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猫のいる家 1

 車の後部座席から降りた私は、曇り空を見上げた。

 京都市と聞いて思い浮かべるのは、金閣寺や平安神宮などの歴史的な建造物だろうか。はたまた、アニメや漫画の舞台としてのサブカルチャーとしての街だろうか。もしかすると、京都大学を初めとした大学がある事から学生の街としてのイメージが強いかもしれない。確かにそういう所もある。が、ほとんどはそういう所ではない。

 北の方へ行けば山林が多く、南に行けば田畑が多い。

 そういう田舎の雰囲気が残る箇所が多い町だ。

 私がこの度、住むことになったのは前者。山林の多い京都市北部である。正確に言うならば、京都市北区の上賀茂の辺りである。近隣には京都産業大学があるが、閑静な住宅地という土地だ。繫華街から離れており、静かな落ち着いた雰囲気が辺りには漂っていた。


「柴田さん、どうかされましたか?」


 声をかけられて、そちらへと顔を向ける。不動産会社の営業が心配そうに私を見ていた。

 いや別に何でもないですよ、という風に言うと安心した様子であった。

 私が車から降り立ったのは賃貸予定の物件を内部見学する為だった。今まで住んでいた賃貸アパートの契約満了が近付いており、契約更新をしようかと思っていたのではあるが、そこの大家から契約の更新を断られてしまった。なんでも賃貸アパートを別の業者へと売却するつもりで、かつ、その業者はマンションへと建て替えるつもりであるらしい。

 そこで、慌てて不動産会社に駆け込み相談し他所、家賃やなんやらを加味した結果、この賃貸戸建てが提案されたのだ。

 最も、仕事も順調に進んでおり、そろそろ手狭なアパートから郊外の一軒家というのに移りたかった、という気持ちがあったのも真実である。しかし、その賃貸戸建てというのも条件が良すぎた。なにせ、広くなるというのに家賃が今のアパートとほぼ同じなのだから、何か裏があるに違いないと思っていた。

 不動産会社の営業は、そうだ、という素直に話してくれた。そして、実際に内見に行ってその内情を説明するとしてくれたのだ。胡散臭いにもほどがあったが、少しばかり、興味が沸いたこともあり、こうして内見にやってきたのである。


「あ!」


 家に入ろうとした途端に、通りから声をかけられた。

 私と共に家に入ろうとしていた不動産営業も、同じように道の方へと顔を向ける。通りには一人の女子高生がいた。傍らには一人の男子学生がいる。パット見ても親しい関係性だということが伺わせられるように、同じ学生鞄に、同じキーホルダーをつけていた。


「柴田コウ先生、柴田コウ先生ですよね!」


 女子高生は少し興奮気味に、駆け寄ってくる。その後を男子生徒がついてきた。


「誰有名人?」


 と、追いついてきた男子生徒が聞くと、それに烈火のごとく、女子生徒が反論した。


「山田君、知らないの? 柴田コウ先生よ。私が好きな週刊雑誌の連載枠を持っている作家さん」

「いや、それは知名度があるのか?」


 率直な男子生徒の疑問を口にしたのだろうが、それを聞き、女子生徒は男子生徒の頭を軽く叩いた。

 が、気にすることはない。

 実際の所、私の仕事が知名度をあまり持っていないのはその通りだからだ。しかし、こうやって 私の事を知ってくれている読者がいるというのは、うれしいものがある。つい嬉しくなって、女子生徒が差し出してきた右手に握手をするとともに、男子生徒の手を無理矢理に握り、二人の学習ノートの表紙に、持ち歩いていたサインペンでささっとイラストを描いた。

 こんな事もあろうかと、サインペンを持ち歩いていて正解だった。

 顔見知りの編集者には「自意識過剰すぎる」とよく言われたが、この経験を話せば、言い負かすことができるだろう。


「作家さんでしたか、柴田様は」


 二人の学生に簡単に手を振って、


「えぇ、まぁ、しがない作家ですよ。知名度があまりないのですがね」

「いえいえ、そんなご謙遜を。あぁいったファンもおられるのですから。さ、内見を」


 あぁいったファン、か。

 不動産営業の言葉が少しばかり腹立たしかったが、何も言い返せない。それに、こうやって内見を優先させようとする態度も気に入らなかったが、不動産営業という立場を考えれば、そういう対応をするのはなんとかく理解できるから、何も言わない。

 一歩、玄関に足を踏み入れる。

 家はいかにもな現代風な建築物だ。が、注文住宅らしく、持ち主のこだわりが随所に施されている、そうである。営業はそういう風に建物を案内してくれた。確かに言われるようにあまり他の家では見たことがないような間取りである。と、いうのも、吹き抜けなどが多用されており、開放感が演出されている。さらに言うと、そこかしらにキャットウォークやキャットドアがあった。

 特に、吹き抜けの梁の付け根辺りにキャットドアがつけられているあたりは、こだわりが過ぎると思われた。


「かなり広い家ですね。これで、この家賃というのは、猫を飼っていたその傷があるのか?」

「まさか。壁紙を見てください。それほど、傷はないでしょう。家の中を自由に見てもらってかまいませんよ」


 その言葉に甘える形で一通り、家の中を見て回ったが、確かに言うように、家には猫がつけそうな爪の痕跡はない。それどころか、見れば見るほど、悪くない作りである。

 玄関まで戻り、階段を見る。


「この家の持ち主が、猫が好きだったそうなのです」

「なるほど。その猫は」

「今もいるみたいです。私共も、この家を管理させてもらっている条件として実は、毎週、餌皿に補充をすることでして」

「どんな猫なんだ?」

「見たことがないのです。しかし、毎週、見ていると餌皿は空になっていますので家のどこかにいるかと」


 その時、階段の上から猫の鳴き声が聞こえた。

 そちらへと目を向けると、とととと、と三毛猫が階段を降りてくる。その猫は私の足元を通って、キャットドアの奥へと姿を消した。どうやら、本当に猫がこの家には住んでいるというのは、誤りではないらしい。不動産会社の営業も、初めて見た、と驚きの顔をしている。


「それで、家賃が格安の理由だが、猫が原因というわけか」

「そうなのです。猫の餌ですが、毎週、必ず、餌皿に入れる事、というのが条件なのです」

「それを一度でも忘れるのはいけないのですか」

「えぇ。それは、契約違反となります。しかし、それだけで、この家に格安に住めるのです。悪くない話かと」


 確かに悪くない条件だ。

 猫の餌皿に餌を補充することくらいは容易いだろう。それで、かなり広いこの家に、割安で住めるのは悪くない。猫アレルギーを持っていなかったのを感謝したくなる。

 もっと言うと、私は二階の洋室が気に入った。南に位置するその洋室は、窓が大きく、書斎兼仕事部屋として使うには適していると思ったのだ。


「いつ頃から、この家は借りれるかな?」

「明日にでも」


 営業はにこりと営業スマイルを浮かべた。

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