猫のいる家 3
「それで、先生は猫大好き人間の私に助けを求めた、と」
美作は書斎兼作業室の壁のキャットドアを覗き込みながら、聞いた。
彼女は私が猫について助けを求めてきたというのに、猫の描かれた靴下を履いている。その靴下のままに脚立の上に立っているのである。キャットドアを奥へと押しやり、中を覗き込むその姿は少しばかり滑稽な様子に見えたが、靴下の猫の目がこちらを見ているのが気に入らない。
書斎の椅子に座ったままの私は、顔を背ける。
「そうだ。別に猫がどうというわけじゃないが、最初にみた猫は三毛猫だった」
「本当ですか? 勘違いとかじゃないです?」
「勘違いなわけない。これでも仕事柄記憶と観察には自信がある」
私は椅子にもたれかかるように言った。
あれから私は不動産会社にも連絡を取った。あの時、内見に付き合ってくれた営業は電話に出たが、猫の事について聞いてみるも、何も知らないという事であるし、また、内見の時に見た猫について、黒猫か三毛猫かという質問をしてみたが、そもそもどんな猫かを覚えていないという返答であった。
が、それでも私は自分の記憶力には自信があった。
初めに見た猫は、三毛猫であり、黒猫であるはずがない。であれば、あの黒猫はなんだったのか。
この家には何匹も猫がいるのか。
確かに多頭飼育といういうものもある。何匹も猫や犬を飼うというものだ。もちろん、そういう飼育方法をしている家はある。私自身、そういう家に住んでいた人間に会いに行ったことがある。しかし、この家の持ち主がそのような飼い方をしているとは思えない。何故ならば、多頭飼育を行っていた家は、どこかなりが破損していたのである。例えば、壁紙が破られていたり、柱が爪研ぎで傷だらけだったりだ。
しかし、この家にはその痕跡がない。
「いや、待てよ」
私は部屋の唯一の扉を見ながら呟いた。
「綺麗すぎる」
「そうですよね。綺麗な一軒家」
「そうじゃあない。猫が住んでいるにしては、綺麗すぎるんだ。爪とぎの痕跡もない」
「躾けられたいい猫ちゃんですね」
美作のあまりにも暢気な発言に、私は頭を抱えたくなった。というよりも、これは、私があまりにも神経質になっているのであろうか。美作からしてみれば好きな猫がいて羨ましいということであり、私からしてみれば、得体の知れない何かと無理矢理に同居しているようなもので、その怖さというのは私にしかわかりえないものである。
だからと言って、ここで引き下がるわけにもいかない。説明をしなければならない。
「いいや、そうじゃない。必ず猫がいる痕跡がどこかにあるはずなのに、この家にはそれがないんだよ」
「そういうものなんじゃあないですか」
「いいや、そうは思わない。君も猫好きならばわかるだろ。猫が住む何か、こう跡と言うか。例えば、キャットドア以外のドアを引っ掻いた様子が無い事はどう説明する。キャットウォーク、キャットドアがあるからと言って、ドアを引っ搔かないわけがない」
「そういう性格の子もいますからねぇ」
「話にならないな」
私はそう言うと窓辺に立った。窓辺から家の正面の道路がよく見える。あまり大きくない道であるから、車がそれほど通ることはない。時折、ファミリーカーと思わしき、車と郵便局のEVバイクが通っていくだけだ。
そうしているうちに、家の前を一人の男が通っているのが見えた。
それは間違いなく、この家に引っ越してきた初日、サインを描いて渡した学生である。別にそれだけならば私は何の気持ちも湧きあがらなかっただろう。が、その少年の手にあったドローンをみて、私は突然、雷に打たれたかのような妙案を思いついたのだ。
私は窓を開けると少年に声をかけた。まさか、建物の二階から声をかけられるとは思っていなかった少年は、キョロキョロとあたりを見回して、どこからの声かを探し、もう一度声をかけるとぱっとこちらへと顔を向けてきた。
そこで待つように私は大声で伝え、急ぎ、階段を降りて家を飛び出る。
「そのドローンを借りたい」
私がそう言って、すぐに、少年は反射的に手をひっこめるのだった。
