055 血脈に広がる毒 ③
「――ルーファス様!」
「ここにいますよ、ガルヴァイン」
人混みの喧騒を割って、焦燥の色彩を顔に浮かべて叫ぶガルヴァインの背後から、ルーファスは静かに声をかけた。
「ああ、……良かった。神に感謝を。今までどちらへ行かれておいでだったのですか……」
弾かれたように振り返り、主の健在な姿をその瞳に捉えた瞬間、ガルヴァインの端正な顔には、はっきりと氷が解けるような安堵の色が広がっていった。おそらく息をつく暇もなく周囲を走り回り、懸命に捜索していたのだろう。その額にはうっすらと汗がにじみ、幾筋かの金髪が濡れて張り付いていた。
「すみません。どうにもこの首都の喧騒と人の波には、中々慣れることができなくて」
「お命がご無事であったなら、それで充分にございます。……己の不手際、今後はこのガルヴァイン、更に五感を研ぎ澄まして周囲へと意識を払いましょう」
「大丈夫ですよ、ガルヴァイン。大分この首都の街並みの景色にも、目が慣れてきましたから。……それに、思わぬ良き出会いもありました」
「良き出会い、ですか?」
ルーファスの紡いだ言葉に、ガルヴァインは意外そうに形の良い眉を微かに潜め、低い声で聞き返した。忠義なる騎士の瞳には、まだ見ぬ未知の存在へのささやかな警戒が宿っている。
「外界の方とこれほど心を通わせて話したのは、本当に久しぶりのことかもしれません」
「ルーファス様、いかに良き人に見えたとしても、ここは連合国の首都。充分に警戒を怠りませぬよう……」
「分かっていますよ。それに、先程出会ったあの方たちが、決して私を害さぬ安全な御人であることは、この瞳で確かに見えておりましたから」
ルーファスは、悪戯が成功した子供のような穏やかな口調のまま答えた。
西の空から差し込む夕焼けの赤い陽光が、フードの奥の青い瞳に黄昏時の美しい色彩を宿し、神秘的な煌めきを放たせる。
「生命の放つオーラ、ですか……。私のような武人には、簡単な魔術が扱えるのみですので、その深淵までは良く分かりかねますが」
「ふふ、これもこの耳の形と同様に、母上から授かった大切な遺産ですね」
「母君の……」
ガルヴァインは一瞬、胸を衝かれたように憂いを帯びた声を漏らし、視線を伏せた。
ルーファスの母――ハイエルフの血を引くその人は、彼がまだ物心つくかつかぬかの幼き頃に、既に重い病でこの世を去っているのだ。亡き王妃への追憶が、騎士の胸を小さく疼かせる。
「では、行きましょうか。完全に日が暮れてしまう前に、今宵の泊まる場所を決めなくてはなりませんね」
「はい。首都の議事堂に近い、治安の保たれた区画で宿を見つけましょう。少々値は張りますが、雑踏の中の宿よりは、遥かに安全かと思います」
「私としては、あのような賑やかな場所でも一向に構わないのですが」
「なりません、ルーファス様。どのような悪漢や潜入者が潜んでいるとも知れぬのですから」
少々残念そうなルーファスを促すようにして、護衛のガルヴァインは大通りを歩き、今日の夜を過ごすための静寂を求めて歩み去っていく。
しかし、それにしても暑いな、とガルヴァインは心の中で密かに溜息をついた。砂漠地帯の気候というものは話には聞いていたのだが、まさかこれほどまでに肌を灼く空気だとは。もっと風の通る軽装を選ぶべきであったかと、微かな後悔が頭をよぎる。
――そして。
(……兄上も、この国のどこかで、汗を流して生きているのだろうか)
すれ違う多種多様な街の人々を眺めながら、ガルヴァインは未だ見ぬ血の繋がりに想いを馳せ、遠い異国の空の下へ、切ない祈りを捧げるのだった。
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「――結局、名前以外はお互いに顔すら見せ合うことはなかったな」
