第157話 視察の途中
王都爆発事件から二週間後、まだ冬の匂いがする風が、王都クーロンヌ・ダルジャンの外れを吹き抜けていく。ミレーヌは、揺れる馬車の車窓から鉛色の空を無機質な瞳で眺めていた。彼女が向かっているのは、王都の北西に位置するエズ、ヴァール、カオールの三カ所で進められている堀の掘削現場である。
出発前、宰相代行のカインが進言した。
『陛下が自ら赴く必要はございません。現場の状況など、サミール長官に報告させれば済むことではありませんか』
だが、ミレーヌはその提案を冷ややかに一蹴した。
『これは大切なことなの。実際にこの目で確認しないとだめだから』
馬車に同乗しているのは、近衛将軍のフィデールただ一人。外には護衛の近衛騎兵が四騎、規則正しい馬蹄の音を響かせながら随従している。
王都を出て一刻も経たない頃だった。パンッ、という乾いた破裂音が、冬の静寂を唐突に切り裂いた。車輪が急激に軋む音を立て、馬車が大きく傾きながら急停車する。馬のいななきと、近衛兵の怒号が外から聞こえた。
フィデールが即座に剣の柄に手をかける。だが、ミレーヌは微塵も動揺することなく、彼女はフィデールの制止を聞かず、自ら馬車の扉を開けて外の冷気に身を晒した。馬車の中に籠もっていては、状況の把握も退路の確保も遅れるだけだ。
銃を構える者を目にしたフィデールは、自らの巨体を盾にして、ミレーヌを庇い込む。鈍い衝撃音が響いた。だが、フィデールの体は貫かれない。彼が身に纏っているのは、ホマンが開発した新素材『鋼』で作られた試作品の鎧だ。強靭なその金属は、致命傷となるはずの弾丸を見事に弾き返し、フィデールの鎧に傷をつけるに留めた。
「チッ……」
前方から、くぐもった声が聞こえた。土埃の向こうから、三つの影が馬を降りてゆっくりと近づいてくる。一見すると身なりの良い優男、丸太のような腕を持つ巨漢、そして妖艶な笑みを浮かべた女。ヴィスタ帝国の特務部隊、フレルク、ルーター、アダリーの三人だった。彼らが放つ気配は、尋常な騎士のそれとは次元が違う。鉄錆のような濃密な血の匂いが、風に乗ってミレーヌの鼻腔を突いた。
「陛下をお守りしろ!」
フィデールの号令で護衛の近衛兵四騎が剣を抜き放ち、一斉に三人に襲い掛かる。だが、それは一方的な殺戮の始まりでしかなかった。優男のフレルクが滑るような足運びで近衛兵の懐に潜り込み、音もなく刃を閃かせる。同時に、巨漢のルーターがその丸太のような腕から剛剣を振り下ろした。甲高い金属音が数度響いた直後、近衛兵たちは何が起きたのかも理解できないまま、次々と首や胴を切り裂かれて大地に沈んだ。
(格が違う……)
ミレーヌは、血だまりの中に倒れ伏す自国の兵を冷静に見下ろした。
「ミレーヌ様、お逃げください! ここは私が食い止めます!」
フィデールが血走った目で叫び、フレルクとルーターの二人の前に立ちはだかった。近衛将軍たるフィデールの剣技は、王国でも最強クラスだ。彼の大上段からの唐竹割りが、空気を裂いてルーターへと迫る。だが、ルーターはその重い一撃を剛剣で難なく受け止め、ニヤリと笑った。そこに、死角からフレルクの変幻自在な刺突がフィデールの脇腹を狙う。フィデールはギリギリで身を捻り、致命傷を避ける。しかし、二人の連携は息をする隙も与えない。重と軽、剛と柔の完璧な波状攻撃の前に、フィデールは防戦一方となった。
ミレーヌが静かに後方へ下がりかけたその時、甘く噎せ返るような香水の匂いが鼻を掠めた。
「どこへ行くの、女王様」
背後に回り込んでいたアダリーが、毒蛇のような笑みを浮かべて退路を塞いでいた。その両手には、妖しく光る二本の短剣が握られている。
ミレーヌは迷うことなく、腰の剣を抜き放った。毎日のように打ち合い、身体に叩き込んできた実戦の動きだ。鋭い踏み込みと共に、ミレーヌの刃がアダリーの喉元を正確に捉える。だが、アダリーはまるで柳のように体をしならせ、ミレーヌの切っ先を嘲笑うかのように躱した。
「お転婆は嫌いじゃないわよ」
アダリーの短剣が、ミレーヌの視界の端から死角を突いて迫る。
(速い……!)
