第156話 黒い煙
凄まじい爆発音が響き渡った王都クーロンヌ・ダルジャンの空を黒い煙が汚していく。
カインが窓際に駆け寄り、血の気を引かせた顔で外を見つめている中、ミレーヌはティーカップを静かにソーサーに戻した。その表面に波紋一つ立てないほど、彼女の動作は落ち着き払っていた。
(なるほど。こちらの動きに感づいた工作員が、逃亡する前の置き土産に火を放ったというところかしら)
ミレーヌは、無表情のまま、立ち上る黒煙を眺めた。反乱の偽情報をカインに分析させ、彼の成長を促すためにあえて時間を与えた。そのわずかな猶予が、敵に撤退と破壊工作の隙を与えてしまったようだ。
(少し指導に時間をかけすぎたかしらね。でも、燃えたのが建物や設備程度なら、また作り直せばいいだけのこと。大した痛手ではないわ)
彼女の思考は、どこまでも合理的だった。失われた財産よりも、カインが自発的に回答を導き出したことの方が、長期的な利益は大きい。
「陛下、これは一体……!」
カインが震える声で振り返ったその時、重厚な扉が乱暴にノックされ、行政庁長官のオーブリーが駆け込んできた。
「陛下! 王都の外区画の一角で、大規模な爆発が発生いたしました」
「ふーん……」
ミレーヌは右手の人差し指で机をトン、トンと叩きながら、頭の中の王都の地図を広げた。
(外区画となると、あそこにはサミールが管理している銃の製造工場があったはずね。火薬も保管されているから、狙うにはうってつけの場所だわ)
「被害は?」
氷のように冷たい声で問うと、オーブリーは答えた。
「現在、確認中です。火の手が早く、現場はひどい混乱状態にあるようでして……」
「現状を確認してまいります!」
カインが血相を変えて執務室を飛び出そうとした。だが、ミレーヌの鋭い声が彼の背中を鞭のように打った。
「行く必要はないわ」
「……はい?」
カインは足を止め、間抜けな声を出して振り返った。現場の確認は役人として当然の義務だと思っているのだろう。
「部下を行かせなさい。あなたは宰相代行なのよ。そんな不用意に動き回ってどうするの」
「しかし、現場の状況を正確に把握しなければ……」
「いいから、ここにいなさい。それよりもカイン、各庁に連絡して、爆発の前後で消息不明になった役人がいないか、直ちに調査させなさい」
ミレーヌの絶対的な命令に、カインは反論の言葉を飲み込み、「承知いたしました」と深く頭を下げた。
◆◇◆◇
王都の空を焦がすような炎と黒煙。消火活動に奔走する兵士や職人たちの怒号が飛び交う中、その喧騒を少し離れた路地の暗がりから見下ろす、三つの不気味な影があった。ヴィスタ帝国が放った特務部隊——フレルク、ルーター、アダリーの三人である。
「こないわねえ」
妖艶な笑みを浮かべたアダリーが、艶やかな声を不満げに響かせた。彼女の視線は、燃え盛る工房ではなく、そこへ至る大通りに向けられている。
「銀髪の災厄が直接現場に視察に来れば、その美しい首を刈り取ってやろうと思いましたが……やはり用心深いですね」
優男のフレルクが、人を小馬鹿にしたような笑みを張り付けたまま肩をすくめた。彼らの真の狙いは、破壊工作による陽動と、それに釣られて現れるであろう女王の暗殺だった。
「どうするの?」
アダリーが問うと、フレルクが答えた。
「長居は無用です。ここは撤退しましょう」
そういってフレルクが立ち去る。アダリーは現場を見続けるルーターに声をかけた。
「行くよ」
「うい」
丸太のような太い腕を持つ巨漢のルーターが、低く唸るような声で答えた。三人の暗殺者は、燃え落ちる炎の熱気にも、焦げた木材の匂いにも一切の感情を動かされることなく、音もなく王都の闇路へと溶け込んでいった。
◆◇◆◇
爆発から数時間後。女王の執務室は、先ほどまでの騒ぎが嘘のように静まり返っていた。カインが、疲労の色を濃くした顔でミレーヌの前に立っていた。
「全庁の出勤状況を確認いたしました。少なくとも爆発の直後から、五名の役人が行方をくらませていることが判明しました」
カインの報告に、ミレーヌは空の紅茶のカップを見つめながら、静かに頷いた。
「やはりね」
「やはりと申しますと?」
カインが尋ねると、ミレーヌは滑らかに答えた。
「彼らが虚報を流した工作員だったというわけ。敵の嘘を見抜いただけで満足しては駄目。虚報だとしたら、敵の密偵がどの程度こちらの内部に入り込んでいるか、すぐに炙り出す手立てまで考え至って初めて満点よ。……先ほどの報告を『減点』した理由はそれよ」
カインはハッとして目を丸くし、己の思慮の浅さを恥じるように深く頭を下げた。その宰相代行に向かってミレーヌは命じた。
「オーブリーを呼んでちょうだい」
ミレーヌの命により、すぐに行政庁長官のオーブリーが入室してきた。
「お呼びでしょうか、陛下」
「ええ。今回の件で、今の防諜体制の限界がはっきりしたわ」
スッと目を細めたミレーヌの瞳は、オーブリーを見据えた。いままで効果を上げてきた「密告制度」は、あくまで民衆の不満や不正官僚の炙り出しには有効だ。しかし、今回のような高度に訓練された他国の工作員を排除するには、物足りない。
「オーブリー、あなたに新しい組織の創設を命じるわ。治安維持や他国の工作員排除を専門とする『警察』を組織化しなさい」
「警察……でございますか?」
聞き慣れない言葉に、オーブリーは目を瞬かせた。
「そう。軍隊は外敵と戦うためのもの。警察は、国内の法と秩序を守り、国家を内側から蝕む害虫を駆除するための専門機関よ。情報庁とも連携して、密告制度の穴を埋めなさい」
「承知いたしました。して、その人員規模はいかほどに?」
「最終的には、クライナイン王国全土をカバーする規模のものにしたいわね」
ミレーヌが平然と言い放つと、オーブリーは思わず息を呑んだ。王国全土に部隊を配備するとなれば、軍に匹敵する巨大な組織となる。
「ただ、いきなり全土は無理だから、まずはこの王都から始めるわ。人員の選抜、予算、法整備……一度には無理だから、数カ年計画書を作って提出しなさい」
「……承知いたしました。至急、素案を作成いたします」
オーブリーが深く一礼して退室すると、執務室には再び静寂が戻った。ミレーヌは窓の外を見遣る。黒煙はすでに収まりつつあったが、空はまだ鉛色に閉ざされている。ミレーヌは、その光景を見続けていた。
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