ジグは、ルーファスが歩み去っていった黄金の雑踏をなおも視線で追いながら、頭の後ろで無造作に腕を組んで呟いた。
めくり上がったマントの隙間から露わになった二の腕を、砂漠特有の乾いた風が通り抜けていくのが心地よい。自らのマントには、あらかじめ精緻な冷気の魔術を施してあるのだが、それでもなお、旅の疲れとうだるような熱気のせいでうっすらと肌に汗が滲んでいたらしい。
ふと隣のアルスを見やれば、相変わらず塵一つ触れぬような涼しい顔のままで佇んでいる。もしかして、この世の温度というものをこいつは初めから感じていないのではないか――ジグはふと、そんな途方もない疑問をうっすらと抱くのだった。
「そういえば、先程から少し気になっていたのですが。……ジグ、貴方は顔を隠す必要は無いのではありませんか?」
「やだね……。どうせフードを脱いだところで、この街の通りすがりの奴にオークと間違われて騒がれるのがオチだ」
「なんだ、あのルーファスとかいう青年は、無事に連れと合流できたのか?」
それほど気に病む必要もないのでは、とアルスがジグの頑なな態度を宥めようとした、まさにその時。二人の背後から、ガウルの野太い声が響いた。
おそらく、年若い二人をこれ以上待たせてはならないと、強靭な脚力で走って戻って来たのだろう。巨漢の肩は微かに上下しており、その荒い息が黄昏の空気に弾んでいるようだった。
「ええ、つい今しがた。ルーファスさんを探す大きな声が聞こえてきまして……彼はそちらの方向へと戻っていかれましたよ」
「本当によくあんな大声が出るもんだよな。よっぽど過保護な連れなんだろ」
「ふむ……そうか。なら、一件落着だな。俺たちもそろそろ、今夜の寝場所を探すとするか」
ガウルは街を駆け巡った筋肉の強張りをほぐすように、太い肩を回しながら言った。
「んー……。宿と言っても、一体どこを選べばいいんだ? 見ろよ、右を見ても左を見ても、そこら中に看板があるぞ」
「この首都の入口近くにあった大きな宿などは、部屋の数も沢山ありそうでしたね」
「いや……、ああいう大通りに面した場所の宿はやめておけ。短い時間だけ立ち寄って、すぐに発つような荒っぽい手合いが多い。夜通し騒がしくて落ち着かんぞ」
「そんじゃあ、もう少し街の奥まで歩いてみるか? ほら、あのひときわデカい、議事堂の建物の辺りまで」
ジグが、夕闇に染まりゆく中央議事堂の威風堂々たる姿を眺めながら言った。
三人が宿を求めて再び歩み出そうとした、まさにその刹那であった。アルスの胸元、マントの隙間に下げられた細い首飾りの魔石が、脈打つように微かな蒼い光を放ち始めたのは。
「――……やあ。上手くこちらの声は聞こえているかな? どうにも、僕はこういう魔術の道具には詳しくなくてね」
アルスが首飾りをそっと手のひらに取ると、中央に嵌め込まれた深海のような魔石から、カシムの穏やかな声が響いてきた。
ジグが以前、万が一離れても連絡が途絶えぬようにと渡しておいた自作の魔道具は、問題なくその機能を果たしているらしい。
「カシムさん、お久しぶりです」
「不思議な感覚だね。これほど離れていながら、まるで隣にいるかのように会話ができるというのは」
「何かあったのか?」
ジグは、己の指先が作りだした魔道具の見事な出来栄えに内心で深く満足しつつ、アルスの手元にある魔石に向かってぶっきらぼうに話しかけた。ガウルは太い腕を組んだまま、石が喋るというその奇妙な光景を、珍しそうに眺めていた。
「そろそろ、君たちの徒歩の足でも、連合の首都に辿り着く頃合いじゃないかと思ってね。アル・ハミドは悪戯に広い。宿一つ選ぶのにも、余所者には苦労しそうだからね」
