第158話 ロイヤルガード
王都クーロンヌ・ダルジャンの王宮に戻ったミレーヌたち一行。女王を待ち受けていた専属メイドのリサは、主君のドレスの裾が泥と煤で汚れ、微かに硝煙の匂いが染み付いていることに気づき、慌てて駆け寄ってきた。
「陛下、すぐにお着替えのご用意をいたします。お湯も沸かしてございますので……」
「ありがとう、リサ。後で着替えるから、今は下がっていてちょうだい」
ミレーヌが短く告げると、リサは目を丸くして困惑の表情を浮かべた。しかし、氷のように冷たい主君の横顔を見て、それ以上の口出しは無用と悟り、「かしこまりました」と静かに一礼して退いた。
そのまま執務室へと足を踏み入れたミレーヌは、先ほどの戦いに居合わせたゲオルク、リナ、そして近衛将軍のフィデールを集めた。
ミレーヌは、黒檀の机の奥に腰を下ろすこともなく、立ったまま鋭い視線をゲオルクに向けた。
「ゲオルク。あなた、あの三人を知っているの?」
先ほど街道で相対した、優男、巨漢、そして妖艶な女。彼らを見た時のゲオルクの反応は、明らかに面識がある者のそれだった。
ゲオルクは、無精髭の生えた顎を軽く掻きながら、面倒くさそうに口を開いた。
「ああ。ヴィスタ帝国の特務部隊だよ。破壊工作や要人暗殺なんかを専門に、帝国の汚れ仕事を一手に引き受ける連中だな」
その言葉を聞いた瞬間、ミレーヌの思考がピタリと停止した。
「暗殺……」
ミレーヌの口から、微かな呟きが漏れる。
(私としたことが……。トップを暗殺するのが、組織を崩壊させる上で最もコストパフォーマンスが高く、効率的な手段であるという基本を失念していた。対外的な戦争や経済政策ばかりに意識が向いていたとはいえ、ここは元にいた世界ではなく、異世界。自国が日本みたいに安全だという平和ボケがまだ抜けていないなんて、迂闊すぎる……)
自らの予測の甘さに、ミレーヌは内心苦笑するも、表情には一切の動揺を出さなかった。ただ、氷の仮面をさらに分厚くして、ゲオルクの次の言葉を待つ。
「今のままじゃ護衛が薄すぎる。近衛兵も、もっと接近戦に特化した奴らを配備した方がいいぜ」
口が悪いゲオルクであるが、その進言は聞くべき点が多い。
「銃の腕ばかり磨いて横隊を組ませても、今日みたいな奇襲の近接戦に持ち込まれりゃ、ナイフ一本持った手練れに簡単に殺されるからな。あとは……」
「あとは?」
ミレーヌが先を促すと、ゲオルクの顔から飄々とした笑みが消えた。
「連中が撤退する時に落としていった銃を調べたんだが……うちの工場で作られフリントロックだった。大量に帝国に流出しているわけじゃなさそうだが、暗殺に使うなら数は要らない。射程も長いから、これからは遠距離からの狙撃も想定して動いた方がいいかもしれないな」
ミレーヌは、今直面しているリスクを正確に判断し、傍らにいる近衛将軍に指示した。
「わかったわ。フィデール、とりあえず近接戦に秀でた者を選抜して、私の護衛を増やしなさい。」
「はっ! 承知しました!」
フィデールが力強く胸を叩いて応じる。それを無視したミレーヌは違う対策を考えていた。
◆◇◆◇
翌日の午後。冬の斜陽が差し込む執務室に、財務庁長官にして宰相代行のカインと、工務庁長官のサミールが呼び出された。
ミレーヌは、淹れたてのアールグレイティーを優雅に嗜みながら、直立不動で控えるサミールに向かって淡々と命じた。
「サミール。フィデールが着ている『鋼』の試作鎧、あれと同じものをあと十個、至急作成しなさい」
その宣告に、サミールは目を丸くして顔を強張らせた。
「へ、陛下……。私めは現在、国境へ続く街道の大規模な拡張工事と、新たに命じられた十二本の堀の掘削で、現場に付きっきりでございますが……」
「あら? 嫌なの?」
ミレーヌの絶対零度の視線が、サミールの言い訳を完全に凍りつかせた。部屋の温度が急激に下がったかのような無言の圧力に、サミールは慌てて首を横に振る。
「い、嫌ではありません! 滅相もございません! 喜んでやらせていただきます!」
「そう、ならいいわ」
ミレーヌが退屈そうに紅茶のカップを置くと、隣で青ざめていたカインが、恐る恐る口を挟んだ。
「あの……陛下。その特殊な『鋼』の鎧を十個も、いったい何にお使いになるのでしょうか?」
「外出時の護衛に着させるわ。昨日みたいな不測の事態に備えてね」
カインは、思わず小首を傾げた。
「護衛に着せる、ですか? しかし、一番に狙われるのは陛下なのですから、ミレーヌ様ご自身が着用なさらなければ意味がないのでは……?」
その至極真っ当な疑問に対し、ミレーヌは心底呆れたようにため息をついた。
「あんな二十キロもある重い鉄の塊、私が着るわけないじゃない。肩が凝るわ。だから、私の供回りに常に着させておくのよ」
ミレーヌは、平坦な声で言い放った。
「もしもの時は、彼らに身をもって防がせるの。私の周りに動く『鋼の壁』を配置する。その方が私自身は身軽に動けるし、最も合理的でしょ?」
部下を「盾」として扱うことを、これほど涼しい顔で公言した主人にわずかに戸惑う二人に、ミレーヌは追い打ちをかけるように告げた。
「サミール、鎧の製造に必要な資金面は、すべてカインに相談しなさい」
「は、はい……」
「カイン。鎧の製造なんてたいした額じゃないでしょ?」
ミレーヌの部屋を退室した二人。いつもならこの世の終わりのような顔で頭を抱えるカインだったが、今日ばかりは涼しげな表情でサミールに言った。
「それじゃあ、サミールさん。巨大な堀の土木工事に比べれば、防具十個分の予算なんて安いものです。すぐにつけとくから頑張ってくださいね」
「おい、カイン。逃げるなよ」
踵を返そうとしたカインの首根っこを、サミールがガシッと掴んだ。
「な、何でですか!?」
「お前、今回はわずかな金を工面するだけだから楽勝だと思ってるだろ」
「ええ、そうですが」
「俺は街道工事に巨大な堀十二本、その上、ホマンのオヤジと組んで特注の鎧づくりだぞ。過労で死ぬわ」
「私には関係のない事だと思いますが……」
「手伝うよな。なあ、手伝えよな」
「ひぃっ! やめっ、放して……!」
サミールが力任せにカインを羽交い締めにし、ミレーヌの執務室の前の廊下で大の大人が二人、見苦しくもみ合う。彼らが、音もなく背後に現れたリサにこってりと絞られるのは、この数分後のことであった。
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