自身の技量では完全に防ぎきれない。死の確率が極限まで高まったその瞬間。アダリーの短剣がはじき返された。
ミレーヌの目の前にはいつの間にか燃えるような紅い影が立ちふさがっている。義賊のリナ・オハナだ。
「チッ、ネズミが湧いたわね」
「ネズミはお前だろ、この厚化粧!」
リナは琥珀色の瞳でアダリーを睨みつけ、短剣を逆手に構えた。
アダリーが舌打ちと共に地を蹴る。先ほどまでミレーヌを翻弄していた二つの刃が、今度はリナの眼球と心臓を同時に狙って突き出された。
だが、リナは常識外れの身のこなしで宙を舞い、刃の雨を紙一重でかわし、即座に反撃する。金属音が連続して鳴り響き、火花が冬の空気を焦がした。
「やるじゃない……!」
「動きが遅すぎるよ。年増は引退したら?」
「調子に乗るな!」
アダリーがさらなる猛攻をするも、すべて交わすリナ。軽口を叩くだけあってリナの身軽さは、アダリーを上回っている。しかし、状況が好転したわけではない。フィデールは二人を相手に防戦一方であり、ミレーヌを庇いながら戦うリナにも、フィデールを助ける余裕は全くなかった。
すると、地鳴りのような馬蹄の音が街道の奥から急速に近づいてきた。土埃を巻き上げて現れたのは、二十騎ほどの騎馬隊。先頭の男が緊迫した状況を無視するかのように気軽に声をかけた。
「よう、フレルクとルーター、それにアダリー。まだ死んでなかったのか。帝国の特務部隊が、こんな所でなんの用だ?」
その声の主は、ゲオルクであった。彼は、馬の歩みを止めず、飄々とした、だが絶対的な殺意を込めた声で笑いかけた。その姿を見たアダリーの顔から、余裕の笑みが消え去った。
「ゲオルク……」
「俺に挨拶も無しで、随分派手にやらかしてくれたな。三人纏めて相手してやってやるからかかってこい」
ゲオルクが腰の剣に手をかけた。優男のフレルクが、舌打ちをして短く命じた。
「……一旦、引きましょう」
「うい」
彼らは一切の未練を見せず、素早く馬に飛び乗ると、冬の枯れ野を風のように駆け去っていった。
静寂が戻った街道で、ミレーヌは剣を鞘に収め、敵の消えた方角を見つめた。
「追わないの?」
「まずは王宮に帰ろう。奴らのことだ、他にも罠を仕掛けてるかもしれないからな」
ゲオルクが馬から降りながら答えると、ミレーヌは訝しげに彼らを見た。
「どうしてアナタたちが来たの?」
短剣をクルリと回して腰に収めたリナが、得意げに胸を張った。
「城壁で暇つぶししてたらさ、ミレーヌの馬車が外に出たじゃん。それを遠くから怪しい騎馬が追いかけていくのが見えてさ。こりゃヤバいと思って、ゲオルクには門番から伝言を頼んで、アタシが先行して追いかけてきたってわけ。どうよ、アタシの勘、当たったっしょ? 誉めてね」
リナの無邪気な笑顔に、ミレーヌの瞳の奥が、ほんの僅かに緩んだ。彼女は、手を腰に当て滅多に見せない柔らかな微笑みを口元に浮かべ、静かに言った。
「リナ、褒めてあげるわ」
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