「ええ、本当に。ちょうどいまから宿を探そうと、皆で話し合っていたところでした」
「そうなのかい? ならばちょうどいいね。僕が事前に手配できる宿があるんだ。今夜はそこに泊まるといい」
「いいのか?そこまで世話になって」
ガウルが、戸惑いを隠せぬまま言葉を魔石へと投げかける。やはり、ただの冷たい石に向かって真剣に話しかけるなど、戦士である彼にとっては、どうにも妙な気分にさせられるものであった。
「はは。それくらいなら僕にとって問題ないさ。それに……君たちが無事に着いたなら、少し話したいこともあってね」
「まあ、そっちが本題だろ……。何か分かったのか?」
「まあ、そういう事情も含めてね。急ぐ必要はないよ。今から伝える区画の宿に来て、僕の名前を出して貰えれば、すぐに部屋に通されるよう手配しておくさ」
「ありがとうございます、カシムさん。助かります」
「では、また近いうちに。せっかくの首都だ、日が暮れるまでは、色々とおもしろい街並みを見て周るのも悪くないよ」
密やかな会話が終わると、アルスの手のひらの上で輝いていた魔石は静かに光を失い、再び物言わぬ深遠な蒼き石へと戻っていった。
「相変わらず、涼しい顔をして強引なやつだな」
「でもジグ、今夜の泊まる場所に迷う必要は、これで綺麗に解決ですね」
「ああ、まあな……」
首飾りを再び身に着けるアルスの横顔を眺めながら、ガウルだけが、少々複雑な大人の声を喉の奥で漏らしていた。
なぜなら、カシムが今しがた指定したその場所は、一般の旅人やしがない傭兵風情などは中々立ち寄ることのない、高価で格式高い区画の宿だったからだ。
「どんな宿なのでしょうね、ジグ」
「さあな。確か、部屋からの見晴らしがいい場所だとか言っていたっけ」
まるで無邪気な子供のように楽しげに会話を交わし、夕闇の街を歩んでいく二人。ガウルはその頼もしくも危うい背中を後ろから静かに眺めながら、俺たちの格好が周囲から浮かなければいいがな……と思いつつ、朱に染まるアル・ハミドの異国情緒溢れる街並みを、ただ静かに歩み進めるのだった。
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「地下組織、ですか」
聞き慣れぬ言葉の響きに、アルスは困惑を滲ませた声を思わず零した。
「はい。使いの者に調べさせたところ、どうやら最近、このアル・ハミドでは非合法な物品を売る集団がいるようなのです」
そう説明するのは、カシムの傍らに影のように控えていた老練の護衛ザイドであった。その声は低く、裏社会の動向を冷徹に見据えている。
「申し訳ないね。宿に招待して早々、する話がこういうもので」
カシムはどこか痛ましげに細い眉をひそめ、ジグ達に向けて静かに詫びた。
彼らが招待された宿は、一同の予想を遥かに超えて豪華なものだった。精緻に組まれた石造りの建物は城砦の如く堅牢で、地方の小さな町の貴族の邸宅と言っても決して過言ではない。
ガウルですら、まさかこれほどまでの格式の場所に通されるとは思っておらず、案の定、旅塵に汚れた自分達の無骨な格好は、行き交う上流階級の華やかさの中で少し浮いていた。
もっとも、それを気にして居心地悪そうに身を固くしていたのはガウルだけで、ジグとアルスは子供のように物珍しさにあちこちの調度品を見て周るのに夢中だった。ただ、周囲にはちらほらと、数日後の大武闘会に出るであろう貴族お抱えの屈強な戦士たちの姿があり、それが彼らにとっての唯一の救いと言えた。
「……にしても、人の血を売る、か。近くのオアシスでも、そんな事をされた遺体と出くわしたな」
「オアシス……、東門を出て少し進んだ場所の事かい?」
カシムが怪訝そうに形の良い眉を上げ、鋭い声を漏らす。
