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果てしなき旅路の果てに  作者: 左岸
第一章 貿易連合国編
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053 血脈に広がる毒 ①

「いつまで寝てやがる、このデカブツが……!!」


 鼓膜を破らんばかりの怒号と共に、頬を思い切り殴りつけられ、ガウルは低く濁った呻き声を上げながら強制的に目を開けさせられた。

 衝撃で巨体が大きく揺れ、その動きに連動して、肉に食い込む分厚い鎖の擦れ合う鈍い音が地下室一帯にジャラジャラと不気味に響き渡る。湿っぽく冷え切った周囲の石壁が、その鉄の悲鳴を一層おぞましく反響させていた。


「……ぐ、う……。ここは……どこだ……」

「ようやく薄汚い目が覚めたか? 間抜けな面してぐっすり眠りやがって」


 まだ焦点の定まらないガウルの顔を、いかにも底辺の野盗といった風情の野卑な男が、侮蔑するように二度、三度と手の甲で軽く叩きながら嘲笑う。

 男はガウルと同じくらいには背丈が高い、この界隈では随分と大柄な部類の男であった。


 脳を揺さぶられた眩暈が段々と収まり、意識がはっきりとしてくるにつれ、ガウルは己が置かれた状況を正確に把握していった。両腕を頑丈な鉄鎖でがちがちに繋がれ、天井の太い梁から無残に吊るされている。つま先が辛うじて冷たい石畳の地面に触れるか触れないかという、ただそれだけで肩の関節を限界まで引き千切り、体力を劇的に蝕んでいく、嫌らしく計算された吊るされ方だ。

 長年愛用してきた堅牢な防具や得物は全て身ぐるみ剥ぎ取られており、晒された大きな上半身は完全に剥き出しの裸であった。


「ヒヒッ、貴様ほどの凄腕が、一体どんなヘマをやらかしてこのアル・ハミドの闇に売られてきたのかは知らんがな……。だが、これほどの極上肉、ここに連れてこられた以上は、死ぬまで有効活用させてもらうぞ」


 男が下卑た笑みを浮かべてそう言うと、吊るされたガウルのすぐ傍らに据え置かれた、見たこともない鈍色の魔道具の器具をガシャリと動かした。

 次の瞬間、器具の先端から蛇のように蠢く、細く鋭い金属の「魔術線」が勢いよく飛び出し、容赦なくガウルの丸太のように太い左の二の腕の肉を、骨の隙間を縫うようにして一文字に貫通した。


「う、ぐあぁ……! が、はっ……っ!!」

「どうだ、戦場のお馴染みの傷とは一味違う痛さだろ? ……こんだけ図体がデカいんだ、これくらいじゃ怯まねえよな。なら、もう片方も同時にいかせてもらうぜ」


 男がレバーを引くと、間髪入れずにもう一本の鋭利な魔術線が飛び出し、ガウルの右の二の腕をも無残に貫いた。

 肉を裂かれた傷口からどくどくと滲み出る鮮血が、ガウルを拘束する冷たい線を伝って、器具の底に設置された透明なガラスの小瓶へと、不気味な音を立てて絶え間なく流れ落ちていく。


 肉体を直接焼かれるような激痛により、鎖で天井から吊るされたガウルの分厚い指先が、意思に反して激しく痙攣した。両腕の自由を鎖で奪われ、魔術線によって体内の血を文字通り搾り取られているその凄惨な姿は、さながら毒蜘蛛の巣に絡め取られ、なす術なく貪られる哀れな獲物そのものであった。


「……貴様、ら……。こんな、薄汚い地下で……一体なにを、企んでいやがる……」

「見てわからねえか? これだから傭兵って人種は、体を使って戦うか、安い酒を飲むかしか能がねえんだ。脳みそまで筋肉で詰まってやがる」

「ぐ……う、悪趣味な商売だな……」


 ガウルは鎖に頭を預け、吊られた姿勢のまま、苦痛に歪む視界で周囲の様子を鋭く観察しながら吐き捨てた。

 薄暗い部屋の片隅には、すでに抜き取られた他者の血を満たしているのだろう、どす黒い小瓶がいくつも無造作に散乱しており、それらをまとめて梱包するための不審な木箱なども積み上げられていた。ここで非合法に抜き取った生血の小瓶を、首都の闇市場に蠢く買い手へと横流ししているのだろう。


「まあ……本当のところを言えばよぉ、若い女のエルフの血の方が何倍も高く売れるんだがな。テメエみてえな、どこの馬の骨とも知れん獣と変わらねえむさ苦しい男の血なんざ、本来なら大した金にゃならねえんだが……。だがよ」

「ぐっ……!」


 男は言いながら、ガウルの無精髭の生えた顎を乱暴に鷲掴みにし、強引に上を向かせた。

 その拍子に巨体が大きく揺れ、魔術線が貫通している両腕の生々しい傷口に容赦のない振動が伝わる。それが、さらに耐え難い激痛となって彼の脳髄を蹂躙した。額にはおびただしい量の脂汗が浮かび、鍛え上げられた全身からも、苦悶の汗が滝のように滲んでいく。


