戦いにおいて、強制的に徴兵された民兵の死傷者率が最も高い都市であった。どの家も父親や息子、兄弟を失い、その悲しみは癒えるどころか、激しい憎悪となって燻り続けていたのだ。
「あいつだ! あいつのせいで俺の息子は!」
「ふざけるな! 自分だけ助かろうとしやがって!」
アルノーの言葉が引き金となり、広場を埋め尽くす市民の怒りが一気に爆発した。暴徒と化した群衆が、怒号を上げながら壇上へと殺到する。
「や、やめろ! 来るな! 私は総督だぞ! アルノー、約束が違うではないか!」
カリストの悲鳴は、押し寄せる民衆の怒声にかき消された。石が飛んできてカリストの額を割り、無数の手が彼を引きずり下ろす。殴る音、蹴る音、そして断末魔の叫びが、広場に響き渡った。
少し離れた建物のバルコニーから、アルノーはその凄惨な光景を、冷ややかな瞳で見下ろしていた。
「アルノー閣下……よろしいのですか? 降伏を認めたはずでは」
背後に控えるエディ大尉が、上官に尋ねた。アルノーは、純白の手袋の皺を直しながら、平坦な声で答える。
「あの強欲な総督を生かしておいては、今後の統治に無用な不満や問題が生じますからね。それに……戦争で負けた市民の『怒りの矛先』は、誰かが被ってやらねばなりません」
アルノーは、冷酷なまでに美しい笑みを口元に浮かべた。
「もちろん、その汚れ役を担うのは我々クライナイン王国ではありません。旧体制の権力者に死をもって償わせる。これが最も効率的で、合理的な統治の始まりですよ」
広場の喧騒は、いつまでも鳴り止まなかった。
数日後。代表者を失ったウエスカ、パテルナ、シエーロの三都市は、雪崩を打つようにそれぞれ降伏を申し出た。アルノーはこれらを無血で接収し、全七都市の制圧を完了させる。
ここに、長きにわたり繁栄を誇ったクムーラーナ共和国は、完全に滅亡したのである。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
今後の励みになりますので、感想・ブックマーク・評価などで応援いただけますと幸いです。