なるほど、これは当たりかもしれないなと直感した。と同時に、それがそれなりな規模を持つ闇の犯罪だという予感が、確信めいて胸に宿る。
「そうですね。あの方たちも皆、血を抜かれていました」
アルスが静かに肯き、記憶にある惨状を肯定する。
「生き血を売る、か……。そんな事が、本当に……」
ガウルが太い腕を組み、喉の奥で重く唸った。
その昔、自らも悪心を持つ者の策にはまり、人体実験をされそうになった暗い記憶が脳裏をよぎる。口の中に、苦いものがこみ上げてくるのを禁じ得なかった。
「私共も、まだ確実な証拠を掴んだわけではありません。ですが、人攫いなどの犯罪が急増しているのは事実のようです」
「それと、怪しげな魔術師と思しき集団を見かけたという噂もね。血と魔術と聞くと、どうにもあの賢者の石というものが頭をよぎってしまってね」
ザイドとカシムの話を聞きながら、ジグもまた思案の海に沈んでいく。
人間の血と濃密なエーテルを死霊術によって凝固させたという、賢者の石。その血はかつて封印された魔王の血という話だったが、果たして。
いずれにせよ、罪なき人の生き血を使った魔術の研究が裏でされているならば、碌でもないことに違いはなかった。
「そいつらの居場所は分かっているのか?」
ジグは考え事をしながら、カシムたちへ鋭い視線を向けた。
「いえ、人を売買する取引場所までは突き止めたのですが、彼らがその後どこへ身を隠すかまでは、まだ掴めておりません。申し訳ない」
「気取られないように後をつけさせているんだがね。どういうわけか、突然と姿を消してしまうらしい」
ザイドとカシムが、もどかしそうに唇を噛む。あと一歩のところで、いつも疑わしい者達の姿が煙のように消えてしまうのだ。
カシムに仕える隠密たちの優秀さは、この短い期間でここまで調べ上げた事で十分に証明されていたが、相手の隠蔽の術は幾分か上手らしい。
室内に、重く息詰まるような沈黙が流れる。
しばらくの静寂の後、ガウルがゆっくりと重い口を開いた。
「……なら、俺が囮になろう」
「ガウル殿が、ですか?」
ガウルが放った思いがけぬ提案に、思わず声を漏らしたザイドだけでなく、その場の全員の顔に驚愕の色が宿る。
「平気なのか? そんな事まで自分から引き受けて」
ジグの問いかけに、ガウルは微塵も揺るがぬ戦士の眼差しを返した。
「すぐに足取りを消す奴らを追うなら、こういう手段も必要だろう。カシム達は顔が割れているし、ジグは少し目立ちすぎる。アルスにそんな真似を頼むわけにもいかんからな。なにより、戦士が仲間を危険にさらしておきながら、自分だけ無傷のまま寝て待つなんてのは俺の性に合わん」
有無を言わさぬガウルの言葉には、確固たる戦士の意志が満ちていた。ジグとアルスは、それ以上彼を引き止める言葉を持たなかった。これもおそらく、彼が幾多の死線を越えて培ってきた、戦士としての譲れぬ矜持なのだろうと、その場にいた者達は痛いほどに感じていた。
もしここで無理に引き止めれば、ガウルが命よりも重んじる傭兵としてのプライドをへし折ってしまいかねないのだ。
「……本当にすまないね。この部屋はしばらくの期間、僕が借り上げておくよ。もし怪我をしたら、気が済むまでここで身体を休めてくれていい。今の僕には、それくらいの事しか出来ないがね」
「いや、充分だ。そこまでの配慮、感謝するよ、カシム殿」
申し訳なさそうに視線を揺らすカシムに対し、ガウルは無骨ながらも礼儀正しく謝辞を述べた。
「本当に、気を付けてくださいね、ガウル」
「分かっているさ。もし怪我をしたら、またお前の術で治してくれ」
「出来れば、怪我しねえで帰ってきてくれよ……。こっちの心臓が持たねえって」
無謀とも言える作戦の細部を話し合い、皆はそれぞれに、胸の内で互いの無事を深く願った。