「近くで見るとますます人間の皮を被った獣そのものだな、おい。まあ、これだけ常人離れした図体なら、普通の奴の三倍はたっぷり搾り取れるってわけだ。そう簡単に干からびて死んじまうんじゃねえぞ?」


 そう言いながら、賊の男はガウルの放つ威圧感に僅かに顔を顰めながらも、さらに顔を近づけ、その匂いを嗅ぐように深く息を吸い込んだ。


「ふん……。傭兵らしい、使い古された鉄と錆びた血の匂いだ。……それと、微かに親父くせえ。戦士としての賞味期限は、もうとっくに切れかかってるってとこか? 」


 ガウルは、目の前の矮小な男が吐き出す執拗な侮辱の言葉に、体内の血が沸騰するような激しい憤怒が頭へと昇っていくのを感じた。

 両腕の魔術線からは、最も苦痛が長引くよう、きわめて緩やかな速度で痛めつけるように血液を搾取されている。だが、そんな風に削られていく自らの体力など今は気にも留めず、ガウルの両眼の奥に潜む獣の眼光がギラリと鋭さを増し、眼前の男の首筋を噛み千切らんばかりに真っ直ぐ睨みつけた。


「ほお? 鎖に繋がれた犬の分際で、なかなかいい眼をしてやがるじゃねえか。一体どこでどんな間抜けなヘマをしてここまで転がり落ちてきたかは知らねえが、こいつは想像以上に楽しめそうだな」


 男は歪んだにやけ面をガウルに向けると、部屋の隅へと歩いていき、埃を被った戸棚の中から、引き千切った獣の皮を編み込んだ、鉄のように硬く冷たい拷問用の鞭を取り出した。

 そして、獲物の肉を効率よく引き裂くために、空中で何度か壁や床に向けて鋭く素振りを繰り返す。バチィン、バチィンと、地下室に硬い鈍音が響き渡るたび、男の顔には恍惚とした下卑た笑みが浮かび上がっていった。


「てめえの売り主からはよ、『一族への見せしめの為に、四肢を切断したりして誰か分からなくなるような真似だけはするな』ときつく言われてるんだが……。痛めつけるなとは、一言も言われてねえからな……!!」


 男がそう叫ぶと同時に、獰猛な足取りでガウルの背後へと回り込んだ。風を切り裂く音と共に出された鞭が、無防備に晒されたガウルの屈強な背中へと、容赦なく思い切り叩きつけられた。


「ぐ、あ……っ、うあぁっ! 」


 ガウルは奥歯が砕けんばかりに噛み締め、必死に声を殺して耐えていた。しかし、二度、三度と容赦なく振り下ろされ、五度目の容赦ない鞭が彼の背中の厚い筋肉を捉え、その皮膚を縦一文字に深く斬り裂いた瞬間、ついに耐えきれず、野獣のような押し殺した呻き声が口から漏れ出た。


 凄まじい衝撃が背中に伝わるたびに大柄な身体が大きく揺れ、その結果、両腕を貫通している魔術線も同時に激しく引き絞られ、ガウルに一瞬の猶予もない激痛を与え続けた。

 完全に斬り裂かれた背中の皮膚からは、新鮮な鮮血がとめどなく滲んで滴り落ち、ガウルの履き古したズボンの布地を赤く染めながら、つま先のすぐ下の石畳へと、小さな血だまりをポタポタと作り始めていく。


「ヒヒッ! 良い声で鳴くじゃねえか。 じじいに片足突っ込んでる割にゃ、流れる血もずいぶんと綺麗だ。身体の肉も酒や贅肉でたるんじゃいねえから、これほど打ち甲斐がある背中も滅多にねえ! こいつは久しぶりの特級の大当たりだ。たっぷりと何日も楽しませてもらうぜ、おっさん」


 背後から浴びせられる執拗な拷問の嵐と、耳を汚す下劣な侮辱の数々に、ガウルの途切れそうになる意識の神経は、檻の中に閉じ込められた猛獣のように激しく牙を剝き、怒り狂っていた。

 今すぐにでもこの忌々しい鉄鎖を腕力だけで引き千切り、目の前の矮小な羽虫の頭を素手で握り潰してやりたいという衝動が、全身の筋肉を爆発させそうになる。


 ――しかし、今は何があっても、耐え忍ばなければならない。


 このアル・ハミドの奥深くに巣食う闇を探るため、別行動をとっているジグやアルスたちが、それぞれの目的を確実に達成するその瞬間までは……。


(……自分で言い出したとはいえ、おとりなんていう似合わぬ大役を引き受けてしまったもんだな……)