が、私は丁寧に少年を説き伏せた。家に招き入れて書斎に通して、必ず破損などはしないという事と、もしも、破損をした場合においては弁済は行うという旨を伝える。すると、少年は渋々という様子ではあったが、貸し出してくれるのを承諾してくれた。
私は丁重に礼を言うと、少年を家に招き、ドローンの詳細を聞いた。
ドローンは簡単な仕組みで、スマホを通してドローンを操作することが出来るのだ。さらに言うと、ドローンに搭載されたカメラを通して操作する事も出来るので、手のひらサイズのそれは、ちょうどキャットドアに入り込み、奥を探索するにはピッタリであった。
それを少年に伝えると「本当に何かあったら弁償してくださいよ」と念を押してきたが、もちろん、と答え、ドローンを起動させた。四つのモーターがたてる音が、書斎に響く。
「ただの猫に……臆病なんですから」
「いいや、これは臆病がどうとかそういう話ではない。探求心の問題だ」
私はそう言うと、ドローンをキャットドアの向こうへと送り込んだ。ドローンのカメラ越しに送られてくる映像から見ると壁の中に設けられたキャットウォークは複雑というほどではなく、なるほど、家中に張り巡らされているようでもあった。
と、しばらく、ドローンを操作すると、キャットウォークが垂直に上方向に曲がった。二階よりも上つまり、天井裏へと繋がっているらしい。
「天井裏なんてあるんですね」
「私も今初めて知った」
「作家先生っていい家に住んでるですねぇ」
「それって結構、バイアスかかってるよ」
少年と美作がそう言うのを聞きながら、私はドローンを操作した。ドローンがキャットウォークのほぼ垂直の壁を上ってしばらくすると、天井裏と思わしき、広い空間へと出た。そこはまさしく天井裏と称するのが適切な、無骨な板張りの空間であった。何もない空間である。
が、ふと、そこに気付いたのは、その屋根裏には天窓があった事だ。
屋根の壁、ちょうど、雨が吹き込まないような位置に設けられたその天窓こそが、猫の入り口であるらしい。事実として、その天窓のあたりの床に置いてのみ、何か土の汚れのようなものが確認できる。
「なるほど、これが猫の正体か」
スマホの画面をのぞき込んでいた美作が言った。
「どういう事です?」
「なんてことはない。この家にいる猫というのは、一匹ではないし、どの種類がいるというわけでもなかったんだ。複数、言ってしまえば、野良猫が勝手に入り込んでいたんだよ。で、勝手に餌を食べたりしていたわわけだ」
私はそうご高説を垂れる美作に対して、何も返す言葉はない。私の頭に浮かんでいたのは、同じ答えだったからだ。つまりは、なんてことはない。不思議な猫の出所はそんなことだったのだ。肩の力が抜けてくのを感じた。
「ありがとう少年」
私はそう言うと、スマホを少年に手渡して、ドローンの改修を頼んだ。そのままに、力なく書斎の椅子に座る。なんてことはない。ただの杞憂だった。
そう考えるとバカみたいな話だ。居るはずのない猫に、延々と餌を与えていて、そして、その餌をただの野良猫がひたすらに食べていたのだから。そして、その猫に怯えて暮らしていた私は、冷静になって見てみれば滑稽としか見られない。
少年に礼を告げ、お礼として少年に小遣いを手渡して見送ると、美作だけが家に残った。
「先生、どうします? ピザでも頼みますか?」
「そう、だな」
すっかりと食事の時間が近付いてきていて、くたびれた私はそう頼むしかなかった。
美作は、「先生のスマホ借りますね」と私のスマホを持って注文をはじめ、私はただ疲れ切った目でキャットウォークへと続く、書斎のキャットドアを見ているのだった。
確かに猫の種類についてはわかった。が、納得はできない。
どうして、野良猫がいるこの家は、天井裏は荒れていないのか。
「そう言えば、先生」
美作が書斎から出て行こうとしながら、顔だけをこちらへと向ける。
「猫の餌はどうしましょうか」
「野良猫なら、わざわざくれてやる必要もないだろう」
私はぶっきらぼうにそういうと、ピザが届くまでの間、仕事を少しでもしておこうかとパソコンの前に座った。