盗み聞きされぬよう、部屋の外には廊下で油断なく警護にあたるエレナとヴァレリアの姿があった。彼女たちにも、室内の張り詰めた緊張した空気が冷気のように伝わり、その身のこなしを固く強張らせるのだった。
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「どうだ? ジグ。出来るだけきつく縛るんだぞ」
「分かってるよ。偽装とはいえ本格的に、だろ」
翌日の宿の一室に、低く抑えられたガウルの声が響いた。それに応じるように、ジグは用意した無骨な縄で、ガウルの後ろ手に回された両手首を頑丈に締め上げていく。
改めて至近距離で見つめると、手首の骨格すらも丸太のように太く強靭だった。ジグは胸の内でこの戦士が持つ天性の頑強さに、どこか感心するような心地を抱かずにはいられなかった。
「こんなもんか?」
「ああ、充分だ。歩いている時には俺のマントが腕を隠してくれるから、衛兵に怪しまれることも無いだろう」
ガウルは後ろ手で僅かに手首を動かし、縄の絶妙な締め具合を確かめながら言った。
「ガウル、これを」
静かに歩み寄ったアルスが、その白い手のひらを差し出す。
「ん? そいつは丸薬か?」
「ええ。もし毒などを飲まされたとしても大丈夫なように、あらかじめ耐性がつくよう調合してあるものです。それと……ガウルの足取りを私たちが追いやすくなるように、魔術も少し練り込んであります」
「なるほど、準備が良いな。もう両手が動くことが出来ん。すまんが、飲ませてくれ」
差し出された丸薬を見やりながら、ガウルはアルスの手際の良さに感心した声を漏らし、顔を上げて無造作に口を開けた。
アルスがそっと指先でガウルの舌へと丸薬を乗せ、次いで水の入った器を唇に運んでやる。ガウルはそれをそのまま一息に飲み込んだ。独特の苦味を帯びた薬が胃の中へと落ちていくと、じわりと暖かな感触が腹の底へ広がっていくのが分かった。
「よーし……、準備はこんなもんか。正直、あまり気は進まねえけどな」
「本当に、無理だけはしないでくださいね」
「心配するな。状況がマズくなったら、自力で暴れてでも逃げるさ」
己の身を心から案じる二人の視線を受け止め、ガウルは彼らを安心させるように笑みを作ってみせた。
「それじゃ、行くか……。アルはこの部屋で待っててくれよ」
「はい。お気をつけて」
「ジグ、まだ忘れている事があるぞ」
ガウルを連れて部屋を出ようと腰を上げたジグに、背後からガウルの鋭い声がかけられた。「まだなんかあったか?」とジグは微かに眉を上げ、全く見当がつかないといった様子で振り返る。
「こういう偽装だからな、最後の仕上げだ。――俺を殴れ」
「えっ、お前を殴る?」
「無傷のまま引き渡しに行っても、向こうの悪党どもに怪しまれるだけだろう? 激しく抵抗して殴られた跡くらいはないと、奴らへの説得力がないぞ」
淡々とした口調で、さも当然のように言い放つガウル。その徹底した傭兵としての物言いに、ジグもアルスも一瞬、呆気に取られて言葉を失ってしまった。
「……気が進まねえな……」
ぽつりとぼやきながら、ジグはやっとの思いで拳を握り、ガウルの精悍な横顔に向けて一発、拳を打ち込んだ。だが、その一撃からは、普段のジグらしからぬほど明らかに力が抜けていた。
鈍い音と共に自らの頬に当たった、ジグの拳の感触。痛みすらほとんど感じられないその手応えを確かめながら、ガウルは「甘い奴だな……」と内心で苦笑した。
とはいえ、いくら敵を騙すための偽装だと分かっていても、仲間である自分を傷つけることをこれほどまでに躊躇ってくれる、二人の不器用な優しさが有り難いものである事も事実なのだが。




