第168話 槍の矛先
初夏の陽光が、ヴィスタ帝国の荘厳な皇宮に降り注いでいる。皇帝マテウス二世は、謁見の間の玉座で不敵な笑みを浮かべていた。
磨き上げられた大理石の床に片膝をついているのは、帝国の機動力を象徴する騎馬軍団の長、リュディガー将軍である。歴戦の猛者らしい筋骨隆々とした体躯からは、隠しきれない戦意が立ち昇っていた。
マテウス二世は、肘掛けに顎を乗せたまま将軍たちを見下ろした。彼の瞳には、かつて自分をコケにした憎き女王を、ついに追い詰めたという確信が宿っていた。
「リュディガー。頼んだぞ」
「はっ!」
皇帝の命を受け、リュディガー将軍は顔を上げ、自信に満ちた精悍な笑みを浮かべた。
「我らが誇る一万の軽騎兵ならば、敵が誇る新型銃とやらが火を噴くより早く、圧倒的な速度で本陣を蹂躙してみせます。敵に装填の隙など与えません。必ずや、あの忌まわしき銀髪の魔女の首、陛下のもとへと持ち帰りましょう!」
銃の最大の弱点である「装填時間の長さ」を機動力で突く。それは、平原において最強と謳われる帝国軽騎兵ならではの、明確な戦術的勝算に基づいた言葉だった。
「うむ。任せたぞ。帝国の威信、存分に見せつけてこい」
皇帝が満足げに頷いたその傍らで、音もなく首を垂れている黒い影があった。帝国の軍服を纏い、顔の右半分を黒いレースのヴェールで覆い隠した女騎士である。風が微かに彼女のヴェールを揺らすと、焼けただれた凄惨な火傷の痕が覗き、同時に強い薬草の匂いが鼻を突く。彼女は、クライナイン王国の地理を熟知しているとして、自らリュディガー将軍の騎馬軍団への帯同を願い出ていた。
軽騎兵団の方針は、彼女が宰相ヘルベルトに示した策どおりであった。つまり、軽騎兵団がクライナイン王国に侵攻することをミレーヌが知れば、籠城するしか手はない。しかし、王都には、女騎士の手の者が多数潜伏しており、騎馬軍団が到着した絶好のタイミングで、東西南北すべての城門を内部から開け放つ手はずであった。
(すべては、計算通り……)
女騎士の左の瞳が、ヴェールの奥で剣呑な光を帯びる。彼女の胸の奥底では、決して消えることのない業火が、どす黒い怨念となって渦巻いていた。
(クライナイン王国で手ごわいのはジャックとゲオルクの二人のみ。しかし、あの女の周りにはいない。もう守る者など誰もいない)
女騎士は、無意識のうちに拳を強く握りしめた。爪が手のひらに食い込み、微かな痛みが走るが、彼女の心を満たす狂気的な歓喜の前には些細なことだった。
(この手で、必ずあの女の首を獲る。私のすべてを奪い、焼き尽くしたあの銀髪の悪魔に、地獄の苦しみを与えてやる。絶対にだ)
「出陣するぞ」
リュディガー将軍の力強い声に促され、女騎士は静かに立ち上がった。音を立てずに部屋を後にする彼女の背中は、もはや一人の武人ではなく、復讐という妄念に取り憑かれた亡者のようであった。
◆◇◆◇
その日の午後。
ヴィスタ帝国の広大な練兵場から、地鳴りのような馬蹄の音が湧き起こった。
巻き上がる土埃の中、帝国が誇る精鋭、一万の軽騎兵軍団が風のように出立していく。彼らの陣容には、軍の遠征に不可欠なはずの軍事物資や食糧を積んだ馬車が一切存在しなかった。補給を完全に捨て去り、現地調達し、ただ目標を食い破るためだけに放たれた、狂気に満ちた部隊。太陽の光を反射して煌めく無数の槍先はミレーヌの首元へと一直線に向けられていた。
両翼をもがれた氷の女王ミレーヌは、かつてない最大の危機を迎えようとしていた。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
今後の励みになりますので、感想・ブックマーク・評価などで応援いただけますと幸いです。