 ガウルは胸の内で煮えたぎる怒りとともに、己の不器用な運命に対して、ただ静かに自嘲の苦笑を漏らすのだった。


 ----------


「うわっと……、おっかねえ。今のは一体、なんの声だ?」


 ガウルが賊の戯れに耐えかねて漏らした、獣のごとき地響きの呻き声が、湿った通路の遥か先から微かに響いてくる。それを鼓膜に捉えた帝国兵のヴァルターは、ゾクッと背筋を走る悪寒に思わず身をすくめた。見知らぬ土地の、それも全容の掴めぬ不気味な地下組織の拠点という心もとない場所では、ほんの少々の物音や声ですらも、精神を削る巨大な脅威となり得るのだ。


「地上で見かけた、ちょいと面白そうな二人組の後をコソコソ付けて、こんな闇市場みてえな地下に潜り込めたところまでは、我ながら運がいいと思ったんですがね……。こいつは、流石に一人で来るべきじゃなかったかなぁ、マジで」


 ヴァルターは小さく悪態をつきながら、壁に背を預け、他に何者かの不審な気配が無いかどうか周囲の暗がりを油断なく警戒しながら、音もなく身を隠して動き続ける。

 先ほどの声の主が、どこかの石室で捕まっているらしい不運な者であることは明白だった。人道的に考えれば首を突っ込んで助け出してやってもいいのだが、何せこちらは単独潜入だ。一人でどこまで立ち回れるかは全くの未知数であった。一歩間違えて運悪く敵の増援に囲まれでもすれば、己もあの声の主と同じように、捕らわれの身となって拷問まがいの凄惨な目に遭わされかねない。


「クソっ……、皇女殿下からいざって時のために、この最新の魔道具の携帯を特例で許可してもらったまでは最高に良かったんだが……。まさかこの連合国の首都近郊が、ここまでエーテルの薄い土地なんて、全くついてねえ」


 一人きりという圧倒的な孤独感と、正体不明の地下組織が放つ不気味な居心地の悪さ。それらを必死に頭から誤魔化すように、口をついて出てくる情けない不満を今の彼は止められなかった。


 懐からそっと取り出した、鈍い銀色に怪しく光る小型の筒状の魔道具を凝視しながら、ヴァルターは心底忌々しげに小さく舌打ちをする。

 それは彼の母国たる帝国では『魔道銃』と呼ばれる兵器であり、本来なら引き金を引くだけで簡易な攻撃魔術と同程度の威力を発揮できる傑作の筈だった。だが、周囲の環境から吸い上げるべき動力源のエーテルがここまで希薄では、ただの頑丈な鉄の塊も同然であり、その真価を発揮することなど到底不可能なのだった。


「まぁ、連合の人間が裏で誰に捕まってようが、本来知ったこっちゃねえんだが……。にしても、このまま見過ごすってのも、寝覚めが悪いというか、なんというか、なぁ……」


 未だに微かな肉の蠢くような湿った音が響いてくる通路の奥を見やりながら、ヴァルターは潜入者としての冷静さと、人間としての情の狭間で激しく迷う。

 元々、彼はこの国に戦争を仕掛けるための破壊工作や、派手な大立ち回りを演じるために潜り込んだわけではない。あくまでも、皇女殿下が胸に抱いた不穏な胸騒ぎと懸念の正体を突き止めるための、極秘の隠密調査なのだ。そのついでに、道すがら行き倒れの哀れな人間を一人二人人助けするくらいなら、やぶさかではないのだが。


「ええい、クソ。先に潜入したらしいあの奇妙な二人組の行方を密かに追いつつ、ついでにあの奥で取っ捕まってる奴の場所も探してやるか。上手くいきゃ、その流れでここのイカれた連中が裏で何を企んでるのかも同時に探らせてもらえる。そいつを持ち帰れりゃ、俺ァ大満足だ」


 使い物にならぬ魔道銃を渋々懐へと再びしまい込み、代わりに腰の後ろに身に着けていた、護身用の鋭利な短剣を一気に引き抜いた。刃の冷たい感触を手のひらで確かめ、自らの覚悟を無理やりにでも決める。普段から魔道具や大型の魔道兵器ばかりを精密に扱っている彼にとって、こうした生々しい鋼鉄の剣を使った白兵戦の感触はどうにも馴染めず、頼りなく感じてしまう。


 人の呼吸がこもる閉ざされた地下は不快に蒸し暑く、額から首筋にかけてじっとりと嫌な汗が流れ落ち、衣服が不快に肌へと張り付く。ねっとりとした濁った熱気が、容赦なく周囲の空間を満たしていた。


「まあ、何はともあれ、色々とおもしろい裏事情を探って無事に国へ帰るのが俺の任務だからな。……ついでに、賊の野郎どもに捕まっちまってる間抜けな奴のツラも拝ませてもらうか」


 曲がり角の物陰から鋭い視線で周囲の動向を伺いながら、ヴァルターは不敵に笑うと、冷たい石造りの地下迷宮の中に広がる、底知れぬ闇の中へと滑り込むように消えていった。

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