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猫のいる家 2

「それで先生はこの家に住むようになったんですか。良いですねー、猫ちゃんの住む家」


 知人の美作操がリビングにあるソファで寛ぎ、部屋を見渡しながら言った。

 テーブルの上には彼女が持ってきたラベルに猫の柄が描かれた少しお高いワインが置いてある。中身は彼女がほとんど飲んでしまっており、傍らにあるワイングラスにはなみなみとワインが注がれていた。

 赤ら顔で上機嫌なのは、私の新居である戸建て賃貸が彼女にとって入り浸りできる都合の良さがあるからだろう。

 今まで私が住んでいたアパートは、彼女曰く資料やら何やらが乱雑に置かれて訪問のたびに雪崩れで生き埋めになってしまうのではと心配していたそうであり、今の借家であれば、こうやって広い吹き抜けのリビングがあるので、生き埋めの心配はないと安心したのだ。

 実際、こうやってリビングで寛ぐだけの余裕がある。


「それで、先生はきちんとルールを守ってるんですか?」

「もちろんだ」


 キッチンの流しで洗い物をしながら私は肯定する。キッチンからはリビングの様子がよく見えた。もともと、そう言う目的であったのだろう。


「餌皿にはきちんと餌を入れている。毎週必ずな。減っていれば、必ず入れている」

「餌皿はどこにあるんですか?」

「廊下を挟んで向かいにある洋室だ。今は私の資料室だが」

「ここに引っ越してきて何週間ですか?」

「もう四週間は経ってるよ。前のアパートはもうとっくに更地になっているからな、さっきから質問が多いな君は」


 洗い物の皿やら食器類を水切りラックに収めると私は聞いた。


「さっきから質問が多いぞ」

「そう、怒鳴らないでくださいよ」


 耳を手で塞ぐようにしながら美作は侘びた。


「さっきから何が言いたいんだ。あまり、私は根掘り葉掘り聞かれるのが好きじゃあないんだ。私は警察や新聞記者なんかの職務質問ですら嫌なのに協力してやったりするのは、相手が、仕事で、仕方なく、聞いてくるからだ。君みたいに興味本位で聞かれるのは好きじゃない」

「悪かったですよ。いや、ずっと気になってるんですけど」


 ぐるりと家の中を見まわし、美作は言葉を続ける。


「その猫ってどこにいるんですか?」


 ドキリとした。

 それは二つの意味を持っていた。一つはこの美作という女が、猫好きであるという事を私が覚えていたと言うのもある。その猫好きの度合いというと、わざわざ、身の回りに猫グッズを揃える気合いの入りようである。

 もう一つは、その猫である。

 一度も見ていないのだ。

 確かに洋室兼資料室の隅にある餌箱を定期的に見ると餌は綺麗に消えている。が、その餌を猫が食べている様子はどころか、猫が家の中を彷徨く様子をみていない。

 このリビングは吹き抜けで、二階の廊下へと上がることができるキャットウォークがある。そして、キャットドアがある。私の仕事部屋としている部屋にももちろんある。

 が、それらを猫が使う様子を見たことがない。

 そもそも、猫を見ていないのだから見ることがない。


「本当にその猫いるんですかね」

「いるだろうよ」


 そう言うが、それは自分自身に言い聞かせるようなものであった。

 その日、美作は泊まりたい、と申し出たが、私はタクシーを呼んで無理やり帰した。酷いと不平を口にしたが、そんな事は知った事ではない。私は下手な酔っ払いの相手をするつもりはないからだ。それに、私は私でやることが多く残っている。

 二階の階段を上り、南の道路に面する書斎兼作業部屋へと向かうと、内側から鍵をかけた。

 書斎の部屋の中央には、机が置いてあり、その上にはパソコンのモニターが置かれている。パソコンを立ち上げながら、南向きの窓を向いている椅子に座り、深く息を吸い込む。窓にはカーテンをかけていない。せっかくの南向きの部屋であるので、日の光や月の光が部屋に差し込むようにしているのだ。

 理由として言えば、その方が時間をきちんと把握できるからだ。つい作業に熱中してしまって、時間を忘れて、朝まで書いてしまう、という事を避ける事が出来る。

 パソコンのキーボードをタイプし、カチャカチャと静かな音だけが夜の書斎に響く。メールの返信作業がかなり溜まっていた。

 

「もう、こんな時間か」


 ふっと息を吐くと、右の壁にかけてある時計を見ながら呟いた。時計の脇にはキャットウォークがあり、キャットドアがあった。そのキャットドアは廊下へと通じており、本来であればそこを猫が通って、この書斎部屋にも通じてくるはずであった。

 が、そこを猫が通った記憶はない。

 私はパソコンをシャットダウンさせると、書斎の鍵を開けて出る。

 廊下を歩き、同じ二階にある寝室へと向かうのだった。が、そこで不意に気配がして足を止める。

 一階から何か気配がする。誰かがいる。美作が戻ってきたのか。いや、合い鍵なんかを渡す間柄ではない。

 違う。

 そもそも、鍵をかけたか?

 すっと鳩尾の辺りが冷たくなった。

 美作をタクシーに押し込んで帰らせた後、私は家にすぐに戻った。が、その時に、きちんと施錠したかどうか、覚えていない。脳みそにアルコールが残っていたとしても、そんなミスをしたのか。いや、していないはずだ。が、自信がない。

 恐る恐るというように、廊下を忍び足で進み、廊下を音を立てずに降りていく。

 真っ暗な台所を覗き込んだ。誰もいない。暗闇の中で動き回るような様子はあるが、人の影ではない。

 意を決して壁にある伝統のスイッチを押した。パチッと電灯が点いて、一瞬だけ、目がくらむ。


「にゃあん」


 足元を黒猫が走っていった。

 その黒猫は、足元を走り抜け、そして、キャットウォークへと飛び乗り、高所へと登っていくと、壁に設けられたキャットドアへとその身をするりと入り込ませていった。キャットドアが微かに揺れるのを見ながら、額に手を当てて私は息を深く吐き出した。

 猫だった。

 何、よくよく考えたらこの家には猫が住んでいるのだ。

 であれば、猫が下で何かしらの遊びをしていたのだろう。その物音というか気配を勘違いしただけだ。

 私は玄関へ向かって念のために施錠を確かめた。確かに施錠はきちんとなされている。やはり、私は酔っぱらって前後不覚には陥ったりしていない。そう思いながら、リビングに向かった。どこか緊張が解けて喉が渇いてしまったというのもある。

 夕食時、美作が使っていたワイングラスが水切り台に残っていたので、それに水をいれて飲む。

 それにしても黒猫に驚かされるとは、我ながら臆病なものだ。


「まてよ」


 ワイングラスを流しに置き、思いなおす。

 私がこの家に来た時に見た猫は、三毛猫であったはずだ。

 しかし、今、見た猫は。

 黒猫だった